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消えない名残り 4



~白崎side~



「…え」


僕の方へとわずかに体を近づけようとしていた、先輩の動きがその言葉を同時に止まる。


「白さ…」


僕を呼ぼうとしたその声に「イヤです!」と、まるで駄々をこねている子どものように同じ言葉を繰り返す僕。


二人とも無言になって、耳に入ってくるのは窓を叩く激しい雨音。それと、リビングにあるアナログな時計の秒針の音。


何をどういえばいいの? 切り出せばいいの? 何をしたら、不安にならないの? 先輩を困らせないですむの?


なんて、自分の中だけで逡巡していたって、答えなんか出せないくせに。


先輩とちゃんと話をしなきゃ、きっとこの会話の先にはつながらない。…のに、僕は臆病者だからその先に進めないでいる。


握りこみすぎたこぶしの上に、先輩の手が重なってその肌の温度にドキッとした。


すごくヒンヤリしていて、その冷たさは心配になるほどだ。


「先…ぱ、ぃ」


おずおずとそう呼べば、まだ困った顔のままでまた何かを言いかけるように口を何度も開閉しては何も言わない。


「…すみません。…僕、あの……」


こんな空気にしたのは僕だ。たとえ怖くても、先輩との会話から逃げちゃダメだ。このままじゃ、先輩と。


未来を想像して、体をぶるりと震わせて。


「僕、怖がりで……ごめんなさい」


そう呟けば、またさっきのように先輩が「…怖がり」と言葉を繰り返す。


そして、長い間の後にボソッとこう言った。


「…………怖がりじゃないだろ、お前は」


何に対して怖がっているのかを理解して、その言葉をくれているのかな。


不安な気持ちをそのままに、すこしうつむいて視線だけを上げて盗み見るように先輩を視界に収めた。


(あぁ、好きだな)


そんな気持ちを抱えながら、何度も先輩への想いを確かめてしまう。


「怖がりじゃないですか、昔も今も。だから、前髪を切るキッカケが自分で作れなかった。…先輩がキッカケをくれるまで。そして、今だって僕は…」


いつもいつまでも勇気が出せない。


その言葉の続きを言いかけて飲み込んでしまうんだから、怖がりだろう。僕は。


学校で何度となく見かけてきた、先輩に近づいては拒まれない女の子たち。基本的にくっつかれても拒まない先輩の姿を見て、その度にまるで呪いのように心の中でボヤいていた。


きっと僕の方が先輩のことを好きなのに。


僕の方が先に出会ってるのに。


そんな簡単に先輩の手に、指を絡めないで。僕だってつなぎたいのに。


――でも、男同士じゃ…嫌だよね。おかしいよね。先輩、恥ずかしいよね。


けど先輩のことだから手をつなぎたいってお願いすれば、きっと僕の言葉も拒まないでいてくれるかもしれなくったって…。


でも結局は男同士だから、気持ち悪がられる?


男だから…ダメかな? ねえ、先輩。


声を出さなきゃ届かないのに、一度もそれを言葉にしないできた。


言葉は声に出せば言霊のように命を持ってしまう。叶えてようとしていいのか迷っているうちは、言葉にしてはいけないはず。


(それでも……言葉にせずにいられなくて、眠っているのを知った上で内緒で告白をしてしまった。…そんな僕はズルいし、怖がりだ)


悶々としながら何も言えなくなった僕に、先輩はどこか悲しげに微笑みながら呟いた。


「お前は…怖がりじゃないし、強い…よ」


って。この僕のどこを見てそう思ったのか、逆に問いたいほどだ。そう思うのに、どこか悲しげな空気を纏っている先輩を前に、何も言い返せない。


「コーヒー、美味いな」


すっかり冷めきったコーヒーを飲みながら、僕が淹れたコーヒーを飲み干す先輩。


先輩は何が聞きたかったの? どんな言葉が欲しかったの? 僕なんかの言葉でも、何か言えば先輩の背中を押せた? 支えられた?


(僕が先輩にしてもらったように、何かが出来た?)


僕のこぶしに重ねられた先輩の手はいつまでも冷たくて、僕の不安を煽っていく。


(僕じゃ先輩の役に立てない? 自信につなげられる言葉を渡せない?)


動揺そのままにドクドクと鳴り続ける心音が、僕を急かす。


早く何か言えよ、と。


「…あ」


短く声をあげ、ようやっと吐き出せた言葉。


「僕、先輩がノートや教科書の端っこに描いているイラスト…好きです」


先輩からの質問。俺のどこがいい←に対して、そういえばと思い出したことを大した悩むこともなくニッコリ微笑んで伝えた。


「先輩そのものみたいなほっこり感があって、好きです。それと…」


と言いかけて、重ねられている手を横目で見てから呟いた。


「こうして、手を重ねて落ち着かせてくれるとこと、手の感触も。あぁ、男の人の手だなって思います」


質問への答えにしては、かなり的外れな気がするものを。


先輩が欲しい答えは多分だけど、心の在り方のような感じなんだろうと思い至っているのに、先輩を安心させられる言葉が浮かばない。


やっと浮かんだのが、その辺のファンが簡単に言ってくれそうなことばっかり。


それだけじゃないのに。先輩のいいところなんて、何日かけても伝えられないくらいにあるのに。


勇気の出なさ、語彙力のなさ、いろんなものが足を引っ張っておかしなことしか言えなかった。


後悔に後悔の重ね掛けをしまくっている僕に、先輩が重ねたままの手にギュッと力を込めてから体を小刻みに震わせる。


「先輩…?」


先輩は僕とは反対側へ顔を背けて、いつまでも体を震わせていて。


(様子がおかしい)


