02. オーディション (2)
自分の時間を邪魔されたのが機嫌を悪くしたのか、軽く眉をひそめていた彼は、やっとカフェの中にある人達の目が自分に集中しているのに気づいたようだった。そして父さんに向かって無愛想なあいさつをして、すぐギターのチューニングにまた目を戻してしまった。
そんな彼らの言動が面白かったのか、父さんは微かに微笑んでいた。そして舞台の中央に立っていた女の子は、自分のチューニングは終わったのかキーボードから一旦離れ、周りをぐるっと見たあと、舞台の隅っこに置いてあったピアノに向かった。
え?ピアノ?ちゃんと自分のキーボードがあるのに。まだチューニング中のバンドメンバーを除いた他のみんなが不思議な目で彼女を見たら、あの子はパッと華やかな笑顔を浮かびながら口を開いた。
「あ、これはいつものファンサービスみたいなものです。私キーボード担当ですよ」
そうやって自信たっぷりな笑顔をみせた彼女は、軽く手首を回しながらストレッチングをした。そしていきなり鍵盤の上にその繊細な指を乗せ、演奏を始めた。いろんな音が空気中に混ぜて響く美しいハーモニー……。
どこかで聞いたことのあるクラシック曲に、カフェの中にいたみんなはその音に捕らえたまま夢中になって聞いているしかなかった。その間、すべての準備を終えたようなほかのメンバーたちは平気な顔でくすくす笑っていた。
「恵のやつ完全に乗ったね、乗った」
「もうあいつが何弾いてるかもわかる気がしてきた。あいつのせいで俺がクラシックを覚えるくらいだかんな」
「健一さん、俺はあれがショパンのエチュード5番っていうのに百円かけるよ」
「俺はそこまで詳しくはねーよ」
恵という子がもうすぐ終わると思ったころ、彼らの話が私の耳まで届いた。あれがショパンのエチュードなんだ。たぶんいつか父さんのCDの中で聞いたことがある。よく覚えてはないけど、たぶん黒鍵盤だけで弾く曲だった気がするんだけど。
きょろっと父さんのほうを見たら、やはりかなり満足げな顔でこっくりと頷きながら聞いていた。そして曲が終わり、父さんは満面の笑顔で彼女に盛大な拍手を送った。それは私と星野さん、カフェの皆も同じだった。
さてと、そろそろバンドの出番か。再びカフェの中が静かになり、彼女がピアノから上がって元々自分の席であるキーボードまで戻って、あの「智也」っていう子と目を合わせた。あの子はギターを負い、マイクの前で立っていた。あ、あのうぬぼれやつがボーカルだったんだ。
なるほど、なんとか納得した。さっき「モテすぎてごめん」なんかの変な曲を歌っていたのを一瞬思い出して、私はくすくす笑ってしまった。そして彼の顔をまっすぐに見たとき、ちょっと目が合ったと思われたのは私の勘違いだったかな。そのとき、ボーカルの子が手に持ったマイクから、大きくて清らかな声が予告もなく響きだした。
「はじめまして。青少年保護区域です!!!」
「……。」
「ボーカル兼エレギの富沢智也です!キーボードは川原恵!あそこのベースは初音優太!最後にドラムの斉藤健一です!よろしくお願いします!」
さっきメンバーたちと話した声とは違って、楽しいという気持ちをいっぱい込めた明るさ、そしてその声ととても似合う少し悪戯っぽく微笑むあの顔は、みんなに好かれるに十分だった。あいさつが終わったとたん、うそみたいに口を伏せてしまったボーカルの子。そしてそれを待っていたように、静かなギターの音がカフェ中に響き、その間を弾けるように続いた強烈なボイスに、私は圧倒された。そして叩き始めるドラム。
「一度だけ振り向いてくれよー僕だけ後姿をずっと見つめているのはあまりにも不公平すぎるよーいっそ何も見えなくなってしまえばいいのにー♪」
両手でマイクを抱えて、目を瞑って歌うボーカルの子。そしてその声がいきなり姿を消したら、私はキーボードの前の座っている女の子に視線を移り…、少し無愛想な顔の彼女が一つずつ鍵盤を弾き始める。
ド…、ミ…、ソ…、ラ…、シ…、ド…、レ…。
息が詰まるくらい高くキーボードの旋律が高かくなるのと同時に、ドラムも少しずつ激しくなっていき、再びボーカルの子の高いボイスがカフェの中に強烈に響いた。
「僕の心臓は馬鹿じゃないさーでも愛せるのはたったひとりだけー♪」
何分間続いた短い曲が幕を閉じたら、私は何ものかに取り付いたみたいにぼっとして「青少年保護区域」というバンドのボーカルの子を見つめて…。父さんは豪快に笑いながら親指を彼らの前に立ててみせた。
…人を魅惑させるすごしカリスマだった。
「いいよ。実力は認めてやる。午後10時から11時。毎週金曜。一応テスト期間として一ヶ月あげるとしよう」
その瞬間、「富沢智也」という彼の顔に、私の人生初だといってもいいくらい、私をドキドキさせる最高の綺麗な笑顔が浮かび上がった。わぁ、すごいかわいいなえくぼ。しかも片方だけ。
「ありがとうございます、滝瀬さん!よろしくお願いします!」
…しばらくは、このバイト生活がもっと楽しくなりそうだ。私はいつのまにか彼の笑顔につれて微笑んでいた。