分かった
あの日以来、足しげく通うようになった、とある寺の墓地。以前は地図を頼りにここまで来ていたのだが、慣れとは不思議なものだ。今となっては、特に何も考えずとも、目的地までたどり着いてしまう。
墓を管理している住職に一通り挨拶を済ませ、彼女の墓石の前へ行く。
「ん・・・?」
死んだ恋人が眠っている墓に、花束と、そしてまだ燃えている線香の束が供えられていた。
「誰か来たようだが・・・・・・」
井上には心当たりがないが、きっと彼女の友人か誰かが墓参りに来たのだろう。だがしかし、どうも不自然だ。毎月、井上はここまで足を運んでいた。が、このような経験は今回が初めてだ。
「まあ・・・・・・・いいか」
とりあえず、自分も持ってきた花束を供え、線香に火をつける。先客が掃除したのか、墓石はキレイだった。井上は手を合わせ、小さく呟く。
「すまない、まだ真相は掴めていない。だが、必ず、いつか必ず真相を暴いてやるからな・・・。それまで、待っててくれ」
手をおろし、目を開ける。強い意志を持った彼の瞳が、彼女の墓を見つめていた。
「・・・・・・さて、もう行くよ。じゃあな」
そう言って、井上は墓地を後にする。いつも墓参りの後は、彼女の部屋の掃除に向かうのだ。あの日から、時間の止まってしまった寂しい部屋に。
例の寺から少し離れたJRの駅。そこから三駅、そのあと歩いて十分ほどで、彼女の住んでいたマンションにつく。閑静な住宅街。JP警備までは、車で三十分ほどの距離のところだ。
自動ドアを抜けると、また自動ドア。二番目のドアは、暗証番号を打ち込んで開けるタイプのドアだ。井上は慣れた手つきで五桁の暗証番号を入力する。間もなく、自動ドアが開いた。管理人室の前を通り、エレベーター前へ。ボタンを押して、エレベーターを呼び寄せ、乗り込む。五階のボタンを押すと、エレベーターの扉は勝手に閉まった。
一分もしないうちに、五階へ到着。彼女の部屋は五〇四号室。井上は、ポケットからキーケースを取り出した。
暑い日差しに照りつけられながら、道を歩く少女。彼女を太陽の光から遮っているものと言えば、彼女がかぶっている少し大きめの帽子くらいだ。
「フゥ・・・・・・。少し暑いな・・・」
いつもは言葉の少ない彼女の口からも、そんな言葉がこぼれた。だが、今はどこかで休憩などしている場合ではない。とにかく、さっさと拠点・・・と呼ぶには余りにもお粗末すぎるが・・・のアパートへ戻らなければ。自分の仕事上、あまり人目に付くような行動は避けなければならない。しかし、今まで何もしなかったのに、どうして今になってこんなことをしようと思ったのだろうか・・・。その答えは、彼女にも分からない。分かることと言えば、今回の仕事は今までのものとは何かが違う、という事だけだった。
道の途中にあった自動販売機の前で立ち止まる少女。さすがに、今日は暑すぎる。別に、どこか店に行くわけでもないし、これくらい構わないかな・・・。
ため息をついてから、自動販売機の取り扱い飲料を確認する。一番上の段に、ペットボトルのお茶が並んでいた。彼女はそれを確認すると、肩から提げていた小さめの鞄から、地味な財布を取り出した。
「あ・・・・・・・・・・・」
財布の中には、数枚の万札と、それと合計百円に満たない小銭のみ。自動販売機で飲み物が買えるような所持金ではなかった。
少女は、気持ち肩を落とすと、持っていた財布を鞄にしまった。花はともかく、線香は買うべきではなかった・・・。そんなことを思いながら、彼女はまた暑くなったアスファルトの上を歩き出した。アパートまでは、あと二十分ほどかかる。・・・長い。
五〇四号室の玄関に、鍵を差し込み、反時計回りに回す。ごくごく一般的な扉の開錠を済ませると、井上はドアを開けた。熱気が停滞しているのがよくわかる。
