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転校生は妖精郷の騎士竜王ちゃん

 旧西暦2077年。

 戦いは終わった。

 勝者と敗者の垣根は取り払われ、虚実は血みどろの対話を経て高度な融和と成長を成し遂げた。

 そして100年の月日が流れた。

 時に壊歴(B.C.)0069年。

 旧西暦2177年。

 日本においてそれは神々と人類の師弟関係を意味していた。

 後に最終幻想ファイナルファンタジーと歴史書へ記される世界史最大の戦争行為の最中で唯一静観を維持していた沈黙の神域。八百万タカマガハラが野に対しその門戸を開いたのである。

 すなわち悠久の流れから積み重ねられた叡智であり、世の真理に最も近しい地上へ具現した天上の学都。人と交わり託す術を選んだ八百万の賢神達は己が教鞭を振るう重層領域ーー現実と重なり合うもう一つの土地を学園都市タカマガハラと銘を決した。

 そしてこの学園都市タカマガハラの無数ある高等学校の一。

 未だ夜が白み朝は駆け足早い曙時にて。

 「はぁー…………気怠い………っ」

 高校教員カナン・ハーロットは行き着けの喫茶店でマスターお奨めのBLTサンドを咀嚼しつつ嚥下しながらテンションが最安値を更新していた。空腹と栄養と気力は充填されたが些か他が足りていない。目にはくっきりとしたパンダ顔の隈が、いや、この数年間熟睡の経験自体が希薄なのだが。今日は特に気乗りしない。今が永遠にメリーゴーランド状に無限ループに落ち込めば最高なのにとやや本気で願ってしまう。

 「あら、どうしましたかハーロット先生」

 普段の2割増しなどんより憂き目模様に個人的にも交友関係にある喫茶店のマスターに心配を掛けられてしまう。

 「実は今日うちのクラスに転校生が来ることになりまして」

 「まあそれは嬉しいことで」

 「それを三日前に通告されて」

 「まあそれは慌ただしいことで」

 「それで横暴な決定事項の事務処理と書類整理と各所手続きで……寝てません」

 そこでマスターの表情が曇る。

 具体的に言えば頭上に?マーク。

 不眠それのどこが肉体に堪えるのか今一意図を汲み取れない表情。

 そもマスターは人間ではない。

 所謂、英国において妖精と呼ばれる類の幻想じゅうにん

 緑の人グリーンマンと呼ばれ敬われる種属の一。

 ……木精ドライアド相手に生身の睡眠不足を話しても理解し辛いか。

 ここら辺はいかんともしがたいが避けられないのも事実と一抹の寂しさを笑い含めて話を押し進める。

 「どんな理由があるか知れませんけど、とにかく無理矢理にすじを通したしわ寄せがこっちに全部上乗せされちゃいましてね」

 4月の現在。

 学園都市が存在する気候風土は現実の日本本州と完全同期している。

 暦と休日も同様。

 つまり4月末から5月初めに架けての連日休日が間もなく訪れの時を迎える。

 「休みに入る前に全部終わらせねばと頑張ってる次第ですよ」

 ただでさえ俺の生徒は個性的なキャラクターが多くてんてこ舞いの毎日なのに。

 北欧一の道化トリックスターとか。

 北米一の邪身トリックスターとか。

 北辰一の仙人トリックスターとか。

 ……あれ?

 おい、俺の教室てふだ全部忌札ジョーカーしかなくね?

 どんな規格外のパンドラの箱だ。

 学級崩壊の際にはこの世のあらゆる絶望が飛び出しかねない。

 「うう……折角、小学校から高校へ鞍替えして楽出来ると思ったのに……」

 正直、百倍キツイ。

 相手する生徒が皆々個性豊かに小学生がそのまま高校生に成り代わったぐらい破天荒極まる。

 「まさか全身機械鎧の蒸気王とか女体化したレオナルドが自分の受け持ちになるなんて想像出来るかよぉ……そもそも何でアイツら今更わざわざ高校通ってんだよぉぉぉ……うあああ行きたくない学校へ行きたくないいい……ッ」

 しかし、時の流れは正確に運命の来訪を予告する。

 一縷の慰めに流れる通勤風景をこれから合流する定めと知る抗いざる社会構造を肩肘突きながら眺め降ろす。

 八百万の神々がいる。

 九十九の神々がいる。

 七十二の悪魔がいる。

 十三の天使がいる。

 これに妖精や妖怪や魑魅魍魎と幽霊亡霊生き霊それから生身の常人に生身か怪しい異常人も加えれば最早数え上げるのも馬鹿馬鹿しいそんな多種多様、国際色豊か。神仏混合に舶来妖魔の雑踏とした混沌模様が朝焼けの繁華通りを色めかせる。意識の外で女一人だてら喫茶店を切り盛りする若手マスターの励ましが右から左へ鼓膜を通過する。

 「大丈夫ですよ。そんな時こそ逆に元気一杯になれば必ず良いことが舞い込んできますよ」

 「良いことですか」

 カチャリと受け皿の音に視線を前方へ戻す。

 テーブルの上には、

 「どうぞオマケです」

 一杯の珈琲。

 「いつも足繁く通って下さる常連さんにだけ出させて頂くーー予定の、その、スペシャル自家焙煎ブレンドになります」

 森の妖精が自家焙煎した珈琲。

 聞いただけで自然と喉が鳴る旋律。

 「ええ、自分としては最高の一杯だと自負しています。けど、まだ、これが初めてお客様へ出す一杯なので……その、お口に合えばよろしいのですけれど」

 思わぬ食後のデザート。

 一日の始まりに訪れた至福の一瞬に口を付ける。

 「凄い」

 脊髄反射より速く味覚が感嘆を言祝いだ。

 不安から一転して喜びに華やかせるマスターを横目に見る。

 それから自分が何を口にしたのか神経伝達が遅れて脳内中枢へ到達した。思わぬ場面、念わぬ瞬間、想わぬ光景に目を剥き、今日一日を活気付ける気力が無限の源泉から間欠泉で深上がる。

