第17話『令嬢騎士は完璧に誤解を訂正する』
さてさて、ある程度は想定したけど酷いもんだ。
既に朝の食堂で感じた、殺気にも似た鋭い眼光は教室へ向かう廊下でも感じない時間がないほどだった。
もしかしたら、挨拶活動をしていた教師からも向けられていたのではないかと錯覚してしまうほど、絶え間なく矛先を向けられている。
たぶん、隣を歩くスレンのおかげで絡まれずに済んでいると思うから、事が済んだら感謝の意を誠実に伝えよう。
「……」
いよいよ教室、スレンとの別れ。
昨日の言葉が本当に実行されるのであれば、この騒動はすぐに落ち着くはず。
たぶん形が変わるだけだとは思うけど、幾分かはマシになると思う。
1歩を踏み出し、視界に入るのは昨日ぶりのアリシア。
さも当たり前かのように僕の席へ腰を下ろしており、姿勢正しく目線を外へ向けている。
僕が来る前までは一身に視線を集めていただろうに、いったいどんな心境で待っていたのだろうか。
「おはようアリシア」
「おはようアキト」
「みんなも随分と気になっているようだし、頼んだ」
「もちろん。約束した通り、しっかりと誤解を訂正するわ」
よかった、アリシアのことは素直に信じ切ることができていなかったけど、今のやり取りは素直だったし、躊躇いなく席を立ってくれた。
これで一安心だ。
「皆様、昨日からお騒がせして申し訳ございません」
ほら、礼儀正しく深々と頭を下げている。
さすがに勘繰りすぎで、ただの取り越し苦労だったというわけだ。
しかし、軽い溜息を吐きながら胸を撫で下ろそうとしたときだった。
「わたし、ネルダカーミル・スレイ・アリシアは――」
本名はそんな感じの名前だったんだ。
大事なときは名乗るものっぽいし、そのまま僕の方を向いて――て?
ど、どうして地面に片膝を突いちゃうの?
「アキトを主とし、自らの生涯を捧げ、騎士として命を賭す覚悟で守ることを――ここに誓います」
「え」
僕が驚いている以上に、クラスメイトの大半から「えぇええええええええええええええええええええ」という、叫びでもあり断末魔が鳴り響く。
それは当然、室内から窓を貫通して外に漏れ、廊下へはどれほどの音量で響き渡っているのか想像することはできない。
てか、やってくれたなアリシア。
右手を胸に当てながら頭を下げているから、どんな表情をしているのかはわからない。
だが僕は確信してしまった。
やはりこれは巧妙に練られた罠であり、大衆に周知させることによって拒否権を奪う作戦だったというわけだ。
これで少なくとも在学中は契約破棄の危機を脱するだけに留まらず、もしも強行された場合に自分へ好意を抱いていた人を味方につけることができる、と。
くっ……完全に逃げ道を塞がれた。
「――ということが、既に決まっているの」
周りの声が収まるまで待ち、トドメと言わんばかりに情報を確定させられた。
「そうよね? 主様」
「あ、ああ。そうだな」
と、肯定する以外の選択肢がないとわかっていながら返答を求めやがって。
腹黒いと言いたいが、これは圧倒的にアリシアの作戦勝ちだ。
僕は警戒をしていながら対策を練らなかった時点で、完全敗北は決まっていたわけか。
だがまあ……状況的には自分でも望んでいた展開ではあるから、アリシアを責めることはできない。
「――な、何かありましたか!?」
と、授業が始まるまで時間はまだあったはずだったのに、先生が教室へ飛び込んできた。
あんな声が職員室まで届いたとあらば、先生たちが数名来てもおかしくはない。
「わたしが説明を」
と、アリシアは先生のもとへ向かう。
諸々の説明はアリシアがやってくれるから穏便に済むだろうけど、内容を耳にした先生たちはそれはもう驚愕を露にしている。
その様子から察するに、アリシアの家系は軽く有名という枠には収まっていないのだろう。
先生の中には顎が外れそうなほど口を開けっぱなしで放心状態になってしまった先生も居る。
先生たちが解散する頃にはクラスメイトも静かになって、というか静かにするしかないわけだけど、数多くのヒソヒソ話と刃物が飛んできそうな目線は続いていた。
「やってくれたなアリシア」
「なんのこと? わたしは、しっかりと誤解を訂正しただけよ」
戻ってきたアリシアへ少しでも抵抗をしようとするも、虚言を吐かれたわけではないから反論は不可能。
椅子の背もたれに体重を預けてズルズルと滑り落ちていくぐらいしかできない。
「こんなことになったら、もうリーゼとスレンぐらいとしか話ができないんじゃないか」
「あら、わたしと言う女が居ながら他の女の話をするのね?」
「その言い方やめろ」
「そうだったわ。わたしは、婚約者ではなく契約者だものね」
ぐぎぎと歯を噛み締めるしかできない。
言っていることは正しいし、現に誤解は訂正されたし、今の発言だって意に反しているものでもなく、聞き間違いだったかという可能性を潰しているわけだ。
本当に外見や仕草と同様に完璧な対処だったとしか言えない。
「で、これからどうするの? どうなっちゃうの? 僕」
「何も変わらないわ。これまで通り、これからも。わたしはアキトの意思に従うし、何があろうと隣に居るだけよ」
「それって家の意向とかも関係なくなるってこと?」
「もちろん。反対されるどころか、主を見つけられたことを褒められるし、何があろうと何をしようと反対せず後押ししてくれるの」
「どこかの国を敵に回したり、自国を敵に回しても?」
「ええ」
少しは引き下がるかと思って期待して大きく出たのに、ピクリとも表情を変えることがない。
まあこれで、名家が後ろ盾になってくれたということだし、目標へ1歩近づけた。
契約しておいて今更だけど、国を敵に回しても構わないって――あまりにも覚悟が決まりすぎてるでしょ。
つまり、たとえ家族が敵に回ろうとも剣を向ける、ということ――ぐらいのことも含めて、か。
「何はともあれ、これからよろしくアリシア」
「そういえば呼び方はどうする? 全てに応えるわよ。ご主人様? 主様? それとも『だ・ん・な・さ・ま』?」
「今まで通りアキトで」
一瞬、別の呼び方も体験してみたい気持ちが、本当に一瞬だけ浮かび上がったけど、周りから注がれる、今からでも刺殺されそうな目線を感じたから辞退する。
てか今更だけど、気づいたらアキト呼びになってたしな。
あまりにも違和感がなかったけど、人との距離感を見極める才能もあるってことか……?
そういえば、みんなが敬意の目線を送るリーゼに対しても凄い接し方だった。
初対面でありながら、一国の姫に敬語じゃなかった僕が言えることじゃないけど。
「そういえば、リーゼはまだ来てないのか」
「わたしという女が居ながら、すぐに別の女の話をするなんて。旦那様は強欲なのですね」
「おい、そろそろ怒るぞ」
「そうね。いつもなら既に着席している頃合いだけど」
と、噂をしているとリーゼが教室に入ってきた。
髪の毛がボサボサになっていたりしないから、寝坊でも小走りで来たわけでもないようだ。
「それじゃあ、またあとで」
ニコニコと笑みを浮かべながら、控えめに手を振って自席に帰るアリシア。
去る姿も蒼い髪のように凛としていて様が美しく、実に彼女らしくてさっきの騒動も憎めない。
リーゼには少しでも昨日のいけ好かない美男子について聞きたかったが、さすがに授業の時間となってしまった。