「ねえ。いつ必死になんの?」 5
~白崎side~
一斉に走り出した。
…と、うち二人が接触してスタート地点を出てすぐに転倒したのが見えた。
「あぁあ…」
そんな声がアチコチから聞こえてくる。
始まってすぐに…って、これからだから追い越せるかもしれなくっても、僕ならきっと凹んでしまう。
気づけば僕の手がちーに握られてて、僕もそれに応えるように握り返した。
「あの先輩んとこのクラスじゃね?」
目を凝らせば、たしかにゼッケンは3年4組だ。
「ちょ…っ」
反射的に手に力が入ってしまう。
「あ、ごめ」
と僕が言ったのと、「いいから集中しろ」とちーが言ったのはほぼ同時。
リレーはあっという間に終わってしまう。他に気を回している余裕なんかない。わかってる。だから無言でそのままでいた。
先輩のクラスの第一走者は転倒の後に、紐もほどけていたのか急いで縛りなおしてからものすごい勢いで走っていった。
一位とは4分の3周くらいの差がある。
「さすがにあの差は詰めるの…キッツイな。俺でも」
どんどん差が広がっていき、もうすぐで一周分になりそうで。先輩との約束は、このままじゃ絶対に果たしてもらえない。願いは叶わない。
リレーは団体競技だから、先輩だけの頑張りじゃどうしようもない。それをわかっていた上での、約束だった。僕も先輩も、双方それを理解と納得の上で…のはずだ。
「…やだ」
思わずボソッと漏らした僕の手を握るちーの手が、すこしだけ強く握ってくれた気がした。
「あの先輩じゃねえの? ほら、お前が一緒に走っていった」
ちーの声に視線をそっちへと向ければ、紫藤先輩の姿が見えた。
先輩は黒木先輩の方へと何か叫んでから、笑って…。そして、身を屈めてバトンを受け取る姿勢を取った。
この時点で、差は一周目よりは縮んだかと思う。パッと見。
「……なんだ、アレ」
ちーの顔が、目が、驚きに固まっている。
あれだけ足が速いちーがそう言うほどに、紫藤先輩の勢いがおかしい。速いとかどうとかって簡単な言葉で括れない。
先を走っている選手たちが遅いわけじゃない。むしろ、きっと紫藤先輩の足の速さを知ってて、手を抜く余裕なんかなかったかのように無心で走っていたようにしか見えなかったのに。
紫藤先輩がグングン勢いを増して走っていく中で、視界に黒木先輩の姿が入ってきた。
靴ひもを確認し、身を屈めようとした黒木先輩に対して、ものすごい勢いで紫藤先輩が迫っていく。
”追い込んでいく”
という言葉が似合いそうなほど、二位の三組の選手が嫌がっている様子のままでアンカーの黒木先輩へとバトンが渡された。
「さくちゃーん、いいとこみせてぇー」
あんな勢いで走ってて、そんな声をかけられる余裕があるの? 紫藤先輩ってナニモノ?
二位と並んだ状態で、アンカー対決へと突入。
一位は半周ほど先。
「あれくらいなら…俺ならゴール手前で抜ける」
ちーが、ポツリと呟く。
「だ、よね」
なんて言ってた僕らは、紫藤先輩に続いて黒木先輩の凄さを見せられることになったんだ。
二位なんかすぐさま置いてけぼり。
一位との差も、相手が4分の1ほど先の距離を走ってる間に詰めてきて、ゴール手前どころか半周ちょっとでアッサリ抜いていった。
他の選手よりは明らかに身長含めて体が小さいのに、弾丸のような勢いで飛んでいった。
「な…ん」
ちーが言葉を失うほどの速さ。
そして黒木先輩以外を遠くに置き去りに、スタートした時の差が逆転したかのような差をつけてゴールした。
「…どういうこと?」
よくわからない。アレ、何? 先輩って、あそこまで足が速い人だったの?
