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敗者の街 ― Requiem to the past ― ※旧版  作者: Roderick Anderson (訳:淡月悠生)
最終章 After Resounding Requiem
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68. 対峙

「……アドルフさん、そろそろ読み終わりましたか?」

「……GoGoal翻訳でちまちまやってるんで……」


アドルフは器用に原稿をテーブルに置いて、片手でスマホを操作している。

……地味にすげぇと思った。


「……しかし、喫茶店で待機なんてねぇ。すぐ飛んでいこうとするもんかと思ってたけど」

「ちょっと考えたんです。……あの肉体が誰のものかとか、今、あの人がどういう状態か、とか……」

「キツイ思いしてんのは間違いない。とっとと目覚めさせてやりなよ」


サーラは痺れを切らしたように言うけれど、まだ起こせない予感をひしひしと感じていた。その理由は、うまく説明できない。


「……痛みは、変わらねぇよ」

「……アドルフさん?」

「生きてるから痛むなら……一生モノだ」


なんとか言葉を選びながら伝えて、アドルフは片方しかない自分の腕を指し示した。


「……耐えられなかった。から、薬に頼りすぎた。もう痛覚も味覚も……ずいぶん鈍い」

「そ、それじゃ……」


サーラが息を呑む。その続きを言えず、俺の方をちらりと見る。

そう、分かっている。彼女を生かしたいと思うことは、つまり……


「……俺は、愛する人を死ぬより苦しい目にあわせ続ける道を選ぼうとしてるんです」


生きていて欲しい。俺の隣で、また笑って欲しい。

……たったそれだけの願いでも、それがあの人にとってどれほど酷なことか、分かっている。分かっているけど……それでも、諦めきれない。


「無理やり起こす前に、ちゃんと本人に聞こうと思うんです。……真剣に向き合えばきっと、答えてくれると思う」


いつも着ていた白いシャツ。眠れない夜に入れてくれたクソ不味いカモミールティー。ロバートとの喧嘩で落ちてきた容赦ないゲンコツ。うちのクソ兄貴との口論で首を絞められ、壁際で1人泣いた姿。自分も大変なのに、俺を心配して会いに来てくれた雨の夜……


