番外編① 第-1幕 ハナの思い
扉が開く。
油の染みた木の軋みが、ドアベルの変わりに音を立て。
「いらっしゃいませ」
条件反射みたいに声が出た。
入ってきたのは——真面目そうな優男。
この店の、少し埃っぽい酒場の空気とは、絶対に相性が悪いタイプだ。
新顔にはしては、本当に珍しい。
「ヒロじゃねぇか。来てくれたか」
店長の声に思わず眉が跳ねた。
……え、知り合い?
あの店長が、こんな“優等生”と?
「店長……もしかして監査とか? うち、やっぱり危ないの?」
「ちげぇよ。昔の後輩なんだよ」
笑いながら私の頭を軽く小突く店長。
へぇ。
「真面目な優男 × ワイルド店長」という、絵面的にどうかしてる組み合わせが脳内に浮かんだ。
……逆に面白い。
「アイツは真面目でいいやつなんだ。からかうなよ」
わざわざ釘を刺される。
「はーい」
口だけ返事。
でも視線は青年に釘付けだった。
(エトロフの“模範市民”って、大体ああいうタイプよね)
彼は酒を頼まず、メニューをじっと眺め、
ヘッドセットのAIと何か話している。
(カロリーだの、栄養だの、推奨だの……うるさいやつ)
うちの店は、AIが眉をひそめるような香辛料や調味の工夫が売りだ。
それを、真面目にAIに相談しながら食べてる姿を見ると……
ムカムカする。
気づけば、カウンター越しに声が出ていた。
「ねぇ、こんばんは。私も一杯、もらっていい?」
「えっ、あ、はい。どうぞ」
青年は驚いたように背筋を伸ばす。
慣れてなさが丸見えで可笑しかった。
「店長の後輩なんですって? 厳しくなかったですか?」
「そんなことないよ。ダン先輩には、本当に色々教わったんだ。困ってるときに、よく助けてくれたよ」
本当に模範回答。
AIが答えているかと思えるほど。
「AIって便利ですよねぇ。……何でも答えてくれるし」
口に出た瞬間、しまったと思った。
でも遅かった。
青年はすこし驚いたように瞬きをしてから、穏やかに微笑んだ。
「確かに便利だけど、あくまで助けてくれるだけで……答えは教えてくれないよ」
穏やかすぎて、逆に腹が立つ。
「でもさ……働いてない人だって多いじゃない。
家畜みたいに、生かされてるだけっていうか」
またやっちゃった。
初対面の相手に言う言葉じゃない。
おそるおそる、青年を見る。
青年は短く呼吸を整え、落ち着いた声で言った。
「……それは、ちょっと言いすぎだと思う」
とたんに、店内の空気が薄くなった気がした。
遠くのテーブルで鳴っていた氷の音さえ、妙にはっきり耳に刺さる。
さっきより、声の芯が固い。
「でも、“そう見えるときがある”っていう気持ちは分かるよ。
目的が見つからなくて、ただ流されてる人もいる。
僕も……たまに迷う。どうすればいいんだろうって」
模範的な答えじゃない。
この人の言葉だった。
少しだけ興味が湧いた。
もっと知りたくなってしまう。
「ねぇ、お酒飲まないの? 私だけじゃつまらないしさ。軽くカクテルでもどう?」
「ごめん、お酒は苦手で……」
「苦手とか言わないの。店長特製のクラフトコーラで作るから。ほら、付き合ってよ」
甘えた声を混ぜる。
わかりやすく効いた。
「……じゃあ、少しだけ」
ビアコーラを作り、グラスを差し出す。
「かんぱーい」
カチンという音が、小さな店に響いた。
「美味しいね。想像よりずっと」
「でしょ? おつまみもあるよ、いろいろ食べてみて」
素直な反応に、こっちまで少し楽しくなる。
「……ヒロくんさぁ。本当に自分で考えてるの?」
気づけば声がこぼれていた。
少し酔いが回っていたのかもしれない。
胸の奥の燻りが、勝手に浮いてくる。
ヒロは目を丸くして、頬を赤く染めた。
「もちろん考えてるよ。何度も言うけど、決めるのは僕だ」
「それ、本当に?
“AIが喜びそうな答え”を選んでるだけじゃなくて?」
自分でも刺しすぎだと分かっていた。
なのに止まらなかった。
「この国の人って、正しいことしか言わないじゃん。
正しく笑って、正しく振る舞って……
“正しく見えるように” 生きてるって感じ」
何でこの人は怒らないの、
何でこんなに真面目に答えてくれるの。
「僕がどう見えてもいい。
でも、エトロフの人が“考えずに従ってるだけ”って思われるのは嫌だ」
声に熱が宿っていた。
この人は、ただ真面目なだけじゃなく、
本当に芯があるのがわかる。
「僕だって迷う。失敗もする。
AIの助言を無視して……後悔したこともある。
“自分で選んだ”って思ったことが間違ってたことだってある」
ヒロの言葉が、思ったより脆くて、思ったより…
胸が少し痛む。
なのに、口だけは止まらなかった。
「だがらさ、間違いが怖いからAIに従ってんでしょ。
選んでるっていっても、その選択肢はAIが——」
「違う!」
空気そのものが跳ねたように聞こえた。
カウンターの上のグラスが微かに震える。
ヒロはまっすぐ私を見ていた。
さっきまで穏やかだった瞳が、熱を帯びてぎゅっと収束している
「それだけは違う。
確かにAIの選択は正しい、
でも、それでも……」
誰かの息を飲む音が聞こえた気がしたけど…
多分、私の呼吸だ。
「それでも……僕の選択なんだ」
その声は、穏やかだけど、熱が芯に残っていた。
私は言葉を返そうとした。
でも喉の奥に何か詰まって、声がうまく出なかった。
彼自身が迷って、揺れて、それでも選んでいる。
その熱に、思わず指先がじん、と熱を帯びた。
そこからは、あまり覚えていない。
なにを言い返したのか、ヒロがどんな顔をしていたのかも。
気づけば、私は店の奥で寝ていた。
「……あれ? 店長」
「言ったよな、からかうなって。それに客と喧嘩すんな」
呆れと怒りが混じった声。
「寝てた分は時給引くからな」
ぼんやりした頭で、ヒロの顔だけが浮かんだ。
さっきの怒った目も、震えた声も。
(……なんでだろ。楽しかった、みたい)
胸のあたりだけ、不思議なくらいあたたかかった。




