【2話】もう一つの顔
「なんだか疲れたわ。少し昼寝でもしようかしら」
迷える子羊を導くという大きな仕事をやり遂げたあとだ。
少しくらい昼寝をしたところで、バチは当たらないだろう。
瞳を瞑ったアンジェは、ふぁ~あ、とあくびをする。
そうして瞳を開けたところで、ゴチン。
「痛いわね!」
神の鉄槌とでも言わんばかりに、頭にげんこつが振り下ろされた。
アンジェにこんなことをする人間は、このジュペット教会に一人しかいない。
「ちょっとなにすんのよエルマ!」
正面に立つ、長い黒髪のシスターを睨みつける。
彼女はエルマ。
ジュペット教会で一番地位の高いシスター――セイントシスターだ。
艶めく黒髪に、キリっとした銀の瞳。クールビューティーな顔立ちをしている。
二十代後半といった外見は非常に美しく、彼女に恋焦がれている男性は数多いと聞く。
しかし、
「詐欺師ババアめ!」
エルマの実年齢は五十近い。
魔法で若さを保っているとか。
アンジェから言わせればセイントシスターではなく、ただの詐欺師だ。
「なぁ不良シスター。さっきのはなんだい?」
エルマの眉間に皺が寄る。
放つ雰囲気はピリピリだ。
どうやら、相談部屋の外で聞き耳を立てていたらしい。
(まったく、趣味の悪いババアだこと)
舌打ちをしたアンジェは、肩にかかる金色の髪を手で払った。
「迷える子羊に助言をしてあげただけよ。一番確実な方法でね」
「あんなのはシスターがしていい助言じゃない。悩みを聞いてるフリして、テキトーにうんうん相槌を打っときゃいいんだ」
「それじゃ悩みを解決できないでしょ」
「いいんだよ解決しなくて」
肩をすくめたエルマが、わざとらしくため息をつく。
「いいかいアンジェ。こういうところにくる人間ってのはね、他人に話を聞いてほしいだけなんだよ。問題を解決をしたいわけじゃないんだ。彼らが求めているのは答えじゃない。同情なのさ。肯定して慰めの言葉をかけてあげれば、勝手に満足するんだよ」
「そんなの無責任よ!」
「いいんだよそれで。シスターっていうのはそういうもんさ。……お前はもうシスターになって長いのに、どうしてこんな初歩的なことも分からないんだ」
0歳のアンジェは両親に捨てられた。
この教会の前に捨てられていた彼女を拾ってくれたのがエルマだった。
それから十七年。
アンジェは教会の敷地内にある寄宿舎で暮らしながら、シスターをしている。
「お前はシスターに向いていない。とっとと辞めることをおすすめするよ」
「うっさいわね」
不機嫌に鼻を鳴らしてから、エルマに中指を立てる。
アンジェは大きな足音を立てて、相談部屋から出ていった。
その日の深夜――午前0時。
真っ赤なローブに無装飾の白い仮面をつけたアンジェは、いつものように寄宿舎を抜け出した。
セイリオ王国の王都――プレティアにある冒険者ギルド。
教会を抜け出したアンジェは、そこへ向かった。
アンジェには二つの顔がある。
一つは教会のシスター。
そしてもうひとつは、依頼をこなして金を受け取る冒険者だ。
シスター以外の時間は、基本的に冒険者をしている。
理由は単純。力を振るえるこの仕事が、とても楽しいからだ。
「おい……きたぜ。ヤツだ。なんつーおっかねぇ雰囲気してやがる。震えが止まらねぇよ」
「……SSランク冒険者はオーラが違うな」
ギルドへアンジェが入ると、中にいる大勢の冒険者たちがいっせいにざわついた。
これはいつものことだ。
冒険者はその実力によってランク分けされているのだが、アンジェのランクは一番上のSS。
一国の戦力と同等の強大な力を持つといわれているSSランク冒険者は、セイリオ王国にわずか四人だけ。
ザコ冒険者たちがこうしてざわつくのも、当然のことだった。
まとわりつくような視線を気にもせず、アンジェはまっすぐ受付カウンターへ向かった。
受付嬢が頭を下げる。
「これはヴァイオレット様。今日はどのような依頼をお探しで?」
冒険者として活動するときには、『ヴァイオレット』という名前を使っている。
シスターとしての自分と冒険者の自分は分けたい。気持ちの問題だ。
「一番難しいのを頼むわ」
「かしこまりました」
受付台の下から依頼書を取り出した受付嬢は、それをカウンターの上に置いた。
「アークオーガ三体の討伐依頼です」
「これが一番? もっと難しいのはないの?」
アンジェの言葉に、ざわざわざわ。
冒険者たちが再びざわつき始める。
人食い鬼として多くの人々から恐れられているオーガの上位種――アークオーガ。
軍隊一つと同じ戦力を持つといわれているSランク冒険者でも命を落としてしまうこともある、危険なモンスターだ。
(そんなモンスターを三体も討伐するなんていくらSSランク冒険者といえど難しいはず――とか、このザコどもは思っているんでしょうね。私の実力も知らないくせに。ムカつくわね)
イライラが募っていく。
仮面に隠れた口元が歪む。
「申し訳ございません。現状の依頼で、もっとも難易度が高いものがこちらになります」
「……そう。じゃあそれでいいわ」
依頼を受けたアンジェは、ざわついている冒険者ギルドを後にした。
モンスターの群生地――モンスターフォレスト。
その奥地にあるアークオーガの縄張りへ、アンジェは足を踏み込んだ。
「ズオオオ」
鳴き声を上げてアンジェを迎えたのは、三体の巨大な人型モンスターだった。
光沢のない漆黒の体は、つま先から頭のてっぺんまでボコボコと盛り上がっている。筋肉の塊だ。
皮膚は分厚く、生半可な刃物で刺したところで傷ひとつつかないだろう。
これモンスターがアンジェの討伐目標、アークオーガだ。
三体横並びになって、アンジェを見下ろしている。
「まとめて出てくれてありがとうね。手間が省けて助かるわ」
中央のアークオーガへ向けて、アンジェは片腕を突き出した。
「【ウィンドエッジ】」
アンジェから放たれたのは風の刃。
アークオーガの首元めがけて飛んでいく。
この魔法は風属性の下級魔法だ。大した威力を持っていない。
分厚い皮膚と強固な筋肉の鎧でできているアークオーガの肉体を傷つけるなんてことは、まずありえない。
アークオーガもそれを本能で理解しているのか、避けようとはしていない。
向かいくる風の刃を、余裕の表情で待ち構えている。
しかし、その数秒後。
ゴトッ……。
アークオーガの首から上が、地面に落っこちた。