 美味い珈琲だ。

 確かに格別。

 だが、それ以上に、何と言っても、

 「どうですか?」

 薄手の半袖は身体のラインがくっきり浮き出る純白エプロン。

 ムニュっと。

 心配に感想を問う胸元が無防備にがら空きとなっていた。

 実に健やかなメロン峠である。

 珈琲が美味いのは間違いない。しかし、正直、味覚より視覚が刺激的で他が分からない状況。揺れる揺れて、テーブルへ圧し掛かり押し潰れる姿は森の妖精さんなだけにまるで熟れきった果実のパンパンに張り詰めた艶を備えた柔軟なマシュマロ山脈。触れられずとも枯渇していた気力が精力と一緒くた突起こっきする。

 さすがは俺の観察眼。

 初めて出会った瞬間に着膨れするスイカップバストを厚着の上から察知してこの官能の暴力にはそこはかとなく期待していたが記念すべき来店108日目にしてまさかのビンゴ。

 実に甘露。

 見事に瑞々しい。

 もぎ取りフルーツしたくなる双乳の膨らみエプロン。

 「実に見事な逸品」

 至極眼福。

 ありがたく味合わさせていただきます。

 「良かった……鼻血出しちゃうくらい気に入って貰えてよかったです」

 両者の間に生じたすれ違いを今後の為に黙秘権行使。

 名残惜しみ飲み干す。

 本性に気付かれる前に赤い鮮血をポケットティッシュで拭い棄てる。

 「ご馳走さま。会計はこれで」

 釣り銭を受け取らずに鳴り戸の鐘の音を木霊させる。

 「待って下さい。こんなにも受け取れません」

 「いいえ、労働には見合った十分な対価。貴女の煎れた一杯にそれだけの価値があっただけのこと」

 そして豊かな妖精さんのマシュマロ果実に。

 こうしておけば後日罪悪感に駆られてもある程度挽回するであろうと下心代を含めて。

 改めて宣言しておくが珈琲は間違えようがなく美味かった。ただ、それ以上におっぱいが大きすぎてしまっただけの話なのである。

 「せめて今回だけは、この至高のいとまに立ち会えた至福の対価として受け取って下さい」

 さすがに何度も行えばこの喫茶店の業務に支障を来しかねないが、自分の本心を偽るには出会えた感動が大きすぎた。

 「今度、来店した際はキチンと作法に則りますので」

 そのようにマスター女史を納得させてから肌に染み渡る外気に煙る焙煎の芳醇さが朝霧を切り裂く。

 「ーーいっっっよし!!!」

 快活に高らかに両の掌で左右の頬を眠気覚ましに活気付ける。

 「行くとしますか学校しょくばへ」

 霞掛かる瞳の空すら今は愛おしい。

 仄かに赤らんだ頬の痺れの心地良さを共に雑踏とした通勤街道へ馳せ参じた。



 妖精郷から導かれた光の子が学び舎の戸を叩く。

 初見からしてその転校生は並々ならぬ気配と只ならぬ王気オーラを漂わせていた。

 こーーこいつはーーッ

 鉄壁に碧眼で完璧な金髪七三分け。

 長袖の詰め襟学ランと魔法の妖精加護。

 魂へ直に刻印された揺るがざる委員長属性を担任教師は直感的に察した。

 こいつ……眼鏡があれば……完璧じゃないか……っ!!

 「問おう」

 ーードクンと。

 高音と低音の丁度中間に位置する音色の口ずさみに、不覚にも心臓が不整脈気味に飛び跳ねた。

 「貴方が私の担任か」

 良く言えば跪きたくなった。

 悪く言えば貪りたくなった。

 両方とも瞳と心と魂を奪われる点では同一。

 下手したら淫魔に匹敵する昂ぶりをもたらす。

 なるほど、これが魅力カリスマと言われる代物。

 更に言えば転校生の出自を識れば自ずと腑に落ちる。学校側が無理を通しても入学を受け入れたかった理由が何となく理解させられた。

 「貴方は私の担任ですか」

 「は……ああ、そうだ」

 はい、と言い掛けた台詞を教師の意地で寸前に飲み込んだ。

 「俺がこの2年Z組を担任するカナン・ハーロットだ」

 「そうかですか、ならばカナン」

 教師を呼び捨てが実に相応しい。

 嫌味を全く感じさせない。

 他者を慈しみ最大限尊重する柔らかい温かみがその名指しには籠められている。

 「私の教室へ案内して下さい」

 是正にしてこれ絶世。

 一目見て評すれば星屑を纏いし王公貴族。

 もしくは満天を中天に輝かせる夜霧の星そのもの。

 その輝きは地上へ舞い降りた隔絶世界の極光。

 拝顔するには目蓋を細めねば眩いばかりで直視すれば瞳を永遠に失い囚われかねない。

 「よし、黒井仏と太公望はいるな。うむうむ、おいそこのバベッジ勝手に教室の一角を階差機関に改造するな。この間、吹き飛んだ部活棟の修繕が間に合ってないんだから自重しろ。ダヴィンチも手を貸さない。テスラ、お前中等部だろ。どこから潜り込んだ。雷鳴轟かすな帰れ。ふむ、ウートガルザの姿が見当たらないが今日は休みか?」

 「センセー、今日のロキくんはロキちゃんでさっき産休に入りましたー戻るのに30分掛かりまーす」

 「おー清姫。そうかまたか」

 「今回は可愛いお馬さんの赤ちゃんらしいですー」

 「おーそうかまたか」

 「きいいい憎らしい嫉ましい羨ましい……ああ安珍様あああ安珍様なぜなぜどうしてこんなに愛しているのに恋しているのに焦がれているのに貴方様のややこを愛の結晶を私めこれほど求めて疼いていっそのこと……口惜しやあああ……ッッッ」

 「はいはい角出さない火吹かない瞳孔を黄金色に裂かない終いにゃ逆鱗叩くぞ」

 自家発電ヤンデレモードへ形態移行するドラゴンストーカー女生徒を宥めつつ、ウートガルザロキ・産休による登校の遅延と出席簿の備考欄へ書き加える。

 「それじゃ早速自己紹介と行こうじゃないの。巻いていくぞ。ほら巻いて巻いて」

 注目を集めるように掌を叩きながら転校生へ視線を誘導する。

 龍人が、邪身が、仙人が、蒸気王が、天才が、中学生の雷電王は教室の窓から外へ放り出して、並々ならぬ想念と才覚で人にして幻想の階梯へ至りし学び舎の少年少女たちが新しく教室へ加わる仲間を瞳に映す。

