甘い失敗 3
~黒木side~
毎日のようにカップケーキを作り続けていたせいで、最初は温かい目で見てくれていたはずの母親から怪訝な顔つきで見られるようになった。
「今日も飽きもせずというか、懲りもせず? 何のためのそれなのか知らないけど、休憩の時に食べるように、失敗したのでいいからちょうだいよ」
仕事に行く前に、弁当が入っているトートバッグの口を開いて見せて、入れてと示される。
「……俺に限って出来が悪いとか失敗したのとか、ありえないからな? 母さん」
小ぶりのカップケーキを、カンタンにラッピングして放り込んでやる。
「ふふっ。今日はちょっとお高いコーヒーでも買ってから、休憩を取ろうっと。…じゃ、行ってくるから洗い物お願いね」
「ああ、わかった。夕食は?」
「今日は残業確定だから、先に食べててもいいし、どこかで食べてきてもいいわよ。一応連絡だけ入れてね」
「ん。いってらっしゃい」
「じゃね」
俺と母親のたった二人のはずなのに、母親がにぎやかなせいで毎朝こんな感じだ。
父親とは幼い時に別れたっきり、再婚もせずに俺をここまで育ててくれた母親。明るい性格で、どこでも元気すぎるほど。
料理もお菓子作りも、母親から教わった。
高校に入ってからは、朝以外は俺が料理担当だ。特別上手いわけじゃないけど、本当にそれなりのレベルだと思う。
最初は母親がいつも疲れているからと、甘いものが疲れている時にはいいと保育園の先生から聞いて、一人で作ろうとした時。
玉子を上手く割れなくて、冷蔵庫の玉子を使いきってバレた。
殻入りの玉子を消化するのに、初めて食べたふわっふわのオムレツ。
普段は玉子を多く使うのがもったいないからって、作ることもなかったそれを、母親が作れないから食べられないんだと思っていたっけ。
それから簡単に出来るホットケーキミックスを使ったクッキーや、パウンドケーキ。
やがて炊飯器で出来るチョコケーキや、材料を入れて容器を振りながら作ったアイス。
俺が大きくなってからは、ホットケーキミックスじゃなく、小麦粉やベーキングパウダーを使うお菓子も解禁になった。
お菓子作りを仕事に出来るほどじゃないけど、誰かにあげたい時には真っ先に選択肢にあがるのが手作りお菓子だ。
白崎に中学の頃に一緒に食うか? と渡した時に、俺が作ったと明かしたらすごく驚いていたな。
普通に売ってるやつかと思ったとか言ってさ。
「……ふ。懐かしいな、あの時の反応はもう…見ることもないか」
食器を洗い終えて、手を拭いて。
ガスの元栓確認、テレビを消して、それから…とチェックしながら、最後にカップケーキを鞄に入れる。
いつもの弁当仲間といつかした話の流れで、俺からアイツへのアクションを起こそうと作り出したはずのカップケーキ。
渡すまでにこんな時間がかかるなんて思っていなかったけどな。
そんな裏事情をアイツに話すこともないんだろうけど、話したくもないな。
なんつーか、恥ずかしい話だもんな。どんだけ必死だった? って思われそうだし、思われたくてそうしたわけじゃないんだし。
「……ってか、そもそもでアイツが俺にやたら関わろうとしてきている気がしたから、それを確かめようとしたんじゃなかったっけ」
キッカケが曖昧になっている気がする。
「んー……。ま、とりあえずは可愛い後輩の胃袋を掴めばなにかがつかめるかもしれないってことにしておこう」
自分へ言い訳をしている感じもするが、まあいいか。
それと、アイツから先にチョコプリンをもらって以降、ひとつだけ変えたことがある。
スマホにポンとメールの着信を知らせる音がする。
『少し早めに着けそうですけど、どこで会いますか?』
バカみたいに作りまくったカップケーキの、一番の問題点。それは渡す相手に内緒だったからだ。
『じゃ、図書室の奥の通路で』
だから、先に伝えた。渡したいものがあるから、と。
何本かのメールをやり取りし、時間と場所を共有することにして、俺はその上で渡すことにしたんだ。
面倒くさい付き合いにはしたくない。そういう存在に感じたくもないし。
『わかりました。朝から先輩に会えるなんて、今日はきっといい一日になります』
いちいち言ってくることが可愛いとか、男相手に思うことじゃないんだろうと思いつつ、その表現以外が浮かばない。
『じゃ、学校でな』
夏服に切り替わったとはいえ、まだどこかうすら寒い制服。シャツだけで行くのは心もとない。
