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敗者の街 ― Requiem to the past ― ※旧版  作者: Roderick Anderson (訳:淡月悠生)
最終章 After Resounding Requiem
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69.「死と生の境界」

メールの着信音が凄まじいことになって飛び上がった。

ロッド兄さんが情報を一気に送信してきたかららしい。……ローザ姉さんにも手伝ってもらいつつ、状況をまとめる。


「……聞いてない」

「仕方ないんじゃないかしら?知らない情報だらけなのも当たり前……」

「ロッド兄さん、恋愛相談くらいしてくれたら良かったのに……!ロー兄さんもロー兄さんだよ!姉さんって呼んでもいいならそう呼んだのに!」


やっぱり僕ばっかり置いていかれている気がして腹が立つ。まあ、確かに一番年下だし、頼りないし、甘いかもしれないけどさ……


「そうねぇ……傷つけたくないとか、純粋でいて欲しいって言うのも、愛に見せかけてエゴイズムの塊だものねぇ」


ローザ姉さんは呆れたように笑っている。……と、昔の写真が差し出された。


「……え?」

「持っていなかったんでしょう?今なら記憶を揺さぶられても大丈夫と思って」


……兄弟と、幼馴染で撮った写真だった。

今見ればロジャー兄さんの姿がさまよっていた「ロー兄さん」そのものだと分かるし、本来のロー兄さん……アン姉さんも顔立ちは似ているものの、身長や泣きぼくろに違和感がある。……いや、本当はそっちが正しいんだろうけど。

ロナルド兄さんの顔もしっかり写っている。平凡で、どこにでもいそうな人だった。


「……そっか、アン姉さん、確か看護師の資格を取って陸軍に行こうとしてたんだっけ」


ロジャー兄さんは案外頼りないからな……と、そう、言っていた気もする。


「そうだったわね。……あの子はきっと、痛みに耐えるために偽りの自分を作り出したのでしょう。本来の自分(アンドレア)と切り離して、心を守ろうとした」


そして、一番幼くて一番騙されやすかった僕が鍵だった。

僕が「そうでありたい」姿を察知して振る舞う限り、背負いすぎて疲弊したロジャー兄さんも痛みで擦り切れたアン姉さんも、「ローランド兄さん」でいられる。……だけど、それは僕の認識の歪みに依存していることになる。

僕が違和感を自覚することで、(つくろ)った仮面にもヒビが入って……


「……意識は戻っていたらしいのよ。何度も手術を重ねて、肉体は生存になんの問題もなくなったわ」


切断された脚だって縫合(ほうごう)したら繋がる……と、事故の凄惨(せいさん)さと、医療の発展を同時に伝えられる。


「胃腸なんか、ダイエットでわざわざ切る人もいるらしいわね」


だけど、精神的な苦痛が段違いだった。


「抜け殻なんですって。意識は戻っているはずなのに、ずっと反応がなくて会話もできない。検査をしても異常が分からないから、手を打つこともできない」


僕らが「ロー兄さん」と呼んでいたあの肉体はロジャー兄さんのもので、基本的には骨だけの体だ。痛みなんてものはない。……痛みの理由が精神的なもので、本来の身体に引きずられていると言うのなら、カミーユさんの言っていたこともわかる。


──どうして死んでるのにそこまで痛むんだろう


カミーユさんがやたらと精神的な苦痛を欲するのは、肉体的な苦痛が薄くて物足りないから……なのかもしれない……?いや、そこはちょっと分からないな。僕は痛いの嫌だし……


「ごめんねー。こっちの患者優先してた。ただいま」


グリゴリーさんが、眠っているブライアンを背負って帰ってくる。よいしょ、と診察室のベッドに寝かせて、ぽんぽんと頭を撫でていた。

……きゅ、と、火傷の痕で引きつれた指が、白衣の裾を握っている。


「……イオリから聞いたんだけど、あそこって肉体よりも魂を優先する場所っぽいよな。だから、ブライアンも感情を知覚できたのかも……って」


荒療治(あらりょうじ)だけど、大事なステップだった気もする……と、グリゴリーは語る。


「精神の傷って難しいんだよ。……目に見えないし、そのくせ影響がデカいのなんの」


俺もまだ、クソガキ見るとぶん殴りたくなるし……と、吐き捨てるように告げる。


「……だから、まともな感性なのに悪意ゼロで接してくれるロバートくんって、結構貴重な人材だったと思う」


その言葉が、なんでか分からないけど胸に染みた。


「ありがとうね。必死に頑張ってくれて。……たぶん、あとは向こうで何とかできるから……メールかなにか一通送ってやったら?」


目頭が熱くなる。涙が溢れて止まらない。拭っても拭っても、視界が霞んだ。


ひとしきり泣いた後、ロッド兄さんが教えてくれたアドレスに初めてメールを送った。「Sang-CCB@GGmail.kom」……カミーユさんのアドレスだ。




***




「ローランド君たち、どこ行ったんだろうね」


ロジャーが突如空間の裂け目に身を投げ、あたりは静寂に包まれていた。


「……まあ、彼らも止める気はなさそうだね。たぶんだけど、向こうに悪影響与えないよう、入口の整備でも考えてるんじゃない?今のままじゃ、生きてる人も普通に迷い込んでるし……」


