甘い失敗 5
~黒木side~
玄関に入って、視線を落としたまま佇む白崎の表情が、いつもより大人びていて。
薄暗い玄関で俯く白崎は、いつもの明るいイメージとはどこか違って見えた。
「あ、ありがとうございます」
黙ってタオルを差し出していた俺に気づき、タオルを受け取ろうとするその言葉に、自分が呆けていたことに気づかされる。
「あ、あぁ。肩先拭いたら、ジャケット貸せよ。ハンガーに掛けておくから」
「なにかとすいません。…ほんと変わらないですよね、そういうとこも」
「なにがだよ」
「優しいなぁって」
そう言われて、過去の彼女たちが脳裏によぎる。
「…先輩?」
顔に出ていたのか、俺を心配するように見つめてくる目と視線が合った。
横目で白崎を見て、あの子たちから言われた言葉を思い出して、視線をそらして。
「何かあったんですか?」
そんな俺に思ったよりも反応を強くした白崎に、ゆるく首を振って呟いた。
「大したことじゃない。…ちょっとだけ昔を思い出しただけだ」
笑顔を浮かべて返したはずなのに、白崎はまだ俺を心配げに見つめていて。
「話、よかったら聞きますよ? 後輩なんで、役に立てるかどうかはさておき、昔先輩が僕に言ってくれたみたいに、話すだけでも頭の中整理出来たりするとかあるかもしれませんしね」
昔話を引っ張り出して、俺をすこしだけ甘やかそうとする。
(――後輩のくせに)
そう思いながらも、頬がゆるんでしまう。
コイツはちっとも変わってなくて、ただ…可愛さが増した後輩という感じで。
「あー…じゃあ、話でもしてみっか」
「…えぇ。先輩の話なら何でも聞きたいです。勉強以外なら、もしかしたら力になれることがあるかもしれませんしね」
「…ふ。お前が?」
すこし笑いながら話をしつつ、リビングまで二人で入ってきた。
ジャケットをかけ、飲み物を用意して、白崎のジャケットだけじゃなくシャツも濡れていたから急ぎで洗濯機を回すことにした。
その間は、俺のパーカーで大きめサイズで買っていたやつを着せて。
「いつか着る気で買っといたやつが、こういうタイミングで役に立つとはな」
成長した自分よりも先に、まさかの白崎にサイズがぴったりってあたりがムカつくやら悲しいやら悔しいやら。
「手伝いますね、こっちの方」
そういいながら、俺が手にしようとした電気ポットを手にしてお湯を沸かす準備をする。
俺はそれを横目に粉末のミルクココアとスプーンを手にして戻ってくる。
「そこにあるマグカップで使いたいやつ、どれか選べよ」
母親が食器を買い集めるのが好きで、いろんなマグカップがやたらとある。
「先輩はどれですか?」
そう言われて、食器棚の黒いマグカップを手にすると、なぜかニコニコしながら隣にあった白いマグカップを手にした。
「意図せずして、名前のまんまの色選んでるな?」
「…ですね」
黒木と、白崎。黒と白。
袋をみながら、白崎が俺のマグカップにココアを入れている。
「こういうのって、性格が出るよな? くっそ真面目に計量するか、ザックリか」
俺がそういうと、首をかしげてから「先輩は?」と聞いてくる。
「俺? 俺は、ザックリの方だな」
笑ってそう言えば、白いマグカップを押しつけてきた。
「じゃあ、こっちのは先輩にお願いしたいです」
「ん? ザックリのでいいのか?」
言いつつ、ココアの袋を受け取れば。
「いいです! 先輩の好みの味が知りたいです!」
スプーンも手渡してきた。
ココアを作るさまをガン見されたことなんかないから、おかしな気分だ。
「俺は…こんな感じで……山盛り!」
「あー…だったら、先輩にって淹れたココア、薄いかもしれませんね。…足しますか?」
俺が入れたココアの量が、自分作のと思ったよりも違ったのを気にしてか、提案をしてきたけれど。
「いーや、いい。白崎が入れたので飲んでみる」
「気を使わなくってもいいのに」
「気を使って言ったわけじゃねぇし。…ほら、飲んで、食うぞ? っと、その前にさっき買ったアレも使うかな。カップケーキに」
そういってから立ち上がり、さっき買ったものを取り出す。
