26.「レヴィ」
最初は、仲間内の悪ふざけみたいなもんだった。未解決事件が出たら、「これは「レヴィ」の仕業だな!」なんて笑う……まあ、確かに悪趣味だとは思うぜ。
俺は顔見知りだったし、できるだけその話題に関わるのは避けてたんだが……やっぱり上手くやってくにはそれなりに話は合わせなきゃだろ?……いや、良くねぇことだわな。分かっちゃいるんだよ。頭ではよ……。
……もともと、そいつは差別されやすい特徴を持ってた。
誰もが分かってんだよ、本当は……
「そいつが何もしてねぇからこそ」、そんな噂話にできるんだってな。
***
アドルフとの話で、大きな進展があったと言っていい。
キース・サリンジャーは、そこそこマイナーな地区の警察組織で生まれた「噂」の一部だった。……そして、同じ地区で生まれた噂が……「レヴィ」。
「キース」という「噂」でしか存在を確立していなかったコルネリスは、思わぬきっかけで自我を取り戻した。それと同時に、僕もロバートとしてしっかりとした自我を持てるようになった……ような、気がする。
警察署から出られないアドルフを置いて、とりあえず拠点に戻ろうと歩き出す。
「……君は、この街がどんなものに見えてるの?」
「育ちがアムステルダムだから、そうだな……懐かしい、慣れ親しんだ風景に見えてる。でも、「キース・サリンジャー」の時はアメリカ風に見えてたよ。僕は行ったことないんだけど、イメージなら誰にでもあるじゃないか」
しっかりとした口調。確かに、「不正を暴きそうになったから殺された警官」らしいといえば、それっぽい性格をしている。
ちなみに姿は見えない。どうやら、僕に憑依していないと上手く話すこともできないらしい。
「…………一人で何を話している?」
「ぎゃあっ!?」
肩に手を置かれて、思わず飛び上がってしまった。
何となく、誰かにドン引かれる予感はしていたけど……。
振り向くと、鮮やかな赤髪が目に入る。
「…………幽霊に、取り憑かれてて」
「……ああ、この街ならばよくあることだろう。カミーユさんにも3体ほど取り憑いているからな」
待って。なんか今すごいこと聞いた。
……コルネリスは僕の口を借りないと意思疎通ができないらしく、ずっと黙っている。伝えようとしてるのは何となくわかるけど、僕が読み取れない。
「この街って……何だと思う?」
その瞬間、彼は微かに……笑った。
「……さあな。少なくとも、呪われた地ではあるだろう」
……赤色の髪、緑色の瞳、長身、端正な顔立ち、奇妙な喋り方……
そこまで揃っているのに、何か、違和感がある。
彼を、「レヴィくん」と呼ぶことに、ためらいを感じてしまう。
手は、肩に置かれたままだ。節くれだった、ごく普通の男性の手。
「……なるほど。察しはいいが、逃げ癖があるようだな」
鬱蒼とした森林を思わせる緑は、冷酷に僕を射抜いていた。地を這うように低い声が鼓膜を震わせる。ゾッとするほど冷たい空気が、頬を撫でる。
……そう言えば、確か、彼の手は……
「離れろ!!」
聞き覚えのある声が、背後から響いた。
「何を期待している?救われたいのか?それとも……「知りたいだけ」か?」
僕の肩を掴んだ男が、嘲笑うように語りかける。
「……貴様に、なぜ答えねばならん」
直接見ていなくても感じる気迫と、不安定に揺れ動く感情。恐る恐る、元の位置に視線を戻すように振り返る。そこにいたのも、
柘榴のような赤色の髪、翡翠のような緑色の瞳、長身、端正な顔立ちの……
「お前のことはよく知っている。自らの真実を暴きたいのだろう?」
「……ッ、だから、何だ」
「……止めはしない。むしろ、早く知ってしまえ。そして……お前も「俺」になるがいい!」
「黙れッ!!」
心底愉しそうに、激しい呪詛を叫ぶように笑う男の声を、青年は拒絶する。
「男性にしては白くて細い手」が、僕の腕を掴んだ。力はそれなりにあり、思わずよろめいてしまう。
「……覚えておけ、お前はどう足掻いてもーー」
「行くぞ、耳を貸すな!」
焦燥を隠せないまま、青年は走り出す。それにつられるように、僕もその場から立ち去った。
少し走ったところで振り返ると、男は消えていた。
「……あれは、誰?」
「…………俺だろうな。おそらくは……未来の……」
僕の疑問に、顔面蒼白の「レヴィ」が答える。
「……えっと、未来の自分が過去の自分に何か伝える……って感じじゃなかったんだけど……?」
「…………それでも、あれは俺自身だ。だが……そう言い切るには少し、都合が良すぎる」
血を吐くように、彼は、「都合が悪い」のではなく、「都合が良すぎる」と搾り出した。
「……わからない。どういうこと?」
「……あれは、俺にとって、望んでもいない未来を体現しながら……俺の欲した姿を手に入れている」
その声は深入りすることをためらうほど、重く、切実な響きをしていた。
「も、もしかしたら、「噂」が独り歩きしたレヴィくんなんじゃ……?」
その言葉が、いくらか慰めになったのか。
「……その方が、まだ気が楽かもしれんな……」
薄く笑ったその表情は、どこか穏やかなものだった。
「……気が楽な方に、考えてもいいと思うよ。もちろん、ずっとはダメだけど……。……うん、レヴィくんは、ちょっと気難しすぎるかも」
「……貴様に言われるとはな」
何かを、見抜かれたような気分だった。
「……考えることをやめたとしても、無意識の癖は治りはしない。……そうだろう?」
「……そうだね。それでも僕は、確かめるのを諦めて……逃げてきたんだ。そのツケは、払うよ」
流れる無音の時間は、決して張り詰めたものではなかった。
久しぶりに、安心できそうな空気が流れる。
「今度から彼には気をつけるよ。「女の子」を無理させるのは、ちょっとね」
それにまた亀裂を入れたのも、僕だった。
「…………俺は男だ」
「えっ?さっき走る時胸揺れてたよ?」
「……確かに乳房はある。だが男性器もある。男だ」
「……もしかして最近話題のトランス」
「違うッ!……まあ、正確には女でもある……わけだが……まあ、その……「どちらでもある」というだけでだな……!」
「あ、それってもしかして半陰……」
「本当にデリカシーがないな貴様は!?」
性別は、男と女、二種類に分けられるとは限らない。僕も一応歴史学者の端くれだし、学者友達には社会学や生物学の研究者もいる。
「そっか。確かにレヴィくん、僕よりイケメンだしね!」
「……本当に気にしていないんだな……」
「うーん、性別とか恋愛対象とか性差とか、結構個人差が大きいわけだし……そこまで大事とは思えない、というか……」
「……そうか」
むすっとした顔つきで、彼は不機嫌そうに顔を逸らした。
「この街の噂については、少しまとめてある。もしお前が頼りたいのなら、資料くらいは渡してやる」
「うん、ありがとう。少しは信頼してくれたんだね」
「…………ただし、一ついいか?」
「何?」
「次に女扱いをしたら、蹴り倒す」
「…………ご、ごめんね?」
身のこなしからして、蹴られるのは相当痛そうだ。
……次からは本気で気を付けよう。





