せんぱい! 先輩! センパイ! 3
~白崎side~
先輩が卒業してから、自分の中であることへの不安が日を追うごとに増していった。
自分が元々恋愛対象が男だったのかってことと、たまたま身近だった先輩だったから好きになったのか
身近じゃなくても、本当の意味で黒木咲良って人だからこそ好きだと思えたのか……。
今まで手を伸ばせばそこにあったものがなくなって、それで淋しいと感じたのかがわからなくって。
卒業式が終わってから、当たり前だけど下駄箱には三年生の上靴はなくなってて。
次の三年生が使うために、そのうち先生方が準備をするんだろうなとボンヤリ思ったのと同時に、そういう風に順にみんな忘れていってしまうのかなと思った。
一か月ほどで入学してくる新入生が後輩になって、二年後には僕も卒業をして、そうして誰かの中にあったはずの僕が薄れてしまう。
そんな気がして、すこし淋しさを感じずにはいられなかった。
「でも僕は黒木先輩のことは、きっと忘れないんだ」
あの日、交換しあった個人情報という名のメモ。
自分から連絡をする勇気は出せないまま、時間だけがどんどん過ぎていく。
先輩からも連絡はなくて、きっと忙しいんだろうって思うことにしていつかを待っていた。
過ぎていく時間の中で出来た後輩から、一目惚れですとか言われて首をかしげた。
先輩とどこで会ってもいいように、目を見て話せるように…と切った前髪。
先輩がいいと言ってくれた目だし、他は気にしなきゃいいなんて思いはじめた矢先の出来事。
からかわれているのかなと思いつつ、どこか先輩に似た雰囲気のその男子にありがとうとだけ返して、極力他の人と同じ態度で接していた。
その後もなぜか男子から告白される回数が増え、どうして僕がと思いながら残りの中学校生活を過ごした。
中にはすこしだけいいなと思う子もいたけれど、恋愛感情まで持っていくほどでもなく。
というか、先輩を超えるだけの相手には出会えなかった…というのが正解かもしれない。
帰宅して、スマホを見て。待っている相手からのメールも着信もないままに、気づけば卒業式前日になって。
先輩と離れて二年。告白のようなものは何度かあったけど、自分からいいなと思う相手は一人もいなかった。
他の誰かがあの子可愛いよねとか囁いてきても、そうなの? と首をかしげるだけの僕に、草食系かよと言ってきたやつがいたっけな。
学校で繰り返されてきたいろんなイベントで、ベタな展開の恋愛に発展しそうなことに巻き込まれかけても、相手を可愛いとも思わなかったし、触れたいとも思えなかった。確か。
女の子はもちろん、男の子にもそれはなかった。
中学生にして枯れてるの? とか言われたこともあったけど、恋愛に興味がないわけじゃなかったし。
ただ、先輩から連絡が来ないかなってことだけでいっぱいだったんだ。
何かあったのか、あの時の先輩とした番号交換が社交辞令だったのか。二年間、まるっと連絡はなかった。
自分から連絡をすれば、なんだか必死な感じに取られそうで恥ずかしくって、ひたすら先輩からの連絡を待っていた結果がこれだ。
一年はそんな感じで、もう一年はほとんど意地になっていた気がする。
僕から連絡するもんか! みたいな。先輩が僕のことを気にかけているなら、連絡をくれるはずだって。
保健医の先生へのあいさつをすませ、学校を後にした。
校門を出て学校そばのお店の前で、自販機で飲み物を買おうとした時だ。
財布をリュックから出そうとした僕の真横から、にゅっと手が出てきてお金を入れていく。
もたもたしていたから先を越されたんだと、相手の顔も見ずに自販機の前から避けた僕に触れるナニカ。
「飲みたいもの、選べよ」
という懐かしい声と共に、僕の肩に腕を回してきた感覚があり。
「……先輩?」
声がした方へ顔を向けると、すこしだけ大人びた先輩の顔が至近距離にあった。
心臓がバクつく。息がかかるほどの距離に、先輩の顔がある。
どれだけの人に告白をされても、可愛い女の子がいても、こんな風に心臓が激しく鳴ることなんかなかったのに。
「ほら、選べよ。何飲むんだ?」
動揺している僕におかまいなしに、先輩が自販機を指さす。
「あ、じゃ…じゃあ、ココアを」
「…ん」
ボタンを押すと、ゴトリと鈍い音がして取り出し口にココアが落ちてきた。
先輩が肩から腕を外して、ココアを取り出して手渡してくれる。
「ほら。熱いから気をつけろよ?」
どこかぶっきらぼうな口調も、優しいとこも、二年前から何も変わった気がしないのに。
熱々のココア缶を受けてとって、あの日第二ボタンを胸に抱いた時みたいに胸にココアを収める。
ぎゅっと抱きしめて、うつむく。
「せん…ぱい」
「ん?」
「……先輩?」
「あぁ」
「セ……ンパ、イ?」
「…ふ。呼びすぎだろ、お前」
そんなことしてもいいのか、聞きたかったけど、もう…待てなかった。
「待ってた、のに…」
ふらりと一歩踏み出して、先輩の肩に頭を乗せる。
先輩を見送った時には先輩の方がすこし高かった視線なのに、今では僕の方が先輩を見下ろせるほどになっている。
その差が、二人の間に流れた時間の分だけ…広がっているみたいで切ない。
「連絡、くれるって…思ってたのに」
声を震わせながら、なんとか言葉を押し出す。
「悪い。ちょっと言いにくいことあって、連絡出来なくなってた」
「……なんですか、それ」