「便利だよな、こういうの」
余分にあったカップケーキを数個手にして、プレーンのやつに絞って飾りつける。
「……くくっ。うっまそー」
泡立て済みの生クリームのチューブ。俺がカップケーキを飾っていると、白崎も自分のを同じように飾りたいと言い出した。
「自分でやってみてもいいですか?」
「やってみろよ。コツはな…こうして……袋の中の空気をちゃんと抜いてやると、最後までキレイにやれる」
「こ…こう、ですか?」
遠慮がちに絞られた生クリームが、どこか白崎にも似てて。
「もっと勢いよく絞ったっていいんだからな? こういうのは、勢いでやった方がいい時がある」
「勢い……。ん、と…こう、ですか?」
と、プレーン以外のカップケーキに絞ろうとして、勢いよく力を入れ過ぎた白崎。
「あ!…わわっ」
絞るのだけに集中させようと俺が持っていたカップケーキが、生クリームたっぷりへと変わって。
「すっ…すいません!」
俺の手も、生クリームがたっぷりとかかっていた。
「ははっ。初めてでこれだけ出来りゃ十分だろ? っと、生クリームもったいねぇ」
生クリームまみれの右手を口元に近づけ、ペロッと舐める。
「…ふ、甘っ」
なんて、言いながら。
こういう失敗は、一人でやってる時にも結構あって、洗った方が早いとわかっていてももったいなさから若干行儀が悪くたって、ペロリと舐めて処理する方が多かった。
三口くらい舐めた時に、ふと視線を感じた。
「あ…っ、行儀悪かったな。悪い。…内緒な? 俺がこんなことしてたの」
笑ってそう言ってから、残っているわずかな生クリームをペロリと舐めようとした瞬間。
「――責任取りますよ、僕も」
白崎の手が、俺の手首を握って自分の口元へと生クリームが残った手を近づける。
「…え」
そう声に出た時には、すでに白崎が一舐めした後で。
「手…ベタベタですね。ん…甘いや、確かに」
指先に残っていた生クリームのべたつきを、舌先で拭いとっていた。
「白、さ……き?」
さっき玄関で見たような、すこし大人びた表情の白崎。
気づけば白崎の口の中に、第一関節くらいまで俺の指先がツプリと咥えこまれてて。
生温かい舌先と、口の中の温度。それがやけに生々しくて、俺が身動きが出来なくなる。
夢か、現実か。
顔が熱くなり、心臓が一気に激しく脈打つ。
「しろ…っ」
名前を呼べば、やめると。そう思いつき、呼ぼうとしたはずの言葉は続かない。
「…ついてますよ? 先輩」
生クリームが、ということなのだろう? きっと。
(どうして? という言葉が、俺の脳内を走り回って騒ぎたてるだけ)
その後に、白崎の、すこしだけ色素が薄い瞳がきれいだななんて思ったのは一瞬。
視線を逸らすことなく、白崎の顔が近づくのを見つめていた。
ぬるりとしたものが口角に触れ、そこで舐められたのだと気づく。
「は……」
マヌケな声をあげて、舐められたんだろう場所を指先で触れてみる。
「生クリームは、行儀悪く取った方が美味しいですね? 先輩」
目の前には、ニッコリと微笑んでいる白崎がいて。
「あっちに干してあるタオル、濡らしてきてもいいですか? やっぱり最後はちゃんと拭いた方がいいでしょ?」
俺の手と口元を示すようにして、「ね?」と聞いてきた。
「あー……いや、洗って……くるから、いいよ。ココアでも飲んでろ」
どこかぎこちなく返事をした俺に、「はーい」と明るく答えて、言われたようにマグカップに口をつけている。
その姿を背にして、俺は洗面所で手と口元を濡らしてタオルで拭いた。
不意にさっきまで白崎の口に入っていた光景がよぎって、目を閉じて頭を軽く振る。
リビングへ戻ると、白崎が二つ目のカップケーキを食べている最中で。
「ふぇんふぁーい。やっふぁり、…むぐ……ごくん…コレ…好きです」
中学ん時の幼い笑顔で俺を見て、嬉しそうに最後の一口を口に放り込んでいた。
「そっか」
さっきまでここにいたのは誰なのか、なんて。
どこか非現実的なことを考えた自分が、どこかおかしいのかな? とか思いながら、俺もココアを口にした。