薄手の学校指定カーディガンを羽織って、家を出る。
空を見れば、朝に見た天気予報を疑いたくなるような快晴で。
鞄の中から折りたたみ傘を抜きたくなるけれど、母親から持っていけと釘を刺されたほどだから。
これで持たずに雨が降って、濡れて風邪でもひいたらしばらくは文句を言われ続けることになりかねない。
時間を見れば、予定よりも少し早い時間だ。
まだ近所の人の流れもそんなに動きがない。せいぜい、じいちゃんばあちゃんがゴミ出しをしているとか、掃除をしているって感じだ。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。今日はずいぶん早いんだねぇ」
「たまには早く行く時もありますよー」
「そうかい? でも早く行ったら、早くお腹が空くだろうねぇ。…あ、これあげようか」
なんて会話をしている近所のおばあさんは、いつもエプロンのポケットに何かしらのお菓子を入れている。
塩飴が入っている割合が一番高いけど、今日は珍しいこともあるもんだ。
「チョコ、食べなさいね。雪山で遭難した時は、チョコがあったら…ってよく言うでしょう?」
そんな謎の話を聞きながら受け取る、大袋で売っているのを見たことがあるアルファベットが書かれているチョコ。
三つほど手のひらで受け取って、いってきますといいながら背を向けた。
小走りをして、角を曲がってからチョコをひとつだけ口に放った。
昔から舌に馴染んだ味だ。
「遭難って…、ばあちゃん…」
ただ学校に行くだけだってのに、雪山でのチョコの重要性を説かれるっていう一日の始まり。
「これもアイツに分けてやるかな」
溶けないように、手のひらからポケットへと二つのチョコを移動してから。
「…いかなきゃ」
そこまで時間が差し迫っているわけでもないのに、勝手に足が急いたように走り出す。
そういう時に限ってやたらと信号に捕まって、次の信号まで走ったのにまた捕まるという状況になりがちで。
早めに出たからいいけれど、なんとなく落ち着かない。
焦れる気持ちで信号待ちをしている合間に、アイツからもうすぐ着きますとメールが届く。
(先に着いて待っていたかったんだけどな)
俺が中学を卒業してから、連絡もしないままでアイツを待たせたんだろう時間が、それっぽっちで埋められるとか思っていやしないけど。
渡すと決めたからには、わずかな時間ですら待たせたくないってのが俺の小さなプライドだ。
『先に着いたら、渡すのやめるぞ』
なんて、謎の脅し文句をメールすれば『(笑)了解です』と返してくるような後輩だ。
それだけの返しに、なんでなんだろうな。
やっぱ、可愛いなと思う俺がいる。
アイツへの不思議な感情を感じながら、頭の端っこに懐かしい顔が浮かんだ。
(そういえば、結局…あの子たちにはそういう感情を抱かずに別れちゃったな)
高校に入学してから、謎のモテ期間があって。告白されてお試しで付き合ってみたら、どの子も半年経たずに別れを切り出されていた。
付き合うキッカケは、毎回女の子の方からで、別れるのも相手の方から。
コピペでもしてるのか? ってくらいに、付き合うキッカケも別れる原因も同じなのが理解不能。
『優しそうで、大事にしてくれそう』…が、付き合うキッカケで。
『付き合ってみたら、優しいけど思ってたのと違ってた』…が、別れた原因というか理由。
思ってたのと違ってたって、どう違っていたのかとか、そもそもで俺って人間をどう評価していたのかを教えてほしかった。
(こんなんじゃ、俺に彼女なんか一生できる気がしない)
過去を振り返りながら、そういやぁと思ったのがアイツのこと。
白崎は俺の何がよくてかまってくるんだろうか、と。
「その手のことって、改めて聞くのが難しいよな」
はぁ…と短くため息をつき、校門を通り過ぎて玄関でバタバタと上靴に履きかえる。
キョロッとあたりを見回しても、それらしい姿は見当たらない。
「ん? 先…行ってないよな?」
階段を上がって、教室へ向かわずに同じ階にある反対側の通路。図書室の前を通過して、奥へと急ぐ。
朝陽が差し込む窓の前には、誰もいない。
「……はーーーーっ。俺のが先、か」
そこまで急ぐ必要なかったのか? と思いつつ、鞄から渡すものを取り出し始めたその時。
「おはようございます、先輩」
弾むような声で俺を呼ぶ、白崎の姿が見えた。