と責めるように返せば、すこしの間の後に、メモを失くしたとだけもらす先輩。
「学校に来るとか、いくらでもやりよう…あったじゃないですか」
でもそれをしてこなかった時点で、そこまでして連絡をしたい相手じゃなかったんだと思えてきて、鼻がツンとして痛い。
体を起こして、先輩から距離を置く。それからポケットにココア缶を入れて、ふう…と息を吐く僕。
「いや…さすがにバツが悪いっていうか」
「バツが悪い? …それ、先輩だけの感情ですよね?」
そこまで言ってから、先輩を見下ろして。
「僕の感情は? 僕が、先輩からの連絡を待ってると思ってくれなかったんですか?」
「だ、だから…今日、来てみて…と」
先輩が視線をそらしてきたから、その顔を両手ではさむようにして視線を無理矢理合わせる。
「見てくださいよ、僕を。あの日、先輩が背中を押してくれたから前髪を切れたんです。だから、こうして目を見て話しているんです。そうしたいって思わせてくれたのは、先輩なんですよ? 前髪を切った時だって、本当は連絡したかった。…のに、高校が忙しいかもと思ったら送るわけにいかないと思ったし、もしかしたら番号交換も気まぐれだったんじゃって思ってしまったりもして、こっちから連絡する勇気が出なくって…」
「白崎……」
「僕の目を見てください、先輩。変わった僕を、変われた僕を。誰よりも最初に教えたかった人に教えられなくて、どれだけ淋しかったか。……その日をずっと…待っていたんです」
一気にまくしたてるように告げれば、一瞬視線をそらしてからまっすぐに僕を見て「ごめんな」と言った。
先輩の顔にある僕の手に、先輩の手が重なる。
「ほんと、悪かった。……実は、卒業式の後にポケットからメモを出さずにいたら…そのまま母親がクリーニングに出しちまって。小さめに畳んであったから、クリーニング屋の方でも気づけず。思い出した時には、メモはボロボロになってて読めなかった」
なんとなくその時の先輩の表情が見えそうだ。
「ドジすぎませんか、先輩。というか、本当にフラグだったんですか? あの日の言葉は。まさか先輩が失くすだなんて、思ってもみませんでしたけど」
ハッキリと呆れたように返せば、心底申し訳ないと思っているようで、落ち込みを隠しもせずに。
「ほんっと…悪かった。そんな俺からこんなことを頼むのもおかしな話かもしれないが、もう一度、連絡先を教えてくれないか?」
上目づかいで、僕を盗み見るように見上げてきた。
内心、とっくに許しているのに、ちょっとだけ仕返しくらいしてもいいよね?
「意趣返し…したいくらいなんですけど」
ワザとらしく、すこし低めの声で告げてみる。
「意趣返…し、かよ」
その言葉の意味は、復讐にも近い言葉。
先輩の顔がひくっと引きつる。僕を見上げたまま、何度か口をパクパクさせて何かを言いかけてはやめて。
「…………冗談、ですよ。その先輩の表情が見れたので、それでチャラにしますね」
僕がそう呟くと、ポカンとした顔つきになり、すぐさま笑顔へ変わり。
(コロコロ表情が変わって、面白いや)
「もう……つながりがなくなるかと、焦った…」
そうもらした。
ドクンと心臓が強く脈打ち、先輩から目をそらせない。
(僕とのつながりがなくなるのが、怖かった? 僕と連絡が取れるようになれるの、先輩にとって嬉しいことになる?)
すぐさま聞きたいのに、言葉に出来ない。喉で言葉が詰まって出てこないんだ。
「あの日をやり直してもいいか?」
僕は学ランの胸ポケットにそっと手をあてて、小さく息を吐く。
先輩からもらった第二ボタンは、ずっとそこに入れてあるから。まるで心の中に先輩がいたみたいに。
「もちろん」
前髪を切ったらまた話してくれるのかと聞いた時に、先輩がくれた返事のように僕は当然だという気持ちでそう返す。
「今ここで登録するから、見ててくれ。ってか、お前、ほんと…でかくなったな。俺のこと見下ろしやがって。…ったく」
先輩に口頭で電話番号その他の個人情報を伝え、言われるがままに登録までの状況を見守る。
「今は自宅にあるのか? スマホ」
「はい」
「…じゃあ、メッセージ送っておくから、後から見ろよ?」
二年前から変わりない笑顔に、ホッとする。
「そういえば知ってますか? 僕の進学先」
先輩に負けず、僕も笑顔を見せる。
「いや、誰からも聞けてないし、お前とは連絡とれてなかったし」
またバツが悪そうな表情を見せた先輩に、僕は告げる。
「春から、またよろしくお願いしますね! せ・ん・ぱ・い!」
と。
進学先を決めかねて、決めたキッカケは先輩との縁をもう一度つなぎなおしたいと思ったからだった。
たとえ、その時に先輩の隣に誰かがいたり、僕のことを何とも思っていなくても。
「マジか! 俺の高校か! じゃあ、また一緒に委員会したりできたらいいな」
「…ですね」
そんなことは杞憂だったみたいで、逆に嬉しい反応がみられてテンションが上がる。
「あ」
不意に声をあげた先輩がその言葉の後に呟いた一言に、僕は満面の笑みを浮かべる。
「卒業おめでとう!」
つながりなおせたことが嬉しくて、やっぱりな…と確信した。
(僕は先輩だから、男の人だってわかってても…好きなんだ。離れたくないんだ)
その想いを胸に、「はい!」と元気よく言葉を返す。
ポケットの中のココアは、きっととっくにぬるくなっているはず。
けれど今、僕の胸の奥は先輩を想う気持ちだけで満たされて、あたたかくなっていた。