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とある雨の日

その日、雅美は大学の帰り道、近所の神社へ向かった。

最近ついていない。

高校時代から付き合っていたカレと別れるはめになった。

大学に進学して一人暮らしを始めたものの、心細い。

・・・急に行く気になったのは、すごくありきたりな理由だ。

まとわりつく不運を祓ってもらいたく、雅美はため息をついたあと、石段をのぼる。

午後をとっくに過ぎ、人気はない。夕日が茜色に照らし出す本殿はちょっと不気味だ。

(だいじょうぶ。ここは神域。おばけはでないはず・・・っ)

参拝は早朝が良いとされているが、学生ゆえ致し方ない。作法通り、手を清め、鈴を鳴らし、手を叩いた。

(どうか、大学を無事に卒業できますように)

授業についていきながら自炊もしなければならない。情けなくて誰にも言えないが、本当はかなり不安だった。

深々と頭を下げれば、神様のご利益だろうか、すっきりと晴れやかな気持ちになる。

「・・・よしっ」

力強くうなずく。踵を返し、一歩踏み出したところで、雅美はなにか忘れていることに気づいた。

「あ。・・・お賽銭忘れちゃった!」

ささいなことだが、雅美は気にするタイプだ。せっかくお参りしたのに、ご利益をいただけなかったら悲しい。

(どうしよう。お参りした後に入れていいものなのかな?)

せっかく晴れやかな気分になったあとだ。すこし気がとがめた。

見渡せば、絵馬やおみくじが風に揺られている。

(そうだ。御守りにしよう)

払うはずだったお賽銭分、御守りをいただけば一石二鳥だ。

雅美は軽い足取りで無人の社務所へ向かう。巫女さんは忙しいのか、誰もいない。色とりどりの御守りのそばには、小型の賽銭箱が設置されている。

「うーん・・・。いつもなら学業成就だけど」

雅美は迷った挙げ句、普段選ばない御守りを手に取った。




鳥居をくぐったときには、天候が変わっていた。

ぽつぽつと雫が髪を濡らす。

(おかしいな。天気予報では晴れのはずなのに)

雅美はため息をつくと、小走りでアパートへ向かった。



いよいよ、本降りになってきた。

バケツを引っくり返したような豪雨に、雅美はもれなく全身ずぶ濡れになってしまった。

参考書を上着の下にかばい、濡れないようにしながら、我が家へ続く坂道を、息を切らして走る。いきなり不運だ。

「・・・ん?」

ふと、雅美の足が止まった。

カーブミラーのそばに、視線が釘付けになる。

女性が、雨に打たれるまま、ぼうっと立っていた。

童顔だが、高校生にしては落ち着いている。雅美と同じく、成人して間もない印象だ。茶色のミディアムヘアをぐっしょりと濡らし、メガネをかけている。

雅美は見て見ぬ振りしようかとも考えた。どう考えても、訳ありだからだ。

すると、女性は顔を上げた。

――目が合う。

(どこかで見たことのあるお顔・・・?)

雅美は首をひねった。どこで見たんだろう。打ち付ける雨が冷たいからか、うまく頭がまわらない。

それより、こんなところにいたら風邪を引いてしまう。

考えるより先に、体が動く。

気づけば、雅美は女性の手をつかんでいた。

「あのっ。おせっかいとは思いますが、こんな雨の中立っていたら危険ですよ!」

この豪雨だ。上から物が振ってくるかもしれないし、車が運転を誤ることだってある。

女性はしげしげと雅美を見つめる。・・・やがて、にこっと笑った。

「優しいのね」

一言、彼女は言う。

涼やかな声だった。

どうやら、話ができる状態のようだ。雅美は警戒心が少しだけ溶け、おでこに張り付いた髪の毛をかきあげた。

「私の家、すぐそこなんです。よかったら雨宿りしていきませんか。このままここにいたら、危ないですよ!」

後半は勢いだった。雅美は本来、人見知りだ。そうでなかったら、友達がいなくて心細いなどと神頼みしないだろう。

だが、不思議と彼女は他人じゃない気がしたのだ。

女性は微笑み、案外あっさりとうなずいた。雅美に手を引かれるまま、坂道を登る。

(変わった人を拾っちゃった・・・)

曇天を仰ぎ、雅美は赤の他人を家に上げるという未知の体験に立ち向かう。

やがて、ボロアパートに到着した。

軒下に駆け込めば、痛いほど頭を直撃していたゲリラから開放される。二人は階段を登った。

(どうしよう。なにから手を付けたらいいの・・・?)

びしょ濡れの参考書とか、肌まで染み込んだ雨水が冷たいとか、今は気にならない。それより、誘った手前、コミュ障の自分がちゃんとおもてなしできるか心配だった。

お客さんも、引っ越してからは初めてである。

(連れてきたんだもの。しっかりしなきゃ)

口の中がカラカラになりながら、雅美はドアノブに手をかけた。



「ごめんね。散らかってるけど。――いま、バスタオルを持ってくるから!」

雅美はずぶ濡れの靴下を脱ぎながら、脱衣所へ向かう。女性はというと、律儀に玄関に立ったままだ。床が濡れるのを気にしているらしい。・・・かと思えば、興味深げにきょろきょろ部屋の中を観察している。

