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敗者の街 ― Requiem to the past ― ※旧版  作者: Roderick Anderson (訳:淡月悠生)
最終章 After Resounding Requiem
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71. 帰還

視界の端で、赤毛の男がエリザベスに手を差し伸べている。

……その手を振り払い、エリザベスはふらふらと立ち上がった。


「俺は、どうすればよかったかな」

「そんなもの……私に聞かれても、わからない……」


ほとんど掠れ、それでも必死に伝えようと紡がれる男の声。

無念と後悔に彩られ、それでも涙を懸命に飲み込む女の声。


「エリー、生きたかったんだよな」

「……わたしは、穏やかで、平凡な生が欲しかった。ただ、それだけだった……」


そんな会話を交わしているのも聞こえた。

ロジャー兄さんの気配がふっと揺らぎ、俺も意識が遠くなる。


「なるほど、これがロジャーの……。しかも、2匹ほど可愛い魂を飼っている。……なかなか良い物件だね」


完全に身体を覆い、ゲス野郎がロジャー兄さんの口で語る。

言い方に鳥肌が立った。肉体の感覚はないけどそれだけは間違いない。純粋に気持ち悪い。

コルネリスが俺を更に隠した感覚がある。ありがとう、案外紳士だな。でもその人男でも食うぞ。


「悪がどうして悪と呼ばれるか、教えてあげよう」


聞いてもいないのに語り出しやがった。


「自分本位に世界を見、なおかつ他者への還元を一切考えないからだ。一種の独占欲の塊だよ」


つまり、利益を個々が独占できなければ、彼らは怒りを持て余す……と、つらつらどうでもいいことを語りながら渦巻く思念に手を伸ばす。

何がそこまで楽しいのかわからないくらい、嬉々としつつ協力してくる。珍しい。


「こういう場合、大抵は善行を積めば咎も軽くできるだろう?」


さすが腐れ外道。抜け目がない。なんで俺は一度でもこんなのに惚れた時期があったんだろう。


「……まあそれはそうとして、集合体だと言うなら、共食いさせるのが一番効率がいい」


あいつが触れた指先から、塊に泥が流れ込む。急速に、軍服姿の肉体が骨に戻っていく。

……たぶん、例の甘い言葉で誘惑でもしに行ったんだろう。

塊の動きがピタと止まる。悶え苦しむような哭き声とともに、自壊が始まる。

……ちらと視線を戻すと、赤毛の男は褪せた金髪の男にすり変わっていた。


「よーし兄弟!今だ!死んだやつ全員押し込め!」

「よく分かんねぇけど分かった!」


レニーの合図で、レオナルドがロジャー兄さんごと塊に飛び蹴りを食らわせる。「ぐえっ!?」と間抜けな声を上げ、ロジャー兄さんの胴体が二つに分かれる。……どっちの声だ、今の。