中学校の時は、転校した時点で体育祭はとっくに終わってて。せいぜいやってても、持久走くらいだった。その時にだって、先輩が走るところを見た記憶はない。全学年まとめて走ってたから、きっと一緒に走っていたはずなのに。
「あれだけ速かったら、どこそこで名前が出ててもおかしくないだろ。あの二人だけ異常だろ」
「中学の時、その手の話…聞いたことない」
二人で呆然としながら、全クラスのゴールを見守って。そうして最後には大きな拍手が空に響いた。
「……あ。閉会式、か」
三年生が退場していくのを、ボーッとしながら見送っていた僕とちー。
気づけば二人ともギュウギュウに手を握っていたようで、あわてて外した手はうっすら赤くなってるし、手のひらは汗ばんでいた。
「すごかったな」
ちーにしては珍しく、素直な感想だ。なんていうか、放心しているように見える。
「ちーも、あんな風になる? 三年になったら、その時の一年に凄いって言われる?」
もしかしたら自分のがんばりが無くなったみたいに思っていなきゃいいなと思って、願うようにそう呟いた僕。
「なってほしい? 鈴がそうなってって言ってくれたら、俺…なってみせる」
「そうなってほしいなぁって思うけど、かんたんじゃないでしょ」
「かんたんに出来るものほど、身にならねえって言うだろ。俺は手ごわい相手の方が燃えるタイプだって…いい加減覚えろよ」
表情が少し変わった。
さっきまではやっぱり凹んでいたのかも。明るくこれからを語るちーに、僕は言い返す。
「知ってるよ? そんなこと、とっくにね」
って。
整列をしていると、委員長がちーを指さして手招く。呼ばれたのはちーだけなのに、なぜか手を引かれる僕。
「保護者もついてきたか」
って…やっぱ、言われた。
「僕、戻るってば」
元の位置に戻ろうとしたのに、ちーは僕の袖を離してくれない。
「特等席で、俺と委員長のいいとこ見とけ」
ちーがそう言えば、委員長は一瞬ポカンとしてから普段の無表情さがどこかに行ったみたいに破顔して。
「そうだ。よーく見ておいてくれ。小鳥遊のあの走りのキッカケは、白崎くんの応援があってこそだったろう? というかだな。…上品な顔をしているのに、ぶち抜けとか叫ぶとは思っていなかった。意外性の男だな? 白崎くんは」
改めてそう言われると、なんだか恥ずかしい。
真っ赤になってうつむくと、委員長が「そうしていると、あの時の姫のようなのにな」とか余計なことを言う。
「そういうこと…言うんだ。委員長は、クラスメイトが嫌な思いをしてもいいんだ」
あえて悲しげに演技をして、委員長から顔をそむける。
「委員長が泣かせたのか? 鈴…。俺が後でかたき討ちしてやるからな」
「え? は? そこまでの話じゃ」
「…ひどい…委員長……僕のこと、そんな風に…」
話にノッてきたちーに横目で合図して、ちーの肩に顔を埋めるようにしてシクシクいいながらくっつく僕。
「え? 白崎…くん? あの?」
おずおずと僕の背中に手を伸ばしてきたらしいのを、ちーから耳打ちしてもらった僕は。
「冗談だよ。はははっ。意趣返しっての? これも」
白雪姫を渋々引き受けたのを忘れて、こんな風に引き合いに出されたのを。
「委員長が僕をいじめたの、忘れないからね? ずーっと…」
今度は姫じゃなく、毒リンゴを持ってきた魔女のようにニヤリと笑ってやり返す。
「くっ…。褒め言葉のつもりだったんだがな。…すまなかった」
とかなんとか…口調がお堅い委員長に、ちーと二人で肩を組んで笑い。
「いいよ、もう。気にしてないから」
そう言いながら、指で閉会式が始まりそうだよと示して、両手を委員長の肩に置いて体を反転させる。
委員長は顔だけ振り向いて、右手を軽くあげてごめんと謝って見せてきた。それを見て、ちーと二人で声を殺して笑う。
程なくして閉会式が始まり、各学年での一位への表彰へと流れていく。
各競技の中のMVPを設けているようで、一年の選抜リレーではちーが前へと呼ばれた。
三年の選抜リレーでは黒木先輩の名前が呼ばれていて、紫藤先輩に「早く行きなさい!」と背中を押されていたのが見えた。
二年生のMVPの人を挟んで、ちーと黒木先輩が並んでいる不思議な光景。
最終的に僕のクラスは三位。他の競技での成績が揮わなかったんだとか。まあ、そんなこともあるよね。
三年生はといえば、先輩のクラスは二位。
閉会式の後には、全校生徒で石拾い。小学校の時に、六年生だけがやってた記憶があるんだけど、まさか高校に入ってからもやる羽目になるなんて。
「まとめてこっちのバケツに入れてくれよー」
委員長がバケツを手にうろうろして、みんなの間を行き来しながら集めた石を捨ててから委員長が皆に声をかけた。
「打ち上げ、どうするー? 全員参加か? それとも別日にするか? この場で決をとるぞ」
そういえばそういうのがあるんだっけ。…なんて思う僕は、他人事扱いだ。自分は別に大したことしてないから、参加も不参加もどっちでもいいけど、ちーはさすがに不参加ってわけにはいかない気がする。
(僕は、約束を果たしてくれた先輩に、なんてメールを送ろうかな。話したかったことだけ書くのは、さすがに必死すぎる…か)
この状態を三年間みてきた先輩だったら、すぐにメールが送れなくっても…いいよね?
