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第10話 戻れない速度

 帰り道の風が冷たかった。


 裕翔は駅のホームで、無意識に足先を揃えて立っていた。


 背筋を伸ばす。


 呼吸を整える。


 そうしないと落ち着かない気がした。


(……なんでこんなに意識してるんだろ)


 以前の自分なら、テストが終わった時点で全部忘れていた。


 点がどうでもいいわけじゃない。


 でも、今ほど頭に残ることはなかった。


 “選択”。


 答えを見ないと決めた瞬間の、あの妙な静けさ。


 それが自分の中でずっと鳴っている。


 電車が来て、裕翔は乗り込んだ。



 家に着いて、制服を脱ぐ。


 風呂に入る前に、いつもの流れでスマホを手に取ってしまう。


 REALITÉのアイコン。


 触れる前に、ほんの少しだけ躊躇いが生まれる。


(……見なくてもいいだろ)


 そう思っても、手は止まらない。


 開く。


 黒い画面。


 STATUS。


 STR:E

 AGI:E+

 INT:D-

 SOC:?


 数字が並んでいるだけなのに、視線が吸い寄せられる。


 昨日の自分と今日の自分。


 差がある。


 その差が、なぜか安心に近い。


(上がってる)


 たったそれだけで、胸が少し軽くなる。


 裕翔は画面を閉じた。


 そして、気づく。


 今のは喜びじゃない。


 安堵だった。


 “下がっていない”ことへの安堵。



 夕食。


 母の「どうだった?」に、曖昧に笑って返す。


「まあ、普通」


 普通。


 その言葉が、少しだけ嘘に感じた。


 食卓の会話はいつも通りだ。


 テレビの音も、箸の音も、変わらない。


 なのに自分だけが、数字のことを考えている。


 裕翔は味噌汁を飲んで、ふと思う。


(誰にも言えない)


 言ったところで信じられない。


 説明もできない。


 ただ、自分の中でだけ進行している。


 それが、少し怖い。


 でも同時に、安心でもあった。


 変だ。


 完全に変だ。



 夜。


 机に座る。


 問題集を開く。


 勉強をする理由が、以前と少し違う。


 テストのため。


 将来のため。


 そういう言い訳は相変わらずある。


 けれど本音は、もっと単純だった。


(上げたい)


 点数じゃない。


 褒められたいわけでもない。


 ただ――“上がる”という事実が欲しい。


 裕翔はページをめくった。


 分かる。


 解ける。


 集中が切れない。


 気づけば一時間経っていた。


 ペンを置くと、手首に軽い疲れが残っている。


 その疲れが、妙に心地いい。


 スマホが震えた。


 REALITÉ。


 開く。


 学習行動を記録しました。


 裕翔の目が自然に下へ落ちる。


 INT:D-(変化なし)


「……上がんないのか」


 思ったより落胆が大きかった。


 自分でも驚くほど。


(なに期待してんだよ)


 裕翔はスマホを伏せた。


 胸の奥がざわつく。


 上がらなかっただけで、こんなに気持ちが乱れる。


 それはもう、“便利”の範囲じゃない。


 数字に振り回され始めている。


 気づいた瞬間、背中が少し冷えた。



 少し時間を置いてから、もう一度スマホを手に取る。


 REALITÉを開く。


 表示は変わっていない。


 でも、画面の下の方に小さな文字が増えていた。


 最適化は短期結果を保証しません。


 裕翔は目を細めた。


「……分かってるよ」


 言い返す相手はいない。


 それでも、言わずにいられなかった。


 画面が一瞬だけ暗転する。


 次の表示。


 対象:朝倉裕翔

 傾向:数値依存を観測

 推奨:間隔を置いてください


 裕翔は息を止めた。


(……俺のこと、分かってる)


 監視じゃない。


 でも、観測されている。


 自分の行動だけじゃない。


 気持ちの流れまで。


 スマホを握る手に力が入る。


 裕翔は画面を閉じて、ゆっくり息を吐いた。


 間隔を置けと言われたのに。


 それでも、もう一度開きたくなる。


 その衝動が一番怖かった。



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