生と死が混ざりすぎると、生者には影響受けた時のリスクが大きいし、死者には存在するためのコストが大きいしね……と、カミーユは小さくため息をつく。


「カミーユさん、今でも俺には不可能だと思っているか?」

「……不可能だとは思わないよ。……でも……。……いや、やっぱりなんでもない」


静寂(しじま)に響く、レヴィの問い。君にやらせたくはない、という言葉を飲み込み、カミーユは軽く肩を竦めた。


「コルネリスの考えも間違ってはいない。悪には真っ当な裁きが必要だ。……だが、奴はそれを()()()()()()()()行おうとした。自らの悪性から目を逸らした愚行だ」


憎悪を瞳に宿したまま、確固たる信念が燃える。


「だから、俺は誰にも文句を言われない正当な手段で復讐を続ける。多数決でも、独善でもない。……客観的な基準で、相応の罰を個別に与える場が必要だ」

「……なるほどね。君と因縁がある相手だけ放置が多かった理由、何となくわかったよ」

「……どうしても私情が混ざりやすいからな」

「じゃあ、」


蒼い視線が、翠の瞳を射抜く。


「僕には、どんな罰を与えてくれる?」


死の瞬間、生存を望むよりも、死してなお描く道を探したこと。

最期の作品になるかもしれないと、半ば妥協で自らの死に様にサインを残したこと。

弟を救えなかったこと。

……そして、恋人を殺したことを、カミーユは罪として抱えてきた。


「……エレーヌ・アルノーには確かに殺意があった。本気で殺すつもりで向かってきたのだろう。……あとの選択は……個人の自由だとしか言いようがない」


何よりも残酷な言葉を、真っ直ぐに、彼は語った。


「今、この瞬間において、あなたに与えるべき罰は存在しない。……例え、あなたがそれを望んでいたとしてもだ」

「……そう」


くるりと踵を返し、カミーユは、レヴィに背を向ける。


「強くなったね、レヴィくん。テレビの画面を叩き割った頃が懐かしいや」

「……あの時期は、まあ……荒れていたからな……」

「あはは、僕にとっては結構愛おしい思い出だったりするんだよ?」


晴れやかで、それでいて曇りのある笑顔は、解放の(よろこ)びと別離の(うれ)いに満ちていた。


「ありがとう」


ひらりと手を挙げ、カミーユは歩き去っていく。

これで、未練はなくなった。……彼のやりたいことは、ボクにはよくわかっている。


「サワ、僕達の役目は終わったよ。……だから、仕上げに行こうか」


「Sang」の作品は二部構成だ。最期の作品がアレでは、少々見苦しい。

どうやらそれは、カミーユもノエルも、モナミも……我ら「Sang」メンバーの共通認識だったらしい。


「カミーユさん」


レヴィの呼びかけには振り返らない。


「……、Au revoir(また会おう).」

Adieu(もう会えないよ).」


別れの言葉に、レヴィはゆっくりと頷いた。

ひらりと、カミーユの右手が挙がる。


Fait de(せめて) beaux(よい) rêves(夢を).」


恩人の遠ざかる背を見送り、やがてレヴィも歩み出す。

悲嘆にくれる泣き声、救済を願う声、怨嗟の叫び声が渦巻く闇の方へ、彼は躊躇(ためら)いもなく進んでいった。




***




「待ってたぜ、コルネリス。お前さんなら向き合えると俺も思ってた。まあちっとばかし疑ってたけど」


軍服の男が1人、中には3人。

向かい合うのは獅子の名を持つ双子。


「レニー、言ってたもんな。もうちょいちゃんとしてたらサーラちゃんも任せられたって」

「そういうのは本人の前で言うもんじゃねぇぜ兄弟」


赤々と黄昏(たそがれ)に燃える路地裏が、背後には広がっている。……金髪の女性が1人、頭を抱えてうずくまっている。

コルネリスは一言、「任せられても振り向かせられなかったけど」と毒づいた。


「さて、ロジャー、お前さんの本当の目的を教えな。復活ってのが嘘だってのは分かってんだ」

「……そうだな。この際だから言っておこう」


サファイアブルーが揺らめく。


「私に目的などはない。もう既に終わった生だと……何度も突きつけられてきた現実に抗うほどの気力もない。……ただ、弟達と、愛する妻に良いところを見せたかっただけの話だ」