それを理由にして、先輩を待たせてメールの文章をじっくり考えても…いい?
メールを送るのが夜でもいいかどうか…っていう内容が、久しぶりのメールなのはちょっと。
どうやって伝えようかとボンヤリしながら石を拾っていると、背中になにかが触れた。
「ん?」
思わず振り返ると、僕よりも大きな影がそこにあった。
顔をあげると、あの先輩だ。
「えー…っと、佐々木先輩…ですよね?」
多分合ってるはず。
「正解。コレ、咲良から。そっちのクラスも打ち上げだろ? って」
黒木先輩じゃなく、なぜか小さなメモをコソッと僕の手に握りこませてきたのは佐々木先輩。
「あ。後で開けよ? ここじゃなくな」
「あ、はい」
釘を刺され、うなずいてすぐにポケットにメモを入れる。落とさないように、奥へと。
「ありがとうございました」
「ん。……あのさ」
一瞬、踵を返したはずの佐々木先輩が、僕を見下ろして何かを言いかける。
「はい?」
大人しく言葉の続きを待つ僕を、なぜか眉間にシワを寄せて見てくる先輩の顔がそこにあって。
「あの…?」
なんだろうと思いながらも、これ以上の言葉が出ず。ただ見つめ合っているだけの僕ら。
「…ん。いや…いい。なんでもねーよ。……じゃな。たしかに渡したぞ」
引っ掛かる空気を纏ったままで去っていく、大きな背中。
「あ、はい」
しか返せずに、その背中を黙って見送っていた。
「どうかしたの」
ちーがすぐさま声をかけてきたから、伝言を受け取った話をする。
「ってことは、鈴も今日打ち上げったら参加出来るんだな」
「メモになんて書いてるかわからないけど、こっちも打ち上げだろ? って言われたからさ。メール送るの遅れても大丈夫なんじゃないかな。早めにメモ確かめてみるけどさ」
「…そ。だったら、俺も参加ってことでいいかな」
ちーが僕的には首をかしげることを口にしている。MVPになった人が、不参加なんてアリエナイのに。
「僕に合わせなくてもいいんだからね? ちーは参加すべき。主役みたいなもんなんだから!」
釘を刺すように、言い聞かせる僕。途端にちーが、わかりやすくムスッとした顔になった。
「鈴がいなきゃ、絶対出ない」
「そういうこと言わないの」
「鈴がいない打ち上げなんて、楽しめない。無意味」
「無意味とか言わないんだよ? クラスメイトは僕だけじゃないでしょ」
「……俺のこと置いてくのかよ」
「そういうことじゃないってば、もう。子どもみたいなこと言うんだから」
置いてくのかよと言いながら、ちーの表情が曇った。
参加しないとは一言も言ってないけど、僕だけに合わせるような生活はちーの行動を狭めちゃいそうで嫌だっただけ。
「子どものお世話しなきゃだから、参加するよ。…もう、手がかかるんだから」
すごくガッカリしていたちーに、拾った石を手渡しながらそう告げる。
「焦っただろ? 本当に不参加かって…」
ちーは僕に渡された石を受け取って、手に握りこんだままその場にしゃがみこむ。
「こういうイベントの時だけでもいいから、俺のそばから離れんなって…」
彼らしくなく、口調がどことなく弱々しい気がする。気のせいかもだけど。
「なーに言ってんのさ。こういうイベントじゃなくても、ちーのそばにいるってば」
と、僕の中ではそれが事実だと思ってるから、素直にそう呟きながら、ちーの脇に手を入れて立ち上がらせる。
「ホントかな」
「あ、疑うの? 疑うなら疑うんでもいいけどさ」
「なんだよ、それ。意味深なこと言うなよ。不安になるから」
とか愚痴のように、不満をこぼすちー。
「不安に? なんで」
気のせいじゃなくて、本当に弱々しく聞こえちゃうよ。いつものちーのキャラじゃない。
すこしそっぽを向かれたその耳元に顔を寄せる。
「不安にさせない距離にいるってば」
だから安心させてあげたくって、そう囁く。
