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第3幕 忘れていたこと

ハナの言葉が頭から離れず、昨夜はほとんど眠れなかった。

 目を閉じると、ハナの言葉がぐるぐる回る。

 自分の選択が正しかったのかも、分からない。


 空が少しずつ明るくなると、自転車にまたがった。


 いつもなら近くの自然公園で、気ままにキャンプをしている。

 でも今日は、なぜか遠くへ行きたくなった。


 とにかく一人で。





 ヘッドセットを着けずに外に出るのは、どれくらいぶりだろう。


 AIのサポートはなく、目の前には何も表示されない。

 現在地も、時間も分からない、

 お金も、身分証もない。


「不便を楽しむのか……いや、バカを楽しむのが人間か」


 楽しいかどうかもわからない。ただ、バカなのは確かだ。



 ペダルを踏むたび、風が頬を打ち、髪を乱す。

 速度も心拍数も分からない。


 いや、胸を打つ鼓動は感じる。

 いつも表示に出ている心拍数とは別物だ。


 ARが重ねられた世界こそが、僕たちの世界だ。

 でも、いま感じている世界も、本当の世界だ。



 疲れて、道のわきに倒れこむ。


 ヘッドセットを外して見る世界は、

 外側からも内側からも、こんなにも情報に満ちている。


「なんで忘れていたんだろう」


 そう、別に知らないわけじゃなかった。

 分かっていたはずなのに、

 ヘッドセットなんていつでも外せるのに。


 なんで忘れていたんだろう。


 寝ころびながら、顔を横に向けると花が咲いている。

 ヘッドセットがあれば、花の名前が表示に出ていたはずだ。


「綺麗な花だ」


 今、わかるのは、その花が綺麗だということだけ。

 体を起こす。


「とにかく、行けるところまで行ってから帰ろう」





 湖畔の道を、ペダルを踏みしめながらまっすぐ進む。

 水面が朝の光を受けてきらきらと揺れている。


「湖も、きれいだ」


 頭の中で地図を描こうとしてみるが、現在地の想像すらできない。

 自分がどこにいるのか、どのくらい進んだのか、

 まるでわからない。


 視界の先で、アンテナのようなものが動いた。

「よかった、人だ」


 深く考えず声をかける。

 疲れているせいもあるが、普段から犯罪やトラブルのことは、頭に浮かばない。


「すいません、ちょっといいですか。ホントにバカな話なんですけど、道に迷っちゃって」


 男はアジア系で、50代前後という雰囲気。

 笑顔を返すが、言葉の端にわずかに警戒が混じっている。


「道に迷うって……兄ちゃん、不法移民じゃねぇよな?」


 考えたら当たり前の反応だ、

 ヘッドセットがあれば、道に迷うことはない。

 そしてヘッドセットがないなんて、怪しいに決まってる。


「ごめんなさい。興味本位で、ヘッドセットなしでキャンプしようと思って」


 男の表情から警戒心が少しとけて見えた。

 こちらの自転車や身なりが清潔なのも、安心材料になったのだろう。


「なんだよ、兄ちゃん。もしかして傷心旅か?」


 当たらずとも遠からず、という感じなのが笑える。


「ここまでほぼ一本道だっただろ。回れ右すりゃ、すぐ街に着くさ」


 確かにそうなのだが。今は、その一本道すら不安なのだ。


 湖の風を感じながら、小さく深呼吸をする。

 それでも、誰かと会話することで心が少し落ち着く。


「そういや、兄ちゃん。腹減ってないか? よかったら昼飯でもどうだい」


 男がそう言った瞬間、男が持つ“アンテナ”が大きくしなった。


「よし、ヒット。今日は調子がいい」


 男が持っていたのはアンテナではなく、釣り竿だった。


「ちょっと待って。釣りなんて」


 普通に考えて、許可が出るわけない。

 無許可の釣りは犯罪だ。


 それに、生き物を”狩る”行為なんてありえない。


「別に釣りくらいいいじゃないか」


「あなたのAIは何も言わないんですか?