というか、乱暴すぎるだろ。


「とと、嬢ちゃんはこっちな?」

「……誰が嬢ちゃんだ、誰が」


本能的に命に惹き付けられたのか、レオナルドの方に吸い寄せられる感覚。……仕方なく、しがみついて様子を見る。


「……オレら以外全員死んでっからな、ここでお別れだ」


エリザベスが何事か呟くと、見えない壁ができる。……しっかりと、「断絶」を感じた。

向こう側で、レニーがにししと笑う。


「じゃあな、兄弟。楽しかったぜ」

「……サーラちゃんと会わなくていいのかよ」

「未練はそろそろ断ち切りなって伝えとけ。俺好みの人妻になったら地獄の底からでも夜這いに行ってやるかも……とも、な」

「レニー、お前の好みって熟女じゃなかったっけ」

「バカ野郎、何でどうでもいいことは覚えてんだ」


和気あいあいと語りながら、双子は別れの挨拶と思えない気楽さで語り合う。

ロジャー兄さんはほとんど骨だけになりながら、こちらを見つめていた。


「……なにか伝言はない?ロブか、ロッドか……義姉さんにでもいいけど」

「何も言うことはない。……ああ。一つだけある。ロデリックと式を挙げるなら、私の葬式をした教会は辞めておけ。あそこは棺桶の扱いが雑だった」

「クソほどお節介な口コミありがとう。……参考にする」


意識が光に溶けていく。あちら側で、思念の塊がばらばらと解けていくのが見えた。……コルネリスがようやく真っ当に「悪」を捌いているのが、目に浮かぶようだった。




意識が……肉体が、痛みを訴えている。

ぽたりと、頬に熱い雫が落ちたのを感じる。


「……ただいま」


涙の溜まった、ヘーゼル……いや、ライトブラウンの瞳と目が合う。


「髭、ちゃんと剃れって言ったろ」

「……ッ、うう……」


ずき、ずき、と身体は痛み続けるけれど、久しぶりに重なった鼓動が心地良くて、どうでも良くなった。


「……ロッド。直接、会いたかった。こうして話したかった」


兄でも、姉でもなく、アンドレアとして、この温もりに包まれたかった。


「アン、ごめんな。苦しい思いさせて……助けて、やれなくて……」


ロッドは俺を抱きしめて、情けなく泣いた。

ベッドが斜めに傾いていて良かった。身体の動かし方を忘れて、起き上がれない。


「こっちこそ、ごめん。……変なことに巻き込んだ」

「そんなのいいよ!全然いい……!むしろ、もっと早くても良かった……!!」


抱きしめる腕は震えている。優しくて、頼りなくて……愛おしかった。




***




「ロバートくん、これからどうすんの?」


グリゴリーの言葉に、すぐには返答できなかった。


「……レヴィくんの手助け、できないのかな」

「あー……あいつ、茨の道の方選んじゃったんだっけ……?」


イオリちゃんの方に尋ねつつ、グリゴリーは気まずそうに腕を組んだ。


「……闇に堕ちるでもなく、ちゃんとした意志で()()()を選べたのはすごいけど……でも、やっぱ一人じゃ大変かも……?」


珍しく、イオリちゃんの表情も曇っているように見えた。

メールの着信音が響く。ガタタッと音を立て、イオリちゃんとグリゴリーも画面を覗いてくる。

ローザ姉さんは苦笑しつつ、薬指のリングを撫でていた。


『ロバートくん、メールありがとう。……君のそういう優しさが、レヴィくんの背中を押したんだね』


簡素に綴られる言葉。……時々、空白や文字化けが目立つけど、何とか読める。


『彼の憎しみは消えない。……だけど、彼は人の善性も信じた。矛盾しているように見えるけど……彼は、世界を愛してもいるから』


「1人で、大丈夫なの?」と、そう、送る。


『「そばにいたい」の間違いじゃなくて?』


図星を刺された。もう表情は見えていないはずなのに……。……いや、見えてるのかな?もしかして。


『1人じゃないよ。まだ「贖罪」が必要な罪人もいるし。……ノエルはそっちだし、後で呼びつけられる……って、ぼやいてた』


あ、なるほど、とイオリちゃんが声を上げた。


「レヴィさんの目的は、破綻するほど溢れ出した負の感情の整理。……だから、仕事も一応ちゃんと終わりがある。人手もあんなら、まあ問題ない……かも……?」

「……無理は、して欲しくないな」


ピロリ、と、メールの着信。


『エリザベスさんが無理させないでしょ。あの人、ロナルドあたりと接触したら割と正常化するし。ロナルドもエリザベスさんの能力には弱いし』


何その、マイナスとマイナスかけたらプラスになる現象。知らなかったんだけど。


