第2幕 選択できないこと
週末の金曜日。
いつも通り起き、いつも通り仕事に向かう。
違うのは、部屋を10分早く出て、バスで通勤することだけだ。
「バスで行くってことは、帰りに飲みに行くつもりかい?」
何も答えず、バス停まで歩く。
バスの中ではAIと会話する者はいない。
周囲の乗客も誰もいない空間に視線を落とし、自分にしか見えないパネルを操作している。
「いいかい、ヒロ。今日、仕事が終わったらヒルダを誘いなよ。レストランは予約済みだ。あとは承認するだけ」
空中に現れた表示をスワイプする。
「わかった。気が変わったら教えて。僕はいつでもヒロの味方だから」
返事の代わりに、軽く目を閉じた。
衛生局を定時に職場を出る。
向かったのはDan’s Bar。衛生局から遠くはない。
扉を開けると、店の奥からダンが顔を出した。
衛生局に入局したとき、仕事を教えてくれた先輩だ。
「ヒロじゃないか、最近よく来るな」
「お疲れさまです。何となく先輩の料理が食べたくて」
「ほんとか? いつもグミしか食ってねぇくせに」
「だからですよ、
うちのAIがちゃんとした料理を食べろってうるさくて」
「OK、ならカロリー高めのもの作ってやるよ。とりあえずピクルスとウォッカだ」
ダンは大げさにグラスを置く。
ダンの店は、不思議な人が多い。
ヘッドセットをつけていない人が殆どなので、AIによる決済ではなく、カード決済をしている。
現金らしきモノを使っている人もいる。
客層はお世辞にも良くないけど、みんな仲が良さそうだ。
そして、とにかく客の回転が早い。
さっき来た客が、別の客と居なくなる。
そして、店員も同じように居なくなる。
トラブルじゃないか心配だ。
最初の一杯で時間を潰していると、奥から元気な声がした。
「おつかれさまでーす、シフト入りますね」
黒髪黒目、線の細い身体。
美人というより愛嬌がある顔立ち。
ティーンに見えるが、年上でも納得できそうな雰囲気。
「おつかれ、ハナ。来てすぐ悪いけど、三番テーブルお願い」
「はーい、かしこまりました」
皿を受け取り、紙の伝票を確認して運んでいく。
手慣れたものだ。
「先輩、ハナさんっていつからここで働いてるんですか?」
「ハナか、確か半年くらいだったかな」
「半年か、それの前は何してたんですか?」
ダンがニヤっと笑う
「おいおい、お前まさかハナを待ってたのか?」
「ッブ」
思わず吹き出してしまう
言い訳をする間もなく、ダンは厨房へ消えた。
「おーいハナ、カウンター変わってくれ」
「はーい、すぐいきまーす」
元気な声と共に、ハナがカウンターに入る。
「こんばんは、私も一杯もらっていい?」
「こんばんは、どうぞ」
ハナは伝票に何か書き込み、自分のカクテルを作り始める。
「ヒロ、ひとこと言った方がいいんじゃないか? この店の会計は不明瞭だ」
視界の端の音量バーを下げると、ラッキーの声が聞こえなくなる。
代わりに目の前にテキストが流れる。
『ハナが飲んでいるドリンクが誰の注文かを確認した方がいい』
「ハナさんですよね、久しぶり」
軽く乾杯すると、ハナは微笑む。
『キミは覚えてなかったけどね』
「こちらこそ、いつも来てくれてありがとう」
覚えているか微妙な反応だ。
『向こうも覚えてないみたいだ』
「どうしてもハナさんとまた話しがしたくて、先週のことが印象に残っててさ」
ハナが二杯目を作る手を止め、表情を引き締める。
「もしかしてヒロ…くん」
みるみるハナの顔が赤くなる。
前もそうだが、ハナの飲んでるドリンクはアルコールが高いのか。
「ごめんね、この前は私も酔っちゃっててさ。今日は大丈夫、これノンアルだから」
明るい笑顔で、ハナのグラスが口に押し付けられる。