 それに、もし僕がヘッドセット着けてたらどうしたんです?」


 男は悪びれる様子もなく、笑顔で語る。


「このくらい大丈夫だよ。AIは密告なんてしないさ」


 ダンと同じことを言う。


「それに、俺はAIにちょっと詳しくてな。小言を言われないように“説得”してるんだよ」


 そんなことができるのか。

 できるなら、ぜひ方法を知りたいものだ。



 釣り上げられたのは、20センチほどの魚だった。

 “生きている魚”をこんな近くで見るのは初めてだ。


「イワナだよ。まあまあのサイズかな」


 男は魚をつかみ、針を抜くと、足元の箱に入れる。

 中には同じように死んだ魚がいくつか並んでいた。


「残酷ですね」


 自分でも驚くほど嫌悪感が隠せない。


「そうだな。エトロフの常識から見たら残酷かもな。言い訳する気はないよ」


 男は釣竿を片づけ始める。


「生き物ってのはこう言うもんだし、俺からはご馳走に見えるんだよ

 まぁ、文化の違いってやつさ」


 ハナの“気持ち悪い”という言葉が、ようやくヒロの胸の奥に落ちていく。

 知識と感情を一致させるのは難しいみたいだ。

 と言うか、無理なんだろう。


 迷った末に言葉を絞り出す。

「その魚、いただいてもいいですか」


 自分でも意外なほどまっすぐに言えた。


「おっ、食べてみるかい。でも兄ちゃんも共犯者になっちまうぜ」


 男は笑ったが、その声にはどこか温かさがあった。





 男の隣に、持ってきたキャンプ道具を広げる。

 小型のコンロ、折りたたみの椅子とテーブル。


 そしてバッグから、真空パックされたサーモンを取り出す。


「そりゃ立派なサーモンだな」


「ええ、試作品なんです。本物を知らない僕が言うのも変ですけど……本物と同じくらいおいしいと思いますよ」


「こりゃキャンプ料理対決だな。うちの田舎じゃ、口から光を出したほうが勝ち、って決まりがあるんだよ」


 ヒロには意味が分からない。

 ただ笑ってごまかしつつ、話を合わせることにした。


 準備をしながら男にたずねる。

「ご出身はどちらなんですか?」


「東京の近くの片田舎さ。会社の命令でこっちに来て……もう三十年以上こっちで働いているよ」


(30年前ってことは独立前か…)


 サーモンをフライパンへ乗せる。

 ジュッと軽い音がして、バターとレモンの香りが立ち上る。


 一方の男は、なにやら複雑な工程を経て調理している。

 とても食べ物を扱っているようには見えない。


 分かっていても、とても直視はできない。

 とりあえず、自分の作業に集中した。



 こちらの料理は、

 サーモンのレモンバターのムニエル。

 色も香りも上々だ。


「うまい! これが食品マテリアルからできてるって、信じられないな!!

 湖を対岸まで走りたくなる美味さだ」


 また奇妙な褒め言葉だ。

 褒められているのは分かるので、とりあえず笑ってごまかす。



 男の料理もやっと完成する。

 ヤマメの塩焼き。

 あの工程からは想像できないほど、美味しそうな香りが漂う。


 皿を受け取り、箸で一口。

 身がふわっとほぐれ、歯ごたえはあるのにやわらかい。

 ジューシーで、しかし後味は驚くほどさっぱりしていた。


「どうだい。ヤマメは。分類上はサーモンの仲間だったかな」

「本当に……おいしいです。僕のサーモンより何倍も。これ、もしかして――僕の口から光とか出てます?」


 その返しに男は吹き出し、腹を抱えて椅子から転げ落ちた。





 日が陰りだす。

 そろそろ帰ることにした。


 男に釣りをやらせてもらった。

 結局、生きている魚には触れなかったけど、こんな経験をするとは思わなかった。


 湖畔の道を逆方向に進むと、2時間ほどで街に着く。

 行きは、もっと遠くまで行った気がしていたけど、


 思ったよりも遠くはなかったのかもしれない。


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