 「初めまして。私の名前はアルトリウス。混血のハーフで」

 堂々とした清廉潔白な自己紹介を耳に目にした俺は、

 「こら」

 反射的に金髪の旋毛を出席簿の角で叩いていた。

 「初っぱなクラスメイト相手に偽名使う奴があるか」

 驚いて思わず手が出てしまった。

 そして転校生も固い出席簿の角が直撃した脳天を押さえながら俺以上に驚愕していた仰天していた。

 旋毛の痛みを追い抜いて何故、どうして、と疑問に瞠目する涙目の受け持ち生徒に対してこれから3年間を苦楽を共にする担任教師としてため息をせずにはいられない。

 まだ初日でこれだよ。

 先が思いやられる。

 わざわざ教える理由もないが。

 「嘘なんて一発でバレるもんだ。そんな薄っぺらい物を抱えるぐらいなら正直に楽になれ」

 この時、俺は知る由も無かったが、どうやら転校生にとって俺の反応はまるで心を読まれたように感じられたと後に本人の口から語られることになる。

 「転校初日ぐらい本音で話せ。これは担任命令だ」

 「……承りました」

 痛みが引いた旋毛から両手を腰へ下げて、俺を見る瞳が若干の輝きの兆しを燈しながら、

 「カナン先生」

 そして転校生は初めて俺の名に先生を付けた。

 それがどんな心の機微を意味するのかは転校生本人のも未だ不明な事柄。

 ましてや本人ならざる他人である担任に窺い知れぬ領域。

 「改めて初めましてアヴァロンから転校して来ました」

 男子制服の襟を立てながら礼儀正しい姿勢が一礼を示す。

 「アーサー・ペンドラゴン69歳。職業はブリテンの覇者です」



 【赦さない】

 【許さない】

 【緩さない】

 【私は決して貴様を逃さない】

 【ーー〝出力不可〟】

 【〝現行のプロパティでは対象を出力するだけのプラグインが不足しております。最新バージョンへの変更をーー認証しました〟】

 【〝ノリッジプログラムブートオン〟】

 【〝リアライズスタート〟】

 そして私は憎悪うぶごえあげる。

 いつか夢見た希望岬を奈落の底へ沈める為に。



 こうして2年Z組に新しく加わったブリテンの赤き竜の化身はすぐに教室内の空気へ溶け込んだ。

 これは担任である俺の指導より本人の性格から起因する結果であった。

 普段の佇まい立ち振る舞いは騎士の如く。

 問題に果敢に立ち向かい根気強くそして爽やかな笑顔を忘れない気配りの良さ。

 だが、唐突に、あまりに急転直下に。

 騎士王の名を地に堕とし兼ねない出来事が舞い込んだ。

 大望のゴールデンウィークを明日に控えた28日の放課後のことであった。

 独り、職員室に居残り仕事を片付けているアーサー王の担任へ一本の電話が掛かる。

 「はいこちらカナン・ハーロットになります。只今ただいま多大ただいにお忙しい中まことに申し訳ございませんが後ほど再度ご連絡をお願いしたくそうろうーーあん葦原?」

 電話の主は珍しい相手。

 厄介事の臭いがプンプンと漂う看過しがたき問題の先駆け。

 「わかった。とりあえずすぐにそっちへ行く。勘違いするなこれは仕事だ」

 念を押す。

 釘を刺す。

 強く深く。

 「断じてそんな目的じゃない」

 終える通話。

 デスクワークで凝り固まった両肩をゴキゴキと鳴らす。

 まもなく逢魔が刻。

 光と闇が交じり合う狭間に俺は一人学校を出た。

 タカマガハラをぐるりと一周する環状線。

 この内周りを3駅通過して、そこから地下鉄へ乗り継いでからの6駅目で下車した雑踏とした街並みを抜ければもう幾つもしないうちに目的地の入り口を示す桃源色のネオン光が見えてくる筈その予定であった。

 そんな環状線と地下鉄の間隙。

 ふと地下鉄へ向けていた足先を近くの路地裏へ通じる小道へ変更した。

 「おい」

 長い永い迷路のように入り組んだ迷浪めいろう小路こうじ

 「そこで何をしている」

 路傍に朽ち果て打ち捨てられたガラクタのように鈍い銀光を細長い星空に彩られながら立ち尽くす影。

 少なくとも俺の目にはこいつが闇の中で泣き震える子供にしか見えない。

 「ペンドラゴン」

 「……先生?」

 闇に浮かぶ碧眼に相対する。

 白銀の鎧姿。

 「カナン先生」

 それは戦場で闘い舞う騎士装束。

 常勝不敗無敵の王者の貫禄。

 しかし、月明かりの届かぬ路地裏の細道において転校初日に見られた魅力カリスマはなりを潜める。

 「逃げて下さい」

 何から逃げる?

 何を怯える?

 答えは邪悪な竜の牙。

 ブリテンの騎士を噛み砕こうと迫る。

 延長線上にいる部外者である俺を巻き込む形で。

 「来なさいラムレイッ!!!」

 眩い閃光が現状認識を後方へ追いやる。

 視界不良の前後不覚から繋がる全身を襲う浮遊感。

 気付けば俺は空高く眠らない街を見下ろしていた。

 「うおおお落ちる墜ちる堕ちちゃううう!!?」

 「先生落ち着いて下さい! 私のラムレイはそこまで凡骨ではありませんから!!」

 教師と生徒が白馬に相乗り夜空の星とランデブー。

 視線先の空間を歪ませるほど速度を誇る飛行物体が後ろ髪を寒々しく引き千切ろうとする殺意の波動が無ければ幾らか洒落たデートスポットにお誂え向きなロマンスロケーションに俺は放り出される。

