相談
「私ね、お墓には入りたくないの」
いつだったか、とある休日の午後、庭の花へ水をやりながら妻が話した内容が、頭から離れない。
俺は、何と返したんだったか。
「でも、私はそういう終わり方が好き」
妻は、最後にそう言っていた気がする。
玲子が亡くなって三日。
病院から提携先の安置施設へ遺体を預け、葬儀の日程もまだ決めきれずにいた。
先祖代々の墓へ入れる。それが当然だと思っていた。
「お父さん」
娘の美咲が静かに声を掛けた。
「今日、相談可能だって」
恒一は返事をしなかった。向かう先は、普通の葬儀社ではない。遺体を土へ還し、その土で木を育てるという、聞いたこともない葬送を行う場所。
深峰村にある深代木葬舎。玲子が最後に望んだ場所だった。
その建物に入ると、木の香りがほのかに漂っていた。
白を基調にした室内には派手な装飾はなく、窓辺には小さな観葉植物が置かれている。壁には小さな絵画や、四季折々の森を写した写真が静かに並んでいた。
葬儀場というより、簡素な美術館のような雰囲気だった。
「高橋様ですね」
受付の女性が立ち上がり、一礼する。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
深代木葬舎の事務員、藤崎真緒は落ち着いた声でそう告げると、二人を応接室へ案内した。
必要以上に笑顔を作ることもなく、しかし冷たさも感じさせない、事務員らしい丁寧な対応だった。
「お飲み物をお持ちします。お掛けになって少々お待ちください」
扉が静かに閉まる。部屋には、高橋恒一と娘の美咲だけが残された。恒一は落ち着かない様子で室内を見回す。
応接室は決して広くはないが、不思議と窮屈さは感じなかった。白い壁と無垢材の床が柔らかな印象を与え、窓から差し込む午後の日差しが室内を穏やかに照らしている。
中央には木製のローテーブルを挟んで落ち着いた色合いのソファが置かれ、壁際には小さな本棚があった。そこには植物や森林、終活に関する本や写真集が飾られている。
「……葬儀屋、なんだよな」
「うん。電話した時もそう言ってたよ」
「思っていたのと違うな」
二人は無言のまま、静かな時間だけが流れている。
ほどなくして扉が開き、一人の男性が入ってきた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。初めまして、ここの代表の朝霧悠と申します」
深く頭を下げ、向かいの席へ腰を下ろす。
年齢は三十代半ばほどだろうか。ジャケットではなく、黒いスラックスに白衣という、葬儀屋らしからぬ姿だった。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
恒一も軽く頭を下げた。
「こちらこそ。急な連絡にも対応頂き、ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから」
少し沈黙が流れる。朝霧は急かすことなく、二人の様子を静かに見ていた。やがて恒一が口を開く。
「妻が……ここに来たいと言っていたそうなんです」
恒一は、一言そう呟いたあと、また黙ってしまった。その様子を見て、痺れを切らしたように美咲が静かに続ける。
「お母さん、生前に私へ話していたんです。『もし私が死んだら、木になりたい』って」
朝霧は小さくうなずいた。
「そうでしたか」
それだけだった。驚くことも、勧めることもない。ただ、話の続きを待っている。
恒一は膝の上で手を握りしめた。
「正直、私は反対でした」
ゆっくりと、泡のように湧く言葉を選ぶように続ける。
「うちは代々の墓があります。親も、その親も、みんなそこへ入っています」
「はい」
「妻だけ別の場所へ行くなんて……それで本当にいいのか、どうしても分からなくて」
美咲は父の横顔を見つめた。
「お父さんは、お母さんのことを考えてないわけじゃないのね」
「……当たり前だ」
恒一は苦く笑った。
「だから困ってる」
その一言に、美咲も何も返せなかった。
朝霧は少し間を置いてから口を開く。
「迷われるのは、ごく自然なことです」
二人は顔を上げた。
「故人の願いと、ご家族のお気持ちが一致するとは限りません」
「……」
「どちらが正しいという話でもありません」
朝霧の声は穏やかで、自然と心に入るような声だった。
「残される方が悩まれるのも、大切な時間だと私は思っています」
恒一は視線を落とした。責められている気はしなかった。かといって、木葬を勧められているわけでもない。ただ、自分の迷いを否定されなかった。そのことに少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「今日は……契約の話になるんでしょうか」
恒一がおそるおそる尋ねる。その問いに、朝霧は首を横に振った。
「いいえ、今日は決めなくて構いません。」
恒一は思わず顔を上げた。
「決めなくても……?」
「はい」
朝霧は静かに続ける。
「私は木葬を選んでいただくために、ここにいるわけではありません」
その言葉は営業の常套句のようには聞こえなかった。
「火葬でも、お墓でも、納骨堂でも。皆様が納得して選ばれることが、一番大切だと思っています」
部屋が静まり返る。美咲は少し安心したように息を吐いた。朝霧は穏やかな表情のまま立ち上がる。
「もしよろしければ」
二人へ視線を向ける。
「まずは施設をご覧になりませんか」
「施設……ですか」
「はい」
「言葉だけでは伝わらないこともあります」
朝霧は扉へ向かって歩き出した。
「見ていただいて、その上で考えてください。それからお断りいただいても構いませんので」
恒一は美咲と顔を見合わせた。娘は小さくうなずく。
「……見せていただけますか」
「もちろんです」
朝霧は静かに微笑む。
「こちらへ」




