信忠の野望
信忠は厳かに信長の葬儀を終わらしたあと動き始めた!
信忠は羽柴秀吉・明智光秀・織田信孝・徳川家康・上杉景勝・伊達政宗・最上義光・南部信直に使者を送った
内容は簡単であった
「関白三上龍之介正圀、謀反の動きあり
三上討伐するため包囲網をきずき攻めよ!」
であった、しかし、伊達政宗・最上義光はかねてからの約定通り動かず
上杉景勝は決めあぐねていた
そして、徳川家康は軍備を進めた
青森も南部信直が信忠の誘いに乗り南下の準備を始めたのであった
そのころ、龍之介は嵐山城にいた
都にいるには重要な理由があった
帝に「王政復古の大号令」を出して貰うためであった
それは、織田宗家から実権を奪う手立てであった
現在、帝には兄・上皇には父が健在であり公家との昵懇のなかの為簡単であった
二月一日
「王政復古の大号令」発布
織田宗家を討伐せよの詔は出された
これにより信忠の征夷大将軍は剥奪された
信忠は驚くしかなかった
「この様な手を使うとわ!」
このような奇策が思いもよらず行われたことに、しかし九州の羽柴・四国の信孝は織田宗家に忠誠を誓い中国の明智もまた織田信忠の命令に従ったのである
そして、徳川家康は織田宗家に再度同盟を結び直したのである
上杉もまた織田信忠に協力を約束したのである
情勢は明らかに、三上・伊達・最上の不利な状況で第二の乱世が始まろうとしていた
しかし、三上・伊達・最上の同盟は磐石であり、また軍事力も比ではなかったのである
こうして、再びの乱世が訪れてしまったのであった