 目に見えずとも気配が圧迫する。

 漆黒の旋風が音速を切り裂き馬上の俺たちへ。

 「阻めプライウェン!!!」

 天を疾走する汗馬を鎧形状で展開された祝福の盾。

 黒と銀の激突交差に奏でられる青い鈴音色の音階が地平線の彼方まで響き渡る。

 時速1200キロの破壊エネルギーは満開の花弁を散らす銀光を受けて空中へ霧散霧散された。

 天に神は坐す。

 ならば天と地の狭間たるそらへ黒雲の翼を広げる巨体は邪なる魔か。

 「なんだあれは」

 緩やかな急勾配を天空へ轍踏み締める刹那の余白に、俺はペンドラゴンを狙い俺自身を諸共に処そうとした敵性存在の全貌を確認した。

 「竜です」

 「見たまんまだろ」

 「ならドラゴン」

 「呼び方変えただけだろ。いや、だが」

 歯に挟まった物言いで、喉元に引っ掛かった小骨を意識するように、

 「あれは本当にドラゴンなのか?」

 見た目は間違いないが、

 「俺が知ってる、昔、イギリス旅行中に偶然一緒に写真を撮らせてもらった本場英国製はもっとこう、なんかその、デカイというか、サイズがと言うより存在のスケールの話で」

 どうにも違うように見えて、一つの存在の一側面の欠片の爪の垢を煎じて煮出した宵越しのような、

 「それに比べてあれはハリボテか」

 竜で、ドラゴンなのは明白。

 しかし、断言するにはつたなく表現としては稚拙。

 もしもあの夜空を舞う雄々しき針金細工(ドラゴン)に作り手がいるとすればなんとまあ粗雑なことか。

 「俺にはあれが非道く冒涜的な存在ものに思えてならん」

 「慧眼です。はい、あれは竜とは異なる似せ物です」

 偽物……似せ物?

 人の為ではなく人の以。

 紛い物ではない間借り物。

 そんなフレーズが自然と脳裏に込み上げてくる。

 まるで昔馴染みの知人に偶然再会したような郷愁と共に。

 「掴まらないで下さい先生ッ!!」

 そして鎧を纏うアーサー王は猛々しく馬鞍を蹴ると手綱を引き絞り常識とは正反対に叫び忠告する。

 嘶く神馬の蹄鉄が雷鳴を駆け下る。

 それは似せ物と呼ばれた暗黒の双眸が煌々たる業火を爬虫類の口角から無数に散弾したのとほぼ同一の刹那。

 なるほど、確かに荒々しいのに乗り心地は最適。

 むしろ揺れる恥骨と上下する馬体同士がコツコツぶつかり合う感触が癖になる。普通の馬ならすぐに乗り手の臀部が根を上げるに決まっているのに痛みすら適格に気持ち良い。もしも恐れ戦いて跨がる胴へ抱き着けば逆にこの絶頂のバランスを崩し兼ねない。それ即ち天から今も振り続けるメギドの炎を避け損ねて丸焦げの灰燼に化す結末を意味する。それら一発で平均的な二階建て一戸建て家屋を全焼してもまだ余りある業火の間隙を白亜の雷電が疾走する。