「うっわ面白くねぇ……ロナルドの方が数段面白かったぜ?訳わかんなかったけど」

「……俺がなぜ、ロンの攻撃であっさり自我を揺らがせたかっていうとな……俺自身が、あいつを心底羨ましく感じてたからだ」


不自由な世界を、あれほど自由に満喫した男を他に知らない……と、ロジャーは独りごちた。


「……っと、ここで役割分担だ。Wレオがエリザベスと話をつけっから、ロジャー、コルネリスは死者の魂を押し留めろ。そんで、ローランドはロジャーの補佐な。やばくなったら逃げろ。で、俺が指揮だ」

「……なんで、俺は逃げろって言われてるの?」

「いや、だってお前さんは生きてっからな」

「えっ、俺生きてるの?嘘だろ?」

「……本気で気付いていなかったのか……」


……どこか、離れて見ていた「俺」の感覚がまたひとつ、戻っていく気がした。

レニーのテキパキとした指示に、屈んでいたレオナルドもすっくと立ち上がる。


「んじゃ、頼んだぜ兄弟」

「おうよ、任せろレニー」


うずくまり、金髪を掻きむしるエリザベスにレオナルドは歩み寄る。


「近寄るな!!どうせオマエたちもワタシが哀れだと……愚かだと蔑んでいるんだ!!」

「いいや?全然」


睨みつける視線に臆することなく、レオナルドは視線を合わせる。


「オレよぉ、一人目の嫁さんにはフられたし二人目は死なせちまったんだわ」

「……何が言いたい……」


ギロりと血走った視線が逸らされることはない。


「……何が言いてぇんだっけ?」

「マジか。そこで忘れんのかよ」


レニーが間発入れず突っ込む。

ずっこけて思わず腰が落ちそうになった。こいつ……想像以上にバカなんじゃ……?


「まあ、アレだ。世界は酷いかもしれねぇし、キツいことばっかかもしれねぇけどよ、オレは今もおっぱいのでかいべっぴんさんに会えて良かったって思ってんぜ。おめーが思うより人それぞれなんじゃね?「救い」ってよ」

「……ワタシには、そんなの……理解できない。……でも……レヴィが、我が子が、私の救いを望んでいないって……カミーユが……」


項垂(うなだ)れるエリザベスの背後で、闇が渦巻いた。

自我をなくし、(かせ)すらも外れかけた悪意たちが、「器」を奪おうと狙っている。

闇は次々と集まり、巨大な(かたまり)となって唸り声をあげる。

揺らぎに乗じて、弱点を突こうとしているらしい。


「……よし来た、アレを何とかする」

「ふむ、思念の塊のようなものか……1箇所に集まっている以上、まだ楽だな」

「楽……!?めちゃくちゃ強そうにしか見えないのにか!?」


コルネリスは焦りながらも、俺を遠ざけようと肉体の発言権を奪う。

ロジャー兄さんの言いたいことはわかるけど、一発で始末できる爆薬も火器もここにはない。


「……え?……ロジャー兄さん、アリだとするなら毒……ってローランドが言ってる」

「毒を以て毒を制す……か……。しかし、どうやって?」

「……ロナルド兄さん、()()()()んだろ……って、ローランドが……って、ええ……!?」


レオナルドの影がわずかに揺らめく。「げぇ、マジかよ」とレニーも眉をひそめる。……あの人の気配を察知するのには慣れてるんだ。慣れたくなかったけど。

何を思ったか、ロジャー兄さんは自分からその影に近づいた。


「ロン、和解しよう。……事が終われば残りの一生分、私の体を好きに使わせてやる」

「物は言いようだね。おそらく10分もないじゃないか」


ひび割れた声が響く。影を伝って、ロナルド兄さんはロジャー兄さんの肉体をはい上がる。

思わず、俺とコルネリスも身震いした。普通に気持ち悪い。


「私は「ロナルド・アンダーソン」という男が羨ましくて仕方なかった。それこそ、君になりたいと思ったこともある」

「おや、それならどうして抗ったんだい?」

「簡単な話だ。兄妹になってしまえばローザと愛し合えない」


ああ、うん、それは大事だな。確かに。

ロナルド兄さんは心底呆れたように、「……また惚気(のろけ)か……」とぼやいていた。

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