そう、この笑顔だ。
この笑顔に会いたがった。
「僕も酔ってて、いろいろ言い過ぎたと思う。
普段はお酒なんて飲まないのに、本当にごめん」
ばつの悪そうな顔をすると、ハナもつられてばつの悪そうな顔をする。
そして、二人して大笑い。
店が混み始め、会話は途切れがちになる。
厨房からダンが戻ってきた。
「先週は大喧嘩してたのに、今日はいい雰囲気じゃないか」
『ボクはそうでもないと思うよ』
ヒロはラッキーのテキストを小さくしながら答える。
「そういうんじゃないですよ。でも先輩、大丈夫ですか? お客さんとか怪しくないですか」
「お前、それはハナもってことか」
そうは思いたくないけど、
確かにそれもある。
「いろいろと違法じゃないんですか? 仮にも先輩は元衛生局員ですよね」
「そういうのは警察の仕事だ、衛生局は関係ないさ。まぁ、普通にやってれば大丈夫だよ」
「でも、良くもないでしょ」
「正しく生きるだけが人生じゃないさ」
「ハナさんも似たようなことを言っていましたけど、もしかして先輩の受け売りだったんですか」
むっとしたのが伝わったのか、ダンは肩をすくめる。
「こんなことは、一般常識だよ」
ダンは手付かずに置いてあったヒロのウォッカを一気に飲み干す。
「ハナはいい子だよ」
そう言うと、裏に下がる。
「ハナ、このバカがアフター行きたいってよ。付き合ってやってくれ」
「えっ、ちょっと待って。私、入ったばかりだよ」
「いいって、定時まで居たことにしといてやるから」
裏で何か話している。
アフターの意味はよく分からない。
とりあえず、流れてきた決済情報を承認する。
店を出ると、赤レンガの町並みが更に赤く染まり、
二人の影を長く伸ばしていた。
ハナは髪を下ろし、店内に居たときより幼く見える。
エプロンを外しただけなのに、透明感がある。
「誘ってくれてありがと。でもいいの? 朝までのシフトだから結構したでしょ」
そう言うことか、でも金額はよく見てなかった。
「大丈夫だよ、どうしても先週の続きが話したかったんだ」
「私がAIを嫌う理由とか?」
「うん」
「私は移民だからAIを信用してないだけ。だからヘッドセットをしてないの」
二人は歩き始める。
ラッキーは静かに道案内をしてくれる。
「でも、不便じゃない? 申請すれば貰えるんでしょ」
ヒロが進む方向とは逆に、ハナは自然に歩く。
「ヘッドセットってさ……常に見られてる気がして気持ち悪くない?」
「見てるって言ってもAIだよ。僕だって見てるし、街頭のAIカメラも。エトロフではトイレにもAIがいる」
「ははは、トイレの神様だね」
意味は分からないけど、ヒロは少しイラっとする。
「私もさ、ここには仕事とか…いろいろ助けを求めて来たんだけど…さすがに何から何までAI任せって違う気がしてさ」
「AIは悪くないよ、サポートしてくれるだけだ」
「良い悪いじゃないの。信用してないの、ただ嫌いなの」
ゆっくり二人で歩き続ける。
もう夕日は見えない。
ハナは暗くなりかけた空を見上げ、言いづらそうに言葉を選んでいる。
「じゃあさ、言葉を選ばずに言うけど。ヘッドセットってペットタグみたいで、AIが飼育員って感じがして気持ち悪いの」
思ったより強い言葉が出て、言葉を失った。
「もう少し言葉を選ぶなら……そうね」
とても穏やかに言う。
「優しいお母さんが常にいる感じかな」
これは少しわかる気がした。
「お母さんが一生面倒を見てくれるのが悪いわけじゃないんだけど、気持ち悪いって感覚もなくならないの。AIが人間じゃないから(見られてる)とは違うってこともわかってる」
ハナが歩みを止める。
「でも、お母さんと一緒にここに入る?」
モーテルの前で。
空はもう暗くなっていた。