 「聖槍抜錨」

 妨害と応酬の垣根を跳躍した果ての近距離戦闘領域。

 虚空を貫き顕彰された一槍の持ち手に渾身の神秘が撃ち込められた。

 「ロンゴミニアドッッッ!!!」

 真夜中に第二の太陽が爆発的に膨張した。

 明け色を兆す煌々たる閃光が爆炎を煙る。

 聖槍の直撃を喰らい竜が呻き身を捩る。

 趨勢を傾ける決定的な一撃が竜の全体を軋み上げる。

 騎士王は絶大な神威を片手に振るい星屑の露を払う。

 天を駆ける轍が高らかに無限の軌跡を描き周回軌道に入る。

 堪らずと黒竜が翼を後退の兆しへ羽ばたかせようと予兆を孕んだ。

 手負いの敵を逃す謂れを騎士王は持ち合わせない。

 「逃がすか!!!」

 「ちょい待て」

 浮き足立つの言葉通り。

 一見、優位に立った瞬間こそ必要になる再度の現状認識。

 巻き込まれた第三者として俺は本人以上に担当生徒の状態を観察していた。

 「やっこさん引いてくれるならこっちも一度体制を立て直せ。見たところペンドラゴンお前かなり消耗している。場合によっては深追いを誘う罠の可能性も」

 「いいえここは逃しません!! 今宵の好機こそ潜在一遇!!」

 もう一発。

 鮮烈に渦を刻む螺旋の鉄槌を再び繰り出そうと穂先へ総力を結集させる。

 「ここで仕留める!!」

 「ふむ」

 放たれる渾身の一閃。

 必中の線路上に空の轍を直線する切先の柄尻。

 ブリテン王の聴覚にさりげなく、


 「あんま肩肘張るな。女の子なんだから笑った方が可愛いぞお前」

 致命的に螺旋の軌跡が逸れて動揺した。


 「ちょ、先生」

 騎士は戦慄わななおののき瞠目に視界が傍らの一人へ集約される。

 白銀の鎧が頼りない紙細工へ変わったような心許なさを胸元の奥へ穿たれながら。

 俺からすればどう見ても精々十代中盤にしか受け取れない年端の行かない少女が目を丸くして口を大きく開けている。

 「何時から」

 「顔合わせした瞬間からに決まってるだろ」

 操り手の困惑は引き手に統べる天上の神馬へ如実に影響を及ぼす。

 「何でこの娘、女子なのに男子の学ラン着ているのか不思議で仕方なかった。まさかバレてなかったつもりか」

 「当然ですよ!!!」

 俺がどれだけあり得ないか、俺がどれほど非常識極まるか、罵声じみた混迷を泥沼の深みへ嵌らせながら手綱の担い手はあからさまに動揺を拡大させていく。

 「だって、妖精郷の中でも最高位の精霊が施した偽装をそんな馬鹿なッーーーー」

 「おい前見ろペンドラゴン」

 「黙って下さい今それどころじゃ」

 「いやとにかく前を向け。ぶつかるぞ」

 続けて鳴らし散らされる舌の根。

 「遅かった」

 逃さぬ騎士の隙に追い詰められた鼠が死に物狂いで返しの業火。

 当たらぬと半ば諦めで放たれた咆哮は故にこれまでの最大火力を発揮。

 紅蓮の弓矢が雷鳴駆ける蹄鉄を赤く染め上げた。

 思わぬ勝利の美酒に溺れる竜の雄叫び。

 三千世界を席巻する凱歌は敗者たちへの勝利宣告。

 鮮血を棚引かせ純白の流星がまばら眩い漆黒の大地へ墜落する。

 「あッ……つう痛ててーーおい大丈夫かペンドラゴン」

 「私は……問題ありません……」

 打ち所が柔らかいクッションで阻まれた結果大事には至らず。

 跨る馬鞍に助けられた少女騎士は鎮痛ながら五体満足。

 そして落下の衝撃諸々を一手に引き受け最も重傷なのは、

 「ラムレイが、深手を負いました」

 二人の間に鳴り渡る竜咆。

 「あのハリボテ竜。俺たちを逃さない気か。手負いの獲物は逃がさす刈るって、あいつお前そっくりじゃねえか。なあ」

 問いに返事は無い。

 それほどまでに街並みの一角へ墜落した神馬の状態が深刻な証。

 弱々しく横たわり微弱に呼吸を繰り返すだけの馬体を主人たる者は担任教師に背を向けながらそれ以上の悪化を防ぎながら愛馬の状態を詳細に確認した。

 言葉が失われるほどに少女の額に苦悶の表情が刻まれる。

 「どこかでラムレイに治療を施さなければ命を落としかねません。しかしそれには高名な魔術師クラスの魔法技術が必要です」

 そして決意した面持ちで検診を終えて立ち上がると壁を背凭れに両腕を組む俺に振り返り嘆願した。

 「カナン先生」

 死地を決めた武人の顔。

 命の使い道を自分勝手に尺度へ収めた戦士の眼差し。

 俺の一番嫌いな救われようのない表情。

 「ラムレイをお願いします。私は、私が囮になってアレを誘き寄せます。そも本来、これは私一人の問題。ですから、先生、どうか私の大切な親友を」

 「0点」

 俺の拳が落第生の脳天を強かに殴打。

 わざわざ裏拳で握り拳の一番固い部分を頭上で木霊させたので自然と金髪ヘアが涙ちょちょぎれ頭隠しの両膝蹲り。

 膝立ち体育座りの姿勢でそのまま三十秒ほど固まってから怒り心頭に急浮上。

 「何するんですか!?」

 「赤点追試だこのタコ娘。全部自分だけで背負うとするな。お前は王様か」

 「その、すいません王様です」

 「違う。お前は俺の生徒だろ」

 当たり前の常識で、当然の尺度を押し付けるように、

 「俺はお前の担任だ。生徒が教師を頼ってどこが悪い。何か間違っているところでもあるか」

 まるでそれが絶対の真理のように教師は胸を張るまでもなく答えた。

 「それにお前が囮にならなくとも今の要望に全て答えられる場所がある」

 元々、そこへ向かう途中であったので好都合。



 人がいのるほどかみは完全で在り完璧は無い。

 巨大な城壁になればなるほど些細な亀裂で脆く決潰けっかいする。故に、そんな己の気性を律するが為の措置が八百万の神々自らの拵えでこの学園都市に設けられている。確実に言えることは、そこは聖職者が真っ昼間から彷徨いていいような場所ではない夜の桃源郷。

 苑銘そのな神室街かむろちょう

 此処ここは神の中津國なかつくに

 学園都市最大にして唯一無限の歓楽街である。

 眠らぬ桃源のネオン光。

 色彩を促すダイダロス大迷宮。

 「ここ……ですか」

 「入るぞ。付いて来い」

 俺は勝手知ったる袋小路を4つほど通り抜けた歓楽街の中枢で深奥一軒に裏口から入店した。

 ホスト倶楽部【素兎ヴァージンラビット】。

 「やあやあ遅かったじゃないか」

 案内された応接間で出迎えるオーナーしてこの店ナンバーワン。

 そして八百万生粋の女誑おんなたらし。

 「どうしたんだい。どこかではぐれ竜にでも襲われたのかな」

 葦原あしはら醜男しこおは幽世の美貌を自然と振りまく。

 純白の高級スーツにノリの利いた黒シャツと胸元へ一輪挿しの赤い薔薇が素面で様になる色男。

 「待っていたよマイフレンド。早速だけど電話で伝えた」

 「それは後だ。葦原。先に一つお前の腕を借りたい」

 「君が僕に頼みかい? おやおや、これは明日は槍が降るかな。危ない危ない」

 「お前ならそのぐらいーーーーペンドラゴン?」

 妙だ。

 先ほどから鎧姿から普段の詰襟学ランへ戻ったアーサーが沈黙を貫いている。

 「どうした。腹でも痛いのか。そんなに肩震わして」

 「ペンドラゴンって……もしかして君アーサー?」

 葦原がどこか意外そうに、古い知人と再会した気安さで、

 「やあ久しぶりだねアーサー。しばらく死に別れてるうちに随分といい女の子に生まれかわっちゃって」

 「ーーーーマァァァッッッリン~~~~ッツツツこの色情魔があああ!!!!!!!!」

 危うく神様の歓楽街が聖槍の露と消える寸前で俺は慌てて怒髪天の背後から羽交い絞めにした。

 「ここであったか  年目っ!! 悪・即・斬・サーチアンドデストロイ!!! 今まで! どこで! 何してたのですかこの変態大魔法使い!!!」

 「可愛い女の子とイチャイチャしてるよ。てへぺろ」

 「うがあああ!!!」

 「とりあえず落ち着け! なあ! なあ!? どうどう、どうどうどう……葦原ぁッお前、イギリスにもちょっかい出してたのかよ!?」

 「はははは当然さ! 美女あるところに僕はいる」

 「本音は?」

 「はははは少しばかり愛を囁き過ぎて二番目の嫁に堪忍袋切られちゃってさあ。さすが日本最強武神の一人娘。あの時ばかりは根の国片道直行覚悟しちゃったZE。でもそのお陰でより広い世界の幅広い多種多様な女の子たちへ目を向けられるようになったからドンマイドンマイ。それに僕がいなかったらアーサーは生まれなかったかもしれないよ? つまり僕は君の、アーサー、君にとって二人目のお父さんでもある。ほら、そう考えるとーーそそる物があるだろう?」

