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敗者の街 ― Requiem to the past ― ※旧版  作者: Roderick Anderson (訳:淡月悠生)
最終章 After Resounding Requiem
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67. 「愛したひと」

「レヴィくん、いいの?」


憑き物が落ちたかのように、穏やかに息をつく赤毛の青年に、静かな問いが投げかけられた。


「ああ。……これで良かった」


ゆらりと立ち上がり、レヴィは口元の血を手の甲で拭う。血のように赤い髪が、青白い首筋に落ちていた。


「……これ以上、あの優しさ(ぬくもり)に触れれば未練が余計に強くなる。……あるいは、うっかり最期を受け入れてしまうかもしれん」

「どうだろう。君にとって終焉は救いでもあるんじゃない?……僕は、そっちでも全然いいと思う」


蒼い瞳が、ちらともう一人の「半死半生」を捉える。

透明な涙が頬を伝い、ターコイズブルーの青色だけが濃くなっていく。


「……何はともあれ、ロバートの精神を思えば、あそこで隔離したのは賢明だろう。無理をしていたことは見ればわかる」


死者に憑依した生者(ローランド)の意識は、再び深層に潜り込んだらしい。

ロジャーは白骨化していく自身の肉体を眺め、静かに腕を組んだ。


「復讐を続ける……と、言ったな、レヴィ」

「ああ。……何も生まない復讐が有害となるのなら……()()()()()()()()()()()()()()()であれば、問題はないはずだ」


深い森を思わせる緑が、激しい憎悪と強い決意を宿し、燦然と光る。


「……へぇ」


その様子を、カミーユは意外そうに見つめていた。




***




「自分が生きてるって忘れるな、ロバート」


穏やかな声が、僕の意識を包む。


「無理はさせない。死なせるわけにはいかないからな」


僕を抱えあげたまま、男は悠々と語っている。


「……よし、今なら行ける」


確かに、僕を担ぎあげた腕に力がこもった。


「逃がしません。逃がしません。誰一人逃がしません」


取り乱すような、言い聞かせるような、暗示するような、不安定な女性の声。


「エリー、悪かった。……俺たちは後でゆっくり話し合える。ロバートは通してやってくれ」

「例外は認めません。死のうが壊れようが、ここにいれば平穏な日々を約束します」

「……ごめんな、エリー。壊したのは、俺だな」


ぼんやりと会話を聞いていると、ふわりと身体が浮いた。


……浮いた?あれ?飛んでない?僕飛んでる?


「な……っ!?」


女性の声がいつの間にか背後に回っている。

違う、たぶん僕が移動し……投げられたよねこれ!?


「あだっ!?」


深く考える暇もなく、何かに激突した。目を開けると、体の下に亜麻色の長髪が見える。

……僕を受け止めてくれたらしい。


「……いたい……」

「ご、ごめんね!?大丈夫!?」


ブライアンが、下敷きになったまま軽く呻いていた。

振り返ると、赤く染まった路地裏の光景は消え失せ……

……カミーユさんが「ケベック・シティ」だと語った、医院の裏路地が目に入る。


「……無理、だめ。次、グリゴリーさんの診察」


有無を言わさず、ブライアンは僕の腕を握った。


「ロバート……も、心、壊れたら……大変……」


それだけ告げて、空色の瞳から光が消えていく。

どこか虚ろな表情で、ブライアンは地面を見つめ続けていた。


「……気にしないでいいよ。それがいつもの状態だから」


医院の裏口を開け、グリゴリーが顔を出している。


「とりあえず入れ」

「……でも」


僕のためらいを察してか、隣から庵ちゃんがひょこっと顔を出した。


「生きてる側だからできることもあんの。……ほら、入って入って」


ぼんやりと地面を見つめるブライアンを気にしつつ、中に入る。

グリゴリーが何か話しかけているけど……彼は今後、どうなるんだろう。


「大変だと思うよ。身体も心もボロボロだもん。……でも、辛うじて生きてるし……後は、本人しだいってとこ?」


庵ちゃんの言葉に、胸が痛んだ。

グリゴリーが屈むと、縋り付くように傷痕だらけの手が伸びる。パタンと閉じられた裏口の向こうから、嗚咽が響いてきた。……それはやがて慟哭に変わり、青年は言葉にならない嘆きを叫び続ける。