雅美はできるだけ真新しいバスタオルを選ぶと、彼女の髪をごしごし拭いた。

「私は出会ったばかりだから、詳しいことは聞きません。・・・でも、あんなところにいたら誰でも心配になります」

「――」

女性は、されるがままだ。嬉しそうにほほえみながら、タオルの柔らかさを堪能している。

雅美はきりりと顔を引き締めた。

「いいですか。誰にでもついていったらだめですよ! 私だから良かったようなものの・・・」

説教くさいが、釘を差しておかねば。

すると女性は、のんびりと言った。

「だいじょうぶ。あなたはいい人よ」

「・・・どうして分かるんです?」

眉を寄せると、女性はふわりとはにかんだ。

「私は、あなただもの」

雅美は一瞬言葉に詰まったが、「はあ?」と眉を寄せた。

女性はそのまま、「お風呂、借りるわね」とさっさと脱衣所へ向かう。

ちょっと! と雅美は声を荒らげ、後を追った。



コーヒーを淹れながら、雅美は壁の向こうから聞こえるシャワーの音に耳を澄ませる。

(どういう意味かしら、あれ・・・)

――私は、あなただもの。

(うん。さっぱりわからん!)

雅美はマグカップをドンッと置いた。

(あの顔。たしかに見覚えがあるのに・・・!)

彼女の記憶をたどろうとすると、頭に霧がかかったようにぼうっとする。

すると、脱衣所のドアが開いた。

ミディアムヘアの毛先から雫を滴らせ、彼女が顔を出す。服は貸したものだ。

雅美は駆け寄った。

「さっぱりした? コーヒー淹れたわ。風邪をひく前に飲んでみて」

「ありがとう」

彼女はうなずき、うながされるまま座布団に座る。ぼうっとした瞳で、壁の時計を見つめた。

雅美は向かい側に座る。

「まだ、あなたの名前を聞いてなかったわ」

「・・・なまえは」

「うん?」

彼女はおもむろにコーヒーをすすった。

「おいしい」

「・・・よかったわ」

雅美はじれったかったが、辛抱強く待つ。コチ・・コチ・・・ッと時計の針が時を刻む。

突然、彼女は、なにかに突き動かされるように立ち上がった。

「いかなきゃ」

「はっ!? どこへ!?」

雅美は目を剥く。さっき来たばかりなのに、どこへ行くのか。

彼女はさっさと玄関へ行ってしまう。雅美はあわてて後を追った。

「ちょっと! ここまで来たんだから、もっとゆっくりしていったら?」

肩をつかむ。すると、彼女はくるりとこちらを向いた。

ゆるりとほほえむ。

「あなたは優しい。・・・きっと、いいことがある」

「っ」

雅美は、きゅっと胸が締め付けられた。

きっと、もう彼女と合うことはない。そんな気がして、雅美は「ちょっと待って!」とバッグの中を探る。

「これ。さっき神社でいただいた御守り。持っていって」

彼女の手に無理やり握らせる。

すると、彼女は首を振った。

「これは、あなたのもの。受け取れない」

「でもっ」

雅美はたじろぎ、うつむいた。

(歳が近い女の子。・・・友達になれるかもって思ったのに)

すると、ドアが開く気配がした。

「待って!」

雅美はあわてて、靴も履かずに玄関に降りた。彼女の背を追う。

せめて名前を聞きたかった。

だが、あっさりとドアは締まる。

――コーヒー、初めて飲んだけど、おいしかった。

涼やかな声が紡いだ別れの言葉は、そんな他愛のないものだ。

雅美がドアを開けたとき、そこには誰もいなかった。




翌日、雅美は熱を出した。あのあと、急にめまいがして、ベッドに倒れ込んだまま、朝まで起きなかったのだ。

体は重く、今日の学校は諦めることにする。

(パトカーのサイレン? うるさいな・・・)

ふと、スマホが光った。

(電話・・・? お母さんから?)

気怠いままの声色で、電話に出る。すると開口一番、母の悲鳴の入り混じった怒声が鼓膜を突いた。

『雅美っ!! テレビ、テレビ見てっ!!』

「なによ、こっちは風邪なんだってば」

文句を言えば、『いいから見なさい!!』とちょっと怖いくらいの勢いで言われた。

やむなく、テレビを付ける。

刹那、雅美は息を呑んだ。

「うそ・・・っ。孝宏っ!?」

高校時代から付き合っていた見覚えのある顔が、手錠をかけられ取り押さえられている。

『昨夜、ちょうどあんたが帰る頃よ。刃物を振り回してるところを、通りがかった警察官に捕まったの』

雅美は声も出ない。

真っ先に考えたのは、昨日の彼女の安否だった。

――彼女は、私と背格好も髪型も似ていた。服も、私の服を着ていた。


(・・・いや、私が着せてしまった!!)


ふと、鏡が目に入った。


――そうだ。誰かに似ていると思ったら。


私の顔に、似ているんだ。


震えが、とまらない。

悪寒が体中を冷たく蝕んでいくようだった。


――殺されるはずだったのは、私だった・・・??


枕元に置いた御守りに、視線を落とす。

彼女に渡せばよかった。

「っ!!」

後悔は大粒の涙に変わった。


アナウンサーがテレビの向こうから原稿を読み上げる。

『男は奇妙な言動を繰り返しており、《間違いなく女性を刺したはずなのに、霧のように消えてしまった。幻でも見ているようだった》と供述しています』

――え??

雅美は顔を上げた。ぽろりと涙が溢れる。


どういうことだ。刺された女性が消えた??


思わず御守りを手に取る。

「身代わり・・・御守り」

あの日、神社で選んだ御守りには、そう大書されていた。

ぴし・・・っ。

木札の御守りに亀裂が走る。

真っ二つに折れた御守りは、枕に落ちた。


《コーヒー、初めて飲んだけど、おいしかった》


彼女の声が聞こえた気がした。



鈴の音が、静かに部屋に響いた。





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