 「……つくづく最低だなお前」

 「すみません先生。当時の私たち円卓総出でこの壊滅的な女癖の悪さを是正しようと勤めたのですが……結局、力足らず妖精郷へ逃げられてしまいました」

 「妖精郷か懐かしい。あそこ可愛い女の子一杯いる天国だからねえ。久しぶりに足を運んでみようか」

 「安心して下さい。貴方は全妖精郷の住民から指名手配されて総力を挙げて国交を断絶する用意が整っています」

 怒りが頂点に達して振り切ったのが逆に騎士王の冷静さを取り戻させた。

 「ありがとうございます先生……自分でも……抑えられなくて……」

 「はははアーサーは昔からそそっかしいからねえ。知ってるかい? アーサーって昔は聞かん坊で大きくなっても時々地が出るんだ。一度幻想郷で生まれ変わったもその性根は変わってないらしい。懐かしいなあ……懐かしいついでに実はとうの年まで一人でトイレにいけなくてオネショなんか」

 「むああああああ!!!」

 「お前一旦口閉じろ。死にたくなければ!!」

 マーリン改め葦原醜男はこうして永遠に異性を惑わし続ける。

 これ以上、面倒臭くなる前に話を進める。

 俺たちはお前に頼みがある。

 「それで僕に何の頼みがあるのかな」

 傷ついたラムレイの治療を葦原は二つ返事で快諾した。

 ちなみに、あの巨大な馬の全身をどのようにして運んだかと言うと、アーサーが銀の手甲を翳すように振るうと大人二人でも運べぬであろう瀕死の重体が光に包まれ瞬く間にミニチュアへスケールダウン。さすがにシルバニアファミリーのような掌サイズまで行かずともちょっとしたヌイグルミぐらいに縮まった姿は少女である騎士王の細腕で十分に抱き締められた。純白を赤く染める傷痕さえなければファンシーショップのショーケースに並べられても違和感のないマスコット。そこへ深く根を奔る業火の爪痕を、

 「うん、これなら丁度良い塗り薬がある」

 さっと、まるで埃を祓う様に診療からの治療行為を完了させた。

 「ヒノカグチの焼けにも効く良薬だ。あと必要なのは絶対安静ぐらいだ」

 最上の名医の診断は如何なる神託にも勝る。

 それが医療の神として崇められる八百万なら尚更。

 加えて英国の伝説に語られる最高位の魔法使いである。

 これほど心強い言葉はどこにも見当たらない。

 山場を越えてほっとした束の間。

 「では、私はあの竜を」

 浸かる間もなく安静に眠る愛馬を置き去ろうとした肩を俺は反射的に掴み止める。

 「別段お前が出しゃばらずとも解決する。あれだけの市中大騒ぎなら」

 「残念だけど警務隊に出番は来ないよ」

 八百万の神にしてアーサー王伝説に語られる偉大な魔法使いと同一人物が解決策の否定を断言した。

 そんな色男の台詞を予期していたように視界の隅で騎士王が顔色を俯かせながらキツく口元を結んだ。

 「うんは莫迦な。タカマガハラの空に無許可でドラゴン飛んでるんだぞ」

 「さあね、女性に愛を囁く以外に能が無いボクにはさっぱり。けど、出動命令が差し止められた話らしいよ。鶴の一声で」

 砕ける寸前まで噛み潰した奥歯が不快に嘆く。

 「一体全体どうなってやがる」

 「私の所為です」

 少女は己が諸悪の根源と口にした。

 「責任は私にあります」

 そして、

 「あの竜は私が止めねばこのタカマガハラを全て破壊し尽くします」



 ーー昔々、昔のお話。

 あるところに妖精達の楽園がありました。

 楽園は嘆きや悲しみとは無縁の幸福に満ち足りていました。

 ですがある時から楽園に悪い人達が出入りするようになってしまいました。

 悪い人達は妖精達と彼らが暮らす大地を我が物顔で蹂躙していきました。

 妖精達は悲嘆にくれるほかありませんでした。

 妖精達は悪い人達に敵いませんでした。

 妖精達はそもそも人間に危害を加えられないのです。

 それは親が子を慈しむように、子が親を尊ぶように、だから、彼らは救いを求めて手を伸ばしました。

 悪い人達から自分達を助けてくれるそんな人を。

 悪い人達が狡賢い方法でこの大地へ足を踏み入れるより遥か古の時代。

 清い心と魂によって此の地に眠ることを赦された。

 偉大なる王へ。

 「私を求める貴方達を私は全力で護ります。それが王として生まれ王として死に再び生を得た私の宿命」

 そして何より、

 「そんな申し訳なさそうに頭を垂れないで下さい。だって、私は貴方達のことが大好きなんですから」

 こうして妖精達の導きにより伝説の王様は目覚めました。

 目覚めた王様は悪い人達から妖精達を、自分が心から愛する新たな民草を護ろうと獅子奮迅の活躍をします。

 ですが、

 王様が眠っている間に人々は剣より強い力を手に入れていました。

 悪夢よりもっと怖い凶器を研ぎ澄ましていました。

 「このままでは駄目だ。今のままの私では民を、大好きなみんなを護り通せない」

 王様は完全でした。

 非の打ち所のない完全な王様でした。

 ですが完璧ではありません。

 完璧でなけれは愛する全てを護れないのに。

 だから王様は助力を求めました。

 遙かな太古からブリテンの大地を司る守護神。

 常春の花開く楽園の中心で身を横たえる二大巨頭の一。

 王様は白き竜へ懇願します。

 「貴方の肉が欲しい。完全であるが故に完璧足らぬ私は貴方の血の盃を承けて完璧へ至る。さすれば那由多の軍勢すら退ける力を得るだろう」

 そんな王様の願いに白き竜は哀しそうに瞳を細めます。

 「我がつがいの繫累よ。確かに其方の願い通りにこの楽園の平穏は護られよう。しかし、我らは相克する身。相反するが故に寄り添える光と闇。虚と実。表と裏。決して合わせてはならぬ太極」

 白き竜は説きます。

 他者の幸福と自分自身を引き替えられるのかと。

 「人は、命は、生まれ落ちたその刹那から完全なる存在。未熟だからこそ見果てぬ幻想を紡ぐ。故に完璧とは即ち永遠なる安寧の喪失と識れ」

 それでも尚我を求めるかや?