「あー……赤毛の娼婦……の噂、そういうことか……」


グリゴリーのぼやき。ああー……なるほど……。あの人が形を保てなくなり、コソコソ影で動く羽目になったのって……。


「……まあ……10代前半が一番好みとはいえ……守備範囲、そこそこ広いものね……。……それにしても、しぶとい人ねぇ……」


姉さんが呆れたようにため息をつく。

……アンダーソン家って、変態しかいないのかな……。

まあ、ロッド兄さんはそうでもない気はするけど。


『ロバートくん、そこ、ケベック・シティだよね』

「え? あ、そっか、この医院から外はそうなるんだ……」

『きっと、もう入口は閉ざされる。君もロンドンに帰れるよ。……だから……


最後に、モントリオールのブリーズ・ジャルダンに来て欲しい。

場所は、ブライアンに聞けばわかるから。


Camille-Chrétien Barbier』


そのメールを最後に、カミーユさんからの返信は途絶えた。


ロッド兄さんからもメールが届く。……ロー兄さん……いや、「アン姉さん」の目が覚めた、という報告だった。

……眠っているブライアンに目を向ける。


「悪いなんて、思わなくていいのよ。むしろ、その方が侮辱にもなるわ」


ローザ姉さんに釘を刺されて、邪念を振り払う。

死者はあるべき場所に還り、生者はあるべき日常に帰る。

……ただし、例外を除いて。

僕には、まだやるべきことがある。




***




「……早く起こしすぎたら、あっちの役目が途中になるかもって……アドルフが……」

「……うん、ちゃんと終わったよ。ありがとう、ロッド」


手を握って、彼女が自分から目覚めるのを待っていた。……どうやら、何とか区切りはついたらしい。

前より痩せて髪も伸びて、でも相変わらず愛嬌がある。色気なんか、むしろ増した気さえする。……なんて、ぼうっと見蕩れていたらデコピンされた。


「ロッドだけ?」

「……まあ……今は……」


額を押さえつつ答える。さっき、サーラがアドルフを引きずって廊下に出ていったことは隠した。


「……ロー兄さん、俺は、あの日々に戻ろうとは思ってない」

「うん。……それで?」


あの日々は、終わらせなければいけない。

とっくに終わった時間は、過去にしなくてはいけない。

だから、


「新しく、その……別の、家族になろうと思う」


きょと、と、アンは目を見開いた。

左目の泣きぼくろが、じわりと滲んだように見える。


「……馬鹿だな。ほんと馬鹿だ。こんな身体で、もう若くもないのに……子供だって、産めるかどうか……」

「アンこそ、馬鹿なこと言うな。……ほかの誰かでいいなら、とっくに恋人なり婚約者なり作ってる」


隣でアンが笑ってくれるなら、

この温もりが、傍らにあるのなら、

……それ以上に、幸せなことなんてない。


「……俺の書いた話、読んでくれてた?」

「読んでたよ。……意識はぼんやりしてたけど、童話くらいなら読めた」

「…………あの主人公……俺と、アンの子どものつもりで書いてた」


あの雨の日の夢を、何度も、何度も繰り返し思い返した。

そのうち、妄想の中で子どもが生まれて育った……つったら、引かれるよな、さすがに。


「ああ、産ませたんだ。思春期によくあるやつ?」


……普通にバレるあたり、この人に隠し事は無駄らしい。

ダメだ。顔から火がでそう。向こうが恥じらってないのが余計に恥ずかしい。


「……そこまで思ってくれてるなら、遠慮する方が野暮かな」


照れたように微笑んで、アンは、まだ上手く動かない腕をこちらに伸ばす。俺の方から近づくと、痩せた指が唇をなぞる。


「愛してる」


顔に血が上りすぎて、何がなにやらわからなくなってきた。


「あっ、えっと、……俺も、その、25年くらい前から好きでした……」

「知ってる。15年前、ベッドの上で散々聞いた」

「えっ、俺ちゃんと好きって言ってた!?」

「ばっちり言ってた。アン以外じゃ抜けないとも言ってた」


ちくしょう。若い時の俺を殴りたい……。

つつ、と、手のひらが頬を覆う。……すぐに意図を察した。


「……き、キス、しても、いいですか……?」

「どうぞ」


いたずらっぽく笑う口元に、恐る恐る唇で触れる。

……ドアの隙間から写メを撮るサーラと、止めようとしつつガン見してるアドルフのことは見なかったことにした。

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