一月前と、特に何も変わっていない部屋。だが、やはりホコリは少々たまっている。月一で掃除しに来ているが、これはもう少し掃除の頻度を上げたほうがいいかもしれないな・・・。玄関で靴を脱ぎ、短い廊下を通り、リビングへ。ピンクを基調とした、いかにも若い女性が住んでいますという感じの部屋だ。南向きの、大きな窓を覆っているカーテンを開けると、外の光が一気に差し込んでくる。日光を反射して、ホコリが舞っているのもよく見えた。
「さて、掃除掃除っと・・・」
そう言って、部屋をきょろきょろと見回す井上。どこから始めようか、考えているようだ。
「・・・・・・ん?」
その時、本棚の上にあった写真立てに目がとまった。死んだ恋人が、井上と一緒に写っている写真や、一人で写っている写真のほかに、もう一つ、少し古い写真があった。それを見た井上。そうだ、思い出した。あの娘は・・・・・・。
「そうか・・・・・・ここで見てたのか・・・」
井上は、古びた写真を飾っている写真立を手に取った。さらに若いころの恋人と、まだあどけなさが残るが、特徴は変わっていない、あのスナイパーの少女が二人で写っている写真だった。
井上はすぐさま携帯電話取り出し、通話を始める。相手はもちろん、相棒だ。
「・・・・・・・・ああ、俺だ、井上だ。例のスナイパーの娘いただろ?ようやく思い出したよ、どこで見たのか。・・・ああ、ああ、そうだ。それじゃあ午後六時にいつもの店で・・・・いや、これはあって直接話した方が楽だ。別にじらしてる訳じゃねぇよ。ああ、そうだ。じゃ、いつもの店でな」
そういって電話を切る。話したいことは山ほどあるが、今は頭を整理する時間と、とりあえずこの部屋を掃除する時間が必要だ。
井上はまた、携帯でどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし、警備部の井上です。緊急の用件です。情報部の柚木につないでください」
どうやら電話先は職場のようだ。
「もしもし?俺だ、井上。ちょっと頼みたいことがあんだけどよ・・・・・・いやいや、どうせヒマだろ?頼まれてくれよ。調査内容は会って伝える。今日の六時に、俺と藤井のよく行く喫茶店に来てくれ。たのんだぞ。じゃあな」
そう言って電話を切る。情報部に何を頼むというのだろうか。
「・・・・・・・・ふぅ、ま、こんだけやっときゃいいな」
どうやら彼なりの考えがあるようだ。
「・・・さて、じゃ、さっさと掃除しちまうか・・・」
井上は、雑巾を洗面所まで取りに向かった。
その頃、少女はアパートに到着していた。汗をかいた体も、シャワーを浴びてキレイにしたし、例の個人経営のコンビニでお茶も買った。今は、すこし、のんびりとしている所だ。仕事柄、休息というものはあまりないので、今のようなくつろげる時間は、とても貴重なのだ。
ベッドに座り、先ほどまで身に着けていた鞄から、地味な財布を取り出す。財布の中には、金銭以外に、一枚の写真が入っていた。彼女が、姉のもとからいなくなる、ほんの数か月前の写真が。写真の中の二人はよく笑っている。自分はもう何年もこんな笑顔をしていない。楽しかったことなど、ほとんど忘れてしまった。生きる上で、特に必要でないことは忘れろ、そのように教わってきた。だが、一つだけ。姉のことだけは、今でもしっかりと覚えていた。
ダメだダメだ、感傷に浸っている場合ではない。少女は頭を振って、さっきまでの気持ちを振り払った。そう、私は殺し屋。平穏など到底望めない。そのことは分かっている。分かっているはず、なのだが・・・・・・・・。今の彼女の心は、見えない何かによって、大きく揺さぶられていた。