『新羅明神、円城寺、速記守護のこと』速記談5037
保安二年閏五月三日、円城寺焼失のころ、ある僧の夢に、褐冠をつけた者が立った。どなたですか、と尋ねると、新羅明神の眷属である。この寺を守護するため、見回っているのだ、と答えたので、仏像も経典も、それらをおさめる建物も、全て焼けてしまったのに、何を守護なさるのか。焼ける前に守護すべきだったのではないか、とあざけった。次には直衣を着た老人が出てきたが、いかにもただ者ではない様子で、まゆは長く垂れて口元に及び、髪は真っ白であった。この老人が言うには、お前は何もわかっていない。この寺を主度するというのは、形ある建物を守ろうというのではない。このような災難があったときにも、仏道に帰依しようという心が消えないよう守っているのだ。速記に精進する心もそうだ。プレスマンに芯を入れたときに、うっかり前の芯を使い切る前で、詰まってしまい、速記をやる気が失せることがあるが、そういうことも見回っているのだ、ということであった。
教訓:やる気がなくなると、何もうまくいかないものであるが、神仏に守護されないとなくなってしまうやる気は、本当のやる気と言えるのか。ただし、自力を認めるか、他力にすがるかの立場の違いによって、意見は変わり得る。