「ブライアン……」

「あらぁ、人の心配をしている場合かしら?」


ビクッ、と肩が跳ねるのがわかった。

おそるおそる振り返ると、ローザ姉さんが笑ってこちらを見ている。……瞳は笑っていない。


「いおが呼んどいたの。……じゃあおば様、後でケーキ奢ってね~」

「ええ、取っておきの店を教えてあげるわ、イオリ。……ロバートは、とりあえず何を見たのか教えてちょうだい」


よく見れば、あんなに濃かった化粧が、簡素で最低限なものに変わっている。


「……ロジャー兄さんに、会った」

「あら、そう」

「ローザ姉さんのこと、今でも深く愛してるって。……それが、いつだって最重要事項だ……って」

「……そう」


馬鹿な人、と呟きながら、彼女は声を詰まらせた。


「……私も愛してるわ。……でもね、もういいのよ。部下達とは趣味のギブアンドテイク(サドマゾ)が成立しているし、仕事も充実しているもの」

「……ローザ姉さん……」

「強がってたでしょう、あの人。……本当はゆっくり眠りたいくせに」


いつだって、背負った責任から逃げようとしない。

馬鹿って、死んでも治らないのかしら。


ぽつりぽつりと、零れる言葉には深い愛情が滲んでいた。

……誰が邪魔をしたって、死がふたりを隔てたって、変わらないものがそこにあった。


「もっとも、ロバートの前でいいところを見せたかったのかもしれないけど。……年の離れた弟だもの、可愛くて仕方なかったみたいだし」


姉さんはくすくすと笑っていたけど、僕は、ロジャー兄さんのそういうところが嫌いだった。

……弱みをひとつも見せてくれないまま弱って、死んでいくようなところが大嫌いだった。


「そういえば、ロバート。ロデリックが書き込んだ掲示板……って、どこのことかしら?」


切り替えた態度で、姉さんはスマートフォンを取り出した。電波の悪さに悩みながら、なにか操作している。


「……えーとね。キースに取り憑かれてる間に色々記憶が飛んでっちゃってて……僕も分からないんだよね……」

「そう……。実はね、レニーが書き込むのに苦労したって言っていたの」

「レニーさんが……?……っていうか、ロッド兄さんは?こっちに来たって聞いたよ?」

「……来ていないわよ。そう見せかけた人がいたってだけの話」


ヘーゼルの瞳が、沈痛な光を宿す。

……それ以上、何も追求できなかった。




***




──ロッド、そばにいていい?


あの雨の夜、抱き合った身体は震えていた。


──名前で呼んで。……兄さんとか、姉さんとか、そういうの……今は、忘れたい


何度も懸想したなだらかな稜線と、柔らかな唇の感触。

夢だったのか、現実だったのか……今ではもう、わからない。


「……ロデリック、何ぼんやりしてんだい」


サーラの言葉でハッと我に返る。

アドルフはタバコをふかしつつ、俺が渡した資料を読んでいた。

表情は読めないが、顎を伝うほど冷や汗が吹き出しているのはわかる。


「……本当に、生きてるんですよね。あの人……」

「咄嗟に掴んだ枕木で腹を守ったから、内臓の損傷は消化器官の一部で済んだらしい。……ただ、母体の出血やら打撃やらのショックで、腹の子は助からなかった……ってさ」

「……だったら、あの体は……?」


……俺たちは、確かに心を通わせて、結ばれたはずだった。

互いに「好きだ」とも言わなかったけど、目を見ればわかった気がした。それが勘違いだったのかもしれないし、そもそもが都合のいい夢だろうと言われれば……否定は、できない。

あの子は男になりたかった……ってナタリーさんの言葉が真実だと、ロジャーさんそっくりの格好が示している。……そう思っていたのもある。


ピロリ、と、メールの着信音が響いた。……「from:Angel」と書いている。


「……Angelo、だろ。そこは」


メールを開くと、空白だらけのアルファベットが綴られている。……読めねぇ。


「……サーラさん」


少し迷ったが、隣で気にしてるサーラにスマートフォンの画面を向けた。

サーラは少し狼狽えたが、頷いて覗き込む。


「……あんたの精神を蝕んで、利用したがってたってさ。……ロナルドって男がね」

「なら、アンジェロは俺を守るために……?」

「そういうこった。友達想いなやつだからね……」


複雑そうに文面をスクロールしながら、サーラはポツリと呟く。


「……姉ちゃん、会いたかった……か。…Sì, anche a me……──」


サーラがスピーカーに話しかけると、画面にぽつりぽつりと再び文字が浮かんでいく。後半から、言葉はさっぱりわからない。

……じっと見ていると、「見せもんじゃないよ」と頭を叩かれた。


「……そういや、あんたが書き込んだつってたサイト、見れなかったよ」

「え」

「……俺もでした。エラー出てて……」


アドルフも横からポツッと言ってきた。冷や汗を拭い、また資料を読み始める。


「BBSのサーバーがね、ちょうど2015年の秋あたりでサービスを終了してたんだ」

「じゃあ、レスがつかなかったのって……」

「書き込めてるのが既におかしかったってことさ。……他に書き込んでるやつはどんな感じだった?」

「……投稿日が1986年だったり、そもそもバグって表示されてませんでした」

「じゃ、そいつらもどうにか頭ひねって何かしら伝えようとしたってことだね」


俺の時間もとっくにおかしくなっていたから、合点は行く。

過去にすがりついて、時間すらあやふやなまま、傷に向き合うこともできなかった。


「……元々は未来じゃなくて、過去と接続しちまってたのかもね……」


……そもそも、メル友だった頃の「キース」の正体はカミーユの弟、ブライアンだった。

精神が壊れた弟に、「なにかを演じさせること」で、糸口をつかもうとしたのかもしれない。設定は、レヴィから聞いた噂を参考にしたんだろう。

彼らがまだ、普通に生きていた時期。ブライアンの「兄さん」が隣にいた日々……。


それもまた、終わらせなきゃいけなかった、とっくに終わったはずの時間だった。……だからこそ、俺らは波長が合ったのかもしれない。


「……ん?」


俺の手元に戻ってきたスマートフォンに、またメールが届いた。


『油断するな。キース……いや、コルネリスが見つからねぇ』


1986年12月22日……と、メールの日付欄に記されていた。

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