腐った瓶詰めの中身をかき出して、そこに残ったのは、今もなおあたたかい、懐かしい日々。……もう戻らないからこそ、違った形の続きを探したい。


「もし、あの人が終わらせたいと願うなら、……その時は……その時は、……けじめを付けようと、思います」


だけど、せめて、会いたい。




***




痛みの中をたゆたっていた意識に、ほんの少し、温度が宿った気がした。俺は、誰だっけ。俺は……ローランド……。……本当に、それだけが名前だっただろうか。


──えっと……これ、あげる


泣き疲れた俺に一輪だけのバラを差し出して、少年は照れたように俯いた。


──野花だと、生きてるのに摘むのはダメって言ってただろ?……だから、お金出して買ってきた


義姉さんに花束を渡したうちの兄貴を見ていたんだろうけど、彼にも意味がわかっていたんだろうか。……バラを送る、その意味を。


──ありがとう、ロッド


俺はその日、2度目の恋をした。

そういえば、将来子どもができたら、自分の本を読ませたい……なんて、言っていたっけ。

……産めなかったなぁ……


「……君も、女の子だったのか」


聞き覚えのある声がする。


「……どっちでもいいよ。穏やかで優しいあの時間があれば、性別 なんかどっちでもよかった」


痛くて、痛くて、痛くて、とにかく痛くて苦しくて、逃げ出したくて、楽になりたくて、いつの間にかロジャー兄さんの墓にたどり着いていた。

あの人の自我はかなり薄れていて、それでも、必死に俺を助けてくれた。


「……二人分なのに曖昧で、僕に付け込む隙があったなんて……」


言葉を詰まらせる「キース」。……哀れまれているようだけど、そういうのはいい。今、一番いらない。


「お前も曖昧だっただろ。自分はしっかりしてるみたいに思い込みやがって、馬鹿なんじゃないの?」

「……手厳しいな。悪かったとは思ってるんだ。執着したのが正義とはいえ、君たちの自我を押しやってしまって申し訳ない」

「……俺、正義って言葉嫌いだ」

「?君も正義感が強いように見えたけど……。人間嫌いなのに結局世話焼きで、親切なところは変わらない」

「心外だな。人に親切にするのに、正義とか好き嫌いとか関係ないだろ。……理由なんか要らないんだよ、そんなの」


ここは、どこだろう。腹が痛い。あの日から、ずっと裂け続けているみたいに痛む。俺は、どこにいるんだろう。


「……僕は、悪を消していけばいつか平和な世界になると思っていた」

「独り善がりだな。その結果があれだろ?」

「そうだね。……だけど、向き合うのが遅すぎた」

「……」


暗澹に響く嗚咽。自分の輪郭も思い描けないのに、痛みだけが身体の中心を蝕んでいる。


「……だけど、これだけは分かる」

「……何が?」

「救いようのない悪から、君のような人を守るのが僕の仕事だってことだ」


すぐに浮かんだのは、ロナルド兄さんの顔だった。

……ロジャー兄さんはあの時、どんな気持ちで幼馴染を焼き払ったんだろう。


「僕はもう、この世に留まる理由も無くしてしまったけど……「キース・サリンジャー」の概念は、きっと君を守ってくれる」

「……コルネリス」


コルネリスは幾度目かのレヴィの怒りに当てられて摩耗し、俺からも引き離され、次の依代にロブを選んだ。……間違いに気づかないまま、過ちを重ね続けた。


「ロバートには感謝してもしきれないな。……「君なら向き合える」……って言葉が、本当に嬉しかった」


傍らにいた存在が形をなくしていく。……皮膜のように、魂そのものを何かが覆っていく。

……そういえば、あの掲示板に書いた情報、ロッドは見てくれたのかな。


どうだっていい。今はただ、会いたい。


空間が裂けて、一筋、光が差した。


「……!キース……!?」


ポロリとくわえたタバコを落とし、彼は目を丸くした。


「アドルフ、大丈夫だ。「悪夢」の方じゃない」


ローランドを隠しつつ、コルネリスとして語る。

隣にサーラがいる。名残惜しいけど、今言葉を交わせば未練が吹き出してしまう。

もう1人はロデリックか。……結局僕は一度も友達になったことがなかったから、詳しくは知らない。


「……じゃあ、どうやってこっちに……」


ローランド、もう大丈夫だ。……ここまで来たら、どんな悪意も追ってこない。

償いとか、同情とか、そういう類じゃない。警官の仕事をしてるだけだ。気にしないで欲しい。


「迷子がいたから、連れてきた」


皮膜が弾けるように、視界が開ける。


「……消えた……?」

「何言ってんだい。別人になったんだよ」

「……見えねぇ……けど……」


ロッドと、手が重なる。

見当違いの箇所を視線で追いながら、ロッドは目を見開いた。


「……アン?」


ああ、そうだ。ようやく思い出した。


「ロッド、」


この想いすらなくなるくらいなら、痛くていい。苦しくてもいい。……忘れたくない。


「待ってて。また、会いに行く」


その言葉が伝わったのか、俺にはわからない。

わなわなと震える唇に、ひとつ、キスを落とす。


「……!任せな。わからないほど鈍かったら、あたしが懇切丁寧に説明してやるよ」


瞳をうるませた女性に「ありがとう」と告げて、再び闇の中へと向かう。

……こちらも、意志は固まった。


「……コルネリス。今度こそ、間違えるなよ」


まだ終わってない。……未来を掴み取るために、弟ばかりに任せてはいられない。


「兄貴、もう少し頑張れよ。弱音ならいくらでも後で聞いてやるから」


ほとんど骨だけのロジャー兄さんに語りかける。ため息をつきつつ、彼は半分だけの顔で微笑んでみせた。


「……弱音を吐くようなことは何もない。私には心強い参謀がいる」


レヴィはおそらく、本気で秩序を作り出し、死の世界を安定させるつもりだ。……簡単な仕事じゃないだろうけど、今の彼にならそれができる。

それなら、俺達がするべきことは一つ。


「軍人は、民を守るのが古からの役割だ。任せたまえよ」

「オマケだけど警察もいるしな。……なんだよコルネリス。オマケじゃない?防犯装置って言った方がいいか?」

「……さては、コルネリスがロバートにしたことを怒っているな?全く持って同意見だ。……それはそうとしてアンドレア。お前は将来何になりたいんだったか」

「看護学校行ってたの普通忘れるか?本場だろ」

「お前も忘れていただろうが……!」


昔みたいなやり取りが懐かしくて、つい笑ってしまった。




***




金髪の青年が消えたあとには、誰もいなかった。……そう、見えた。

指先から伝わった温もりが懐かしくて、思わず名前を呼んだ。

唇に触れた光が、確かに微笑む。……声は聞こえなかったけど、それだけで気力がみなぎった。


カバンからノートパソコンを取り出すと、真っ黒だった画面がぱっと明るくなる。


「……!戻ってる……!」


画面に浮かび上がる、あの掲示板。

このパソコンでなら全てのデータを見られるらしい。

新しい書き込みも増えている。HNは「Sang」……カミーユさんか、憑依した誰かだ。疲弊しているだろうに……。


「……投稿日、2004年12月3日……?もうめちゃくちゃだな……」

「ハッキングの才能あるやつでもいたんじゃないかい?力技でゴリ押したら無理が効くもんだろ。幽霊なんだし」


なんだその、幽霊への雑な偏見。


「好きな人が帰ってきた時ちゃんと受け止められるよう、準備しときな。お姫様抱っこできる筋力もついでにつけとくかい?」

「……アドルフさんに今度教わります」


アドルフはしばし何もない空間を見つめていたが、やがて、


Alles(健闘を) gute(祈る).」


と、それだけ呟いて右腕を上げた。

上腕の半分しかない腕で、彼はしばらく敬礼していた。

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