【1話】アンジェの仕事
セイリオ王国の街はずれにある小さな教会に、今日も迷える子羊がやってきた。
「どうやら夫が浮気をしているようなのです! シスター、私はどうすればいいのでしょうか!」
相談部屋にて救いの言葉を求めて必死になっている迷える子羊に、黒い修道服を着たシスターは小さく頷く。
すべてを包み込むかのような温さに満ちあふれた優しい笑みを浮かべると、
「旦那さんの全身の骨を砕いてやりましょう」
そんなことを言ってきた。
「…………へ?」
迷える子羊は気の抜けた声を上げた。
目の前のシスターの言ってきたことは、あまりに突飛過ぎて意味不明。
迷える子羊にはまったくもって理解できなかった。
(私の聞き間違いだよね。……うん、きっとそうに決まってる。こんなにも可憐で優しそうなシスターさんが、そんなこと言うはずないし)
背中まで伸びた金色の髪は、絹のように滑らかで美しい。
大きな青色の瞳は、理性的で聡明な輝きを放っている。
清楚な顔立ちは、文句のつけようがないくらいに整っている。絶世の美女だ。
雰囲気は柔和でいて優しい。
慈愛に満ちていて、虫も殺せないんじゃないかと思うほど。
人柄の良さが全身からあふれ出ている。
まさに、天使と呼ぶにふさわしい。
そんな彼女が、夫の骨を砕け、なんて野蛮なことを言うだろうか。
いや、言うはずがない。
天使はそんなこと、絶対に口にしない。
だからこれは聞き間違いだ。
「ごめんなさい。よく聞こえなかったので、もう一度よろしいでしょうか」
「旦那さんの全身を砕いてやるんですよ。それはもう徹底的に」
でも、聞き間違いではなかった。
天使のようなシスターの口から出てきたのは、暴力的な悪魔じみた言葉だった。
「ひとりでは何もできない、あなたの介抱なしでは生きていけない体にしてやるんです。そうすればもう、浮気しようなんて気持ちはなくなるはずですよ。ですが、それでも心配というなら浮気相手を殺しておくといいかもしれませんね」
「……あの、そういうことでは」
いったいこのシスターは何を言っているのか。
激しく困惑している迷える子羊は、そう返すのでせいいっぱい。
悪魔に取りつかれているとしか思えなかった。夢なら早く醒めてほしい。
「そうですよね。私ったら……ごめんなさい。なにを言っているのかしら」
「良かった! ようやく正気に戻られたのですね!」
シスターに取りついていた悪魔は去ったようだ。
迷える子羊はホッと安堵するも、
「男性の骨を砕くのは、あなたには無理ですよね。だってものすごくひ弱そうだもの。なにか別の方法……そうだ、毒を使いましょう!」
それはただの勘違いだった。
「毒性の弱い毒物を旦那さんの食事に毎日少量ずつ混ぜて、じっくり弱らせていくんです。時間はかかりますけど、最終的な終着点は同じ。あなたなしでは何もできない状態になります」
「……」
「毒物を買うには、王都の路地裏にいる怪しい赤服の男に話しかけてください。少し値は張りますけど効果は本物ですよ。ご安心を!」
「あの……もう結構です」
(……この人に何を言っても無駄だ)
迷える子羊は、シスターに背中を向けて相談室を去っていく。
死んだ目をした彼女の胸中に渦巻くのは、時間を無駄にしたという後悔だった。
「神のご加護があらんことを」
迷える子羊の背中に、シスターは深く頭を下げた。
(あの人、私にものすごく感謝していたわね。今日もまた一匹、迷える子羊を導くことができたわ)
迷える子羊の背中を見送るシスター――アンジェは、仕事をやり遂げたことに大きな達成感を感じていた。
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