 白き竜は尋ねます。

 しかりと王様は迷わず答えます。

 「誰かの笑顔を護れるなら。安寧など要りません」

 ならば白き竜に何も言うことはありません。

 例えここで白き竜が拒否しても王様は無理矢理にでもその血と肉を喰らい戦場へ立つのだから。

 だからせめての忠告を幼くも気高き魂へ薫陶します。

 「心して聞け完璧なる竜よ。完璧故に常勝すべき呪いの王よ」

 夢忘るる事勿ことなかれ。

 「いずれ過食する愛がお前を殺す。そして飽き足らず三千世界を焼き尽くさん。抗いたくば方法は一つ」

 人の世へ下れ。

 そう言い残して白き竜はどこか空の彼方へ去っていきました。

 まるで初めから幻であったかのように、自ら呪いを身に刻んだ王様の前から泡となって消えていきました。

 それから王様は悪い人達を退ける力を得ました。

 もう何も怖い物はないと王様は妖精達へ告げます。

 こうして王様は勝ち続けました。

 誰よりも強く誰よりも完璧に戦いました。

 ですが王様は気付いていませんでした。

 自分が完璧に戦えば戦うほどその胸の裡で暗い澱みが積もっていくことに。それが何時しか妖精達の幸せそうな平穏を眺めても心から晴れなくなっていったことに。王様は悲しくありません。王様は辛くありません。王様は幸福で満ち足りています。

 

 だからでしょうか。

 王様はその黒い竜が自分の中からズルズルと這い出してきたその時ですら何故このような感情が己の裡にあるか終ぞわかりませんでした。


 辛くないのです。

 悲しくないのです。

 妖精達は自分を慈しんでくれます。

 自分は妖精達を心から愛しています。

 この妖精の楽園を誰よりも大切に護りたいと心から誓えます。

 しかし黒く渦巻く竜の産声は止まろうとしません。

 全てを破壊したいと竜は叫びます。

 総てを破滅させたいと竜は喚きます。

 自分で在り、己で在り、善で在る少女をいちたる悪竜は滅ぼさずに要られません。

 わかりませんわかりません。

 王様は呆然と漠然に悲嘆へ暮れてしまいます。

 自分でもわからない想い。

 そんなモノとどう戦えばよいのか勝ち続けた少女にはまったくわかりませんでした。



 だから少女にして赤き竜の化身たる騎士は決意した。

 「勝てぬなら命賭して阻むが宿命」

 この学園都市に来てから、あの黒竜の暴威は目に見えて激減した。

 それがあの白き竜の忠告に従ったからこその影響なのかは定かではない。

 しかし、それでも黒竜は絶大にして無比。

 全てを捨てる覚悟でいた。

 「それなのに」

 なんで、

 「どうして」

 貴方は、

 「ーーーー私の為に命を捨てるんですか先生ぇ!!?」

 劈く叫び。

 騎士である前に少女である彼女が両の膝を付き俯く地面に零れる赤い滴。

 「そりゃ俺が教師でお前が俺の生徒以外に答えようがないぞ」

 生徒を庇い血反吐に沈む教師が星を眺めていた。

 「いってーーごぼッ」

 致死量とか限界ラインとかそんな単語を全速力で周回遅れにする真っ赤な大地。

 これはまた死ぬな俺。

 まあ人間に限らず命ある存在は何時か迎える終わりなのだからそこは特に気にしないで、

 「とりあえず言いたいことはだ」

 自分のことよりまず傍らの生徒。

 ここはキツくてもビシッと言って、

 「お前のどこが悪い」

 語られた王様の話に、俺は担任教師として物申す。

 「そんなの寂しかっただけだろ」

 悲しくなかった。

 辛くなかった。

 でも人である身が寂しさを訴えていた。

 話を聞く限り、少女の周りに人間は誰一人と居らず、触れ合う他者は常に己と異なる妖精達。

 どれだけ愛されようと、次第にその心を圧迫されていく。

 お前に何一つ悪いところなんてない。

 「お前はさペンドラゴン。ただ普通に寂しかっただけなんだよ。だってお前の周りに大切な人はいても、大切な人間はいなかった。自分に流れてる血脈をあんま軽んじないほうがいいぞ。大体自由意志なんて受け継がれた血筋の積み重ねなんだから」

 どれだけ好きでも身が保たなくなるのは当然だ。

 お前は竜の血を、幻想をその半身に宿すと同時に半分は人間なんだから。

 ずっと周りに人がいなかったら胸だって苦しくなる。

 「だから命捨てるような真似するな」

 ここならそんな心配はない。

 ここには神も妖精も人もそんじゃない人外も沢山居る。

 特にうちのクラスはそんな多種多彩人種異種の吹き溜まり。

 少なくとも、自分しかいない、なんて、孤独を感じる暇なんて与えない。

 あの竜がお前の孤独から生まれたなら、きっと近いうちにその意味を理解する。

 誰かと出会える幸福を感じる為に自分は生まれたと納得してホッとして自分を殺したいなんて想うことなんて将来そんなことあったなの良い思い出に変えられる。それなのに、お前が気に病み続けたら救われる孤独ものも救われなくなる。