「お前がどうだと不安かって、知らないくせに」
ボソボソと何かを呟いたみたいだけど、小声な上にそっぽを向かれたままだったから聞き取れなかった。
「なんて言ったの? ちー」
聞き漏らしたくなくって、すぐさま聞き返したのに。
「………そこまで言うなら、離れんなよ? 今日も」
呟きの正解か判断しにくい返事をして、スクッと立ったかと思えば肩を組んできた。
「ん? うん。そばにいるし、いてよ。みんなと話すのは、まだまだ苦手だからさ。助けてよ、ちー」
「あー…はいはい。わかったよ。…ったく、どっちが子どもなんだか。しょうがないから、面倒みてやるよ」
やっといつもの彼っぽくなってきた。だから、わざとらしく突き放すように呟く。
「しょうがないなら、別にいいって」
とかなんとか。
「あ、いや…違っ。待てって」
「ふ。…冗談だよ」
「だろうと思ったけどよ、一瞬焦るって。…冗談でも言うな」
「ちーには言うよ?」
「俺だから言うな」
なんて感じでどこかくだらなくて他愛ない会話をし、肩を組んだままで歩き出す。
「ごめんね」
「…俺も、ごめん」
そう話をしながら、互いに大きな石を一つずつ持って。
「委員長! 俺ら、これで最後」
「そうか」
委員長が持っているバケツに石を入れ、グラウンドの方へと顔を向けた。
さっきまでいくつもあったテントが解体され、片付けが始まっていて。このままでいけば、あっという間にいつも見ているグラウンドに戻ってしまうんだろう。
「本当に終わっちゃったんだね、体育祭」
急に寂しさがこみあげてきた。
「ひとつずつイベントやってったら、気づけばハロウィンだのクリスマスだのってなるんじゃねえの?」
「合間に何回かのテストっていうイベントも挟まるけどね」
「それ言うな」
「あはは。言っちゃった」
ちーが言うように、何かしらのイベントを過ごすたびに、季節が通り過ぎていく。
(それは…先輩とのお別れが近づくってことだ)
たった一年しか同じ学校で過ごせない、二歳差。先輩が留年でもしない限り、今年で終わりだ。
「あっという間……かぁ」
背中側から、ブワッと風が吹いて髪を乱す。
「わ…っ。すごい風っ」
反射的に目を閉じて、わずかにうつむく。
風が通り過ぎてから、そっと目をあける。…と、遠くに見覚えがある人の群れがあった。
黒木先輩を中心に、佐々木先輩や紫藤先輩。他の先輩方も混じってて、気のせいかこっちを見ているように見えた。
(って、そんなはずないのにね)
自分を気にかけてほしすぎて、そう見えちゃってるんだ。きっと。
「委員長が行くぞってさー」
「あ、うん。一回教室に戻るのかな」
「荷物あるしな。あとで一斉送信で連絡来るって」
「打ち上げのことで?」
「そ。ま…あれだ。時間はあるだろうから、さっき受け取ったやつを見る時間くらいとれるよ」
ちーに改めて口にされてみたら、妙に意識してしまった。ドクンと強く脈打った心臓が、普段よりも少し速めにその音を鳴らす。
ひとたび意識してしまえば、気にせずにはいられない。
「みんな上に上がるって。俺らも行こうぜ、鈴」
「……ん。うん」
肩はずっと組まれたままの、僕とちー。
今まで先輩を見ないようにしてきたのに、今日はその姿を追いすぎたのか…視界に入っていたら見てしまう。
あの日からずっと我慢してきたから、台無しにするつもりなんかないのに。
(どうしても…抑えられない)
遠く、人の群れに少し小さな先輩が埋もれて見えなくなるまで、目の端っこで追っていた僕。
ちーと肩を組んでいた僕のその肩を、自分の方へとほんのすこしだけ寄せるようにと隣の彼が手に力を入れていたことに気づきもせず。
(あとでトイレに行く振りして、メモを確認しよう)
僕はどのタイミングで、先輩からのメモを開くかを考えていた。




