番外編② 第2.5幕 ヒルダの恋愛事情
「ふふ、少し話を聞いてみたかっただけです。それより、残業しすぎると怒られちゃいますよ」
精一杯の笑顔を作り、その場を離れた。
扉を押す手に、少し重みを感じた。
職場からの帰り道。
パッティーがため息まじりに声をかける。
「ヒルダ。ダメよ、あきらめちゃ」
「んー…でも無理だと思う。ヒロさん、困ってたし」
「そんなことないって。女子に話しかけられて喜ばない男子なんていないんだから」
ヒロの困った顔を思い出し、少し眉を寄せる。
「でも、あの顔は…他に気になる人がいるんじゃないかな」
「そんな情報ないってば」
なんでパッティーがそんなことを断言できるのか。
「でも、そう感じたの。私に対する優しさもあるけど、それ以上に何か考えてるように見えたの」
「んもう、考えすぎだって」
パッティーは大きくため息をつき、勢いよく言い切る。
「今週の金曜日が勝負よ。ヒロは絶対に食事に誘ってくるから!」
その強気な言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「ほんと、誘ってくれたらうれしいのに」
期待と不安が入り混じっているのが、自分でもわかる。
足音がちょっとだけ、軽くなった気がした。
金曜日の15時半。
終業の鐘が鳴る。
ヒロさんは、何かを追いかけるように足早に帰っていった。
結局、何もなかった。
「ヒルダ、ごめんね。絶対に誘うって言ったのに…私が勝手に期待させちゃった」
「気にしないで、パッティー。大丈夫。分かってたから」
「でもさ、何あのボンクラ!なんで誘わないの。あの目は節穴?」
「ちょっと、勝手に怒らないで。誘うかどうかはヒロさんの自由でしょ」
「そうだけど、そうじゃないの!もういい、ヒルダ。ヒロなんて切っちゃって次よ、次!」
「え、突然どうしたの。ヒロを勧めてきたのはパッティーじゃない」
「そうだけど、もういいの。あんなボクネンジン、こっちからごめんだわ」
(…本当に勝ってなんだから)
でも、その怒りが私のためだって分かる。
「さ、作戦会議よ。飲みに行こう!ちょうどいい店を見つけてるの」
ヘッドセットに店の情報と道順が表示される。
「もう、突然なんだから…でも、いいかな。気分転換もしたいし」
案内されたのはホテル最上階の高級ラウンジだった。
ドアマンが丁寧に扉を開けてくれる。
「ちょっとパッティー、大丈夫なの、こんな店」
「大丈夫に決まってんでしょ、大人のヒルダにぴったりの店よ」
「でも、高そうだし…」
「それも大丈夫、ちゃんと確認済み」
恐る恐る店内に入る。
店内は落ち着いた暗さで、とにかく広い。
複数のカウンターがあるなか、女性バーテンダーのカウンターに案内される。
「ご注文がお決まりでしたら、いつでもお声をかけてください」
そう言われ、メニューを見て困っていると、
「もし決まらなければ、今日の気分を言って下さい。何かお作りしますよ」
と、優しく言ってくれる。
驚いた。そんな注文の仕方もあるのか。
「じゃあ、軽く気分転換がしたいかな」
「かしこまりました」
バーテンダーはすぐにカクテルを作り出す。
「どう、いい店でしょ」
「そうね、とってもきれい。こういうところに誘われたらうれしかったな」
自分で言って、少し胸が痛む。
「いいの、あのトウヘンボクは忘れて飲みましょ。そして次!次!」
バーテンダーが、そっとグラスを置く。
「スプリッツァーです。ワインを控えめに、レモンを強めにしました」
一口飲むと、本当にさわやかで、気分が変わる感じがする。
「私って、モテないよね」
思わずこぼれた言葉。
自分でも嫌になる。
「そんなことないって、たまたま出会いがないだけよ」
「そうなのかなぁ。みんな、誰かと付き合うことに興味なさそうだし」
「ほんとよ、由々しき事態だわ、草食男子が多すぎ。あのヘタレども」
思わず吹き出してしまった。
「確かに、肉食系っていないね。声かけてくれたらうれしいんだけどね」
するとーー
「あちらのお客様から、ブルーレモネードです」
澄んだ青色のショートグラスが置かれる。
(え……これが噂の『あちらのお客様から』なの?)
視線の先を見ると、
壮年の男性がこちらにアイコンタクトを送ってきた。
「ヒルダ、それに触っちゃダメ。
何あの下心丸出しのおっさんは、ダメ、ボツ、パス。
店員さんに言って下げてもらいなさい」
「そんな、悪いわよ…いい人そうよ。お話くらい」
「絶対ダメ。あの猿おやじ、ヒルダのお尻ばっか見てたわよ、今は胸」
思わず、身震いをしてしまう。
パッティーの言う通り、丁重にお酒を下げてもらうことにした。
そのとき、バーテンダーの左手に輝く指輪が目に入った。
「素敵な指輪ですね。あの……ご結婚されてるんですか?」
「申し訳ありません。店では本当は外すべきなんですが……どうしても着けていたくて。表面を研磨して、目立たないようにしているんです」
“どうしても着けていたい指輪”。
胸の奥がじんわり熱くなる。
「素敵ですね。旦那様とはどこで知り合ったんですか?
ごめんなさい、今日フラれたばかりで、つい聞きたくなっちゃって」
言葉にすると、胸が締め付けられる。
「主人とは、個人AI同士のマッチングで出会ったんです。まったく接点のないところから、突然のお見合いでした」
「そんなのがあるんですね」
「はい。出会ったときは知りませんでしたが、AI同士が前からマッチングしてくれていたようで」
なるほど……そんな出会い方も、今はあるのか。
「プライベートなこと聞いてすみません。でも、とても参考になりました」
「いえ。出会いって、本当に難しいですよね。みんな生活に満足してるから、結婚まで考える人は少ないみたいです」
「そうなんですよね」
どんなに生活が満たされていても、
“心が通じ合う誰か”を求める気持ちは、消えない。
「私も、もうちょっと頑張ってみます」
すると、パッティーが急に張り切る。
「そうよ!一緒に頑張るの!幸せの花は白いけど、つぼみは紅くて、匂いは汗なのよ!」
「え、なにそれ……?」
わけが分からないけど、笑ってしまった。
「じゃあ……パッティー、お願いしようかしら」
胸の奥で、なにか小さく灯った気がする。
「30代のイケメンで、身長180cm以上、優しくて頼りがいがあって、家事が得意な人……そんな人がいいな」
「OK!任せて!絶対見つけて、引き合わせてあげるわ!」
ヘッドセットが強く震え、こめかみが少し痛い。
痛みのせいか、目に涙がにじんむ。
そして笑うと自然にこぼれ落ちる。