 「もう解決した問題を気に病んで死んだら人生損だぞ」

 もう一度、蘇れる保障なんて何処にも無いのだから。

 お前の学生生活はこれからが本番なんだ。

 「こんな終わり俺は認めねえ」

 楽しいことが一杯待ってる。

 それでも、もしも、未来の幸福を思い描いても不安なら。

 「安心しろペンドラゴン。怖いなら、どんなことがあっても先生が守ってやる」

 そして教師の瞳から輝きが失われた。

 竜が迫る。

 少女へ牙を剥く。

 己を消し去りたいと祓えぬ衝動に突き動かされ、

 「生太刀いくたち

 神意の太刀筋が少女と竜を別つ。

 「生弓矢いくゆみや

 武の窮みから発せられる八つの弓閃。

 漆黒の巨体を天空へ射貫き墜とす。

 「アーサー。君は死なせないよ」

 状況を見守っていた魔法使いが、推移に呼応した八百万の一柱が、

 「さっきも言ったけど僕は君のもう一人のお父さんだ。子供が親より先に死ぬのは、うん、よくない」

 頬を濡らす騎士王の前方に介入を果たす。

 「よっこらせと」

 そして血溜まりの友人を放置して慟哭冷め止まぬ手弱女の肩を抱き上げお姫様だっこの形で遁走を開始した。

 「逃げるのさ!」

 返答する気力が失われた震える少女騎士を抱いて遠く遠く何処までも、まるで冷たくなる屍体から一歩でも遠く離れるように。

 「彼の本体に巻き込まれる前に!!」


 今宵、学園都市の一角に突如として新たな重層領域が展開した。


 「君に本気を出されたらこの世が保たない」

 黒き竜を呑み込み消えた一人の教師へ偉大なる魔術師は無駄と分かっていても敢えて忠告する。

 「適度に自重も大切だよ。マザーハーロット先生」

 ーーそして黒き竜は声を聞く。

 幻想ゆめは叶う。

 必ず成就する。

 それが許容し難い悪夢であろうと幻想ゆめすべからく叶えられてしまう。

 それは祈り。

 それは願い。

 夢と現が交じり合った過去の大戦。

 最後の幻想と謳われる地獄の先端へ放り込まれ散っていった数多の魂が最後に懐いた願望。

 こんな地獄は沢山だ。

 こんな苦痛は沢山だ。

 だから、

 どうか、

 誰か、

 こんな世界を終わらせてくれ……!!!

 願いは聞き遂げられた。

 しかし履行は為されず、

 世の摂理に穴を穿ちながら、

 切なる終焉の希求が此処東方の島国に刹那顕在する。

 終末が終端を開く。

 あらゆる語り部の最奥に君臨する終焉のご都合主義が恐るべき真価を一端発揮するその一片。

 微かな切れ端に満たない権限体ですら今宵、天上を滅ぼした。

 頭上と呼べるか怪しい遙かな高みにおいて黒の宵を灰褐色の楕円に貫く現象は世の物理が悉くかんむりを戴く様を彷彿とさせる空間断裂。夜を押し広げる鼠色の中央に坐する奈落の底こそ幻想ゆめ望まれる黙示録の具現。この地球そして宇宙全域が黙示の灰に覆われたその時こそが物語のピリオド。歴史と言う名のちっぽけな壮大なるお伽噺を踏み潰す終わりなき終わりの始まり始まり。

 敵意が雄叫び放つ。

 新たに顕れた存在に風穴を貫こうと猛々しく虚空を羽ばたこうとする。

 空しく、

 数多の嘆きを積み重ねた無欠の鉄壁が斜め袈裟切り一文字に鮮血を吹き上がらせる。

 燃え上がる炎を連想させる流血。

 初めて一方的な痛みを知覚した無敵の神経が伝達に遅れを及ぼす。呆気に取られた数秒後。塗り固められた漆黒から恐怖に歪む苦痛が絶叫と共にを吐き出した。

 千の軍隊でも、万の英雄であろうと葬る勝利を約束された絶対の不死身であろうと無敵であろうと終焉は遍く平等に突き崩す。

 忘れ去っていた引き出しの奥底で目覚めた呪いのように。

 黒き竜は戦慄に己の鼓動は凍りつかせる。

 改めて、竜が牙を剥いた彼方を見遣る。

 七つの頭は巨大な山麓と見紛う周囲三千里を隈無く睨めつけ鋭い角を連想させる牙はまるで十本の摩天楼。

 冒涜的なまでの紫煙で頭上たる天空すら犯し染める雲海。

 地獄の猛火が目の前に現れた紅き嘆きの城壁を爬虫類じみた鱗と誰が悟れるか。圧倒的に、絶対的に、そして何より絶望的な未来を黄金色の七頭十四眼が見るからに予見させる。

 これではどちら善悪か判断に悖る。

 あるいは強大なそれがあるだけで邪悪なのか。

 故に本来在るべき善性は包み隠して失われる。

 「悩むのも迷うのも貴重な経験だ」

 そしてあらゆる邪悪と魔の根源が摩天楼の頂たる背に腰を据える。

 「それは肯定する。そこは否定できない」

 だが、しかし、

 「けど、自分を殺したら辛いだけたろうが」

 言葉はくさび

 完璧に傷を生じさせる一撃。

 ボロボロと黒き竜の半身が音を立てながら崩壊を始めた。

 それまでの強靭で無比な鉄壁が嘘であったように。

 芯が虚空な砂上の楼閣が如く。

 「それでもまだ苦しいなら」

 それでも竜は吼えることを止めない。

 拒絶する。

 「叫びたいなら」

 理解されるのを全力で拒む。

 「構わねえよ」

 拒もうと聖職者の歩み寄りは阻めない。

 例えこの行為によって己自身が深い傷を負ったとしても、

 「ようは全力で殴り合いたいんなら、いいさ俺が何時でも何処でも相手になってやる。全力でぶつかってこい。それでお前が自分を傷つけなくて済むなら」

 俺に恐い者はない。

 あるとすれば泣いている誰かに手を差し伸べられなくなったその瞬間。 

 「俺は幾らでもお前の為に傷ついてやる」

 こうして孤独な竜の闘争は幕を下ろした。



 後日、俺の元に黒竜の破壊した物件や物品に対する大量の請求書が所狭しと送られてきた。

 頭を抱えていると指先をモジモジさせたペンドラゴンが何か言いたそうに来た。

 「先生死んでしまいましたから」

 「慣れた」

 「一杯迷惑かけましたから」

 「足りてる」

 「せめての償いを」

 「お腹一杯」

 ペンドラゴンのどんなことでもします発言。

 そうだな。

 一つだけお願いがあるとすれば、

 「女子制服着ろよ」

 「それだけは嫌です」

 今日も2年Z組の授業のベルは鳴り響く。

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