背けられた顔を見たくて、上半身をよじって先輩の方へと体ごと向けば。


「バカバカしくなんな…いろいろ。お前、すげーわ」


やっと吐き出した言葉が、それ。


「バカバカ、し…?」


どうしていいのかわからずにいると、体を震わせていた先輩が僕の方へと体を向ける。


「ぷ…くくくくっ……なんっで、よりによって…それ?」


くしゃりと破顔している、先輩の顔がそこにあって。


(あ……)


やっと見たかった表情(かお)だ。


ホッとして肩の力が抜けていくと、自然と強く握っていたこぶしからも力が抜けていった。


「俺、お前の前でそんなに何回もイラスト見られるようなことあったかよ」


僕がなにかで先輩を困らせたかもしれなかったけど、どうにか収束出来た…のか、な?


「え。昨日のワークの方にもちょこちょこ描いてあったのを見ましたよ? 僕。中学の時には、保健室だよりにも既存のイラスト集とかの素材じゃなくて、あれは先輩が描いたものでしたよね?」


と、昔を懐かしみながらそう話せば、またすこし困った顔をしてから。


「なんでそんなに知ってんだよ、お前は」


って言いながら、マグを手にして立ち上がった。


その瞬間、僕の手からは先輩の体温がなくなって、すこしだけ寂しく感じる。そして、寒くも思えたんだ。


冷蔵庫を開けて、牛乳を取り出したかと思えばわずかに首をかしげながら。


「…なぁ。ミルクティー飲まねぇか?」


なんの前フリもなく、問われる。


先輩から急なお誘いをされて、僕はコクコクうなずいてマグカップにあったコーヒーを一気飲みする。


「ふはっ。…そこまで急がなくても、すぐには出来ねぇんだ。この作り方だと」


そう言ってから、僕にマグカップをよこせと手のひらを上にして差し出してくる。


ソファーから立ち上がって、キッチンにいる先輩にマグカップを手渡す。


先輩はマグカップを簡単に洗い、水切りかごに置く。


「コレも、いろいろ覚えた料理の流れで、母親に出来ることを探して見つけたことの一つだ」


そう言ってから電気ポットでお湯を沸かして、洗ってあったマグカップの半分ほどに二杯分のティーバッグを入れて、小皿で蓋をして蒸らしている。


蒸らしている間に、先輩は牛乳をレンチンして温めてから、それをさっきのマグカップに継ぎ足した。


そしてさらに蒸らして、時間になったのか小皿を取り除けば、薄茶の色をしたミルクティーが出来上がっていた。


「お前は甘くない方がいいんだったよな?」


そう聞かれて、首を振る。


「出来ればですけど…先輩が飲むのと同じのがいいです」


先輩を知りたくて時々真似る僕。


僕のそんなところを知ってか知らずか、何も言わずに受け入れてくれる。甘えさせてくれる。…嬉しい。


「俺はこれに関しては甘め。元々疲れた時には甘いものをって、母親に出すために覚えたやり方だったからな」


二つのマグカップを手にキッチンから出てきた先輩から、マグカップを受け取る。


ふわりと鼻をくすぐる、甘いミルクの香り。


さっきと同じく並んでソファーに腰かけて、先輩が淹れてくれたミルクティーに口をつける。


ほんのりとした甘さと、紅茶の香り。市販のティーバッグでも、ここまで美味しいのが淹れられるんだな。


「口に合うか?」


さっきまでとは打って変わって、先輩が纏う空気がやわらかい。


「はい。これくらいの甘さは、好きです。…うん。これなら、先輩のお母さんを癒せそうですね」


僕がそう言えば、嬉しそうに微笑む先輩がそこにいた。


話を聞けば聞くほど、先輩と先輩のお母さんの関係がよく見える。いい関係なんだな。支え合っている、みたいな。その関係を先輩も面倒だとか負担だとか、マイナスの方向で取っていない。むしろどこか楽しそう。


(前向きなところも、先輩を好きなところかもしれないな)


胸の奥がふわふわと温かくなっていく。


「僕も今度、家で試しに淹れてみますね。勉強の合間に飲むのに、このくらいの甘さは欲しくなりますから」


「…だろ? お湯の時に5分くらい蒸らして、牛乳入れてからは2分くらいな? 蒸らすのは」


「5分と、2分。……了解です」


自宅でも先輩の味を楽しめるだなんて、想像しただけで顔がゆるんでしまう。


「気に入ってなにより、ってな。……なぁ、白崎」


コクコクとミルクティーを飲み続けていると、ふと声がかかる。


「はい?」


すっかり気をゆるませ、間延びした声で返事をすると先輩が口角だけを上げて笑っている。


「先輩? 一体…」


どうしたんですかと聞きかけて、飲み込む。


「なぁ……白崎」


また繰り返される呼びかけに、僕は短く「はい」とだけ返す。


何かをためらうようなその繰り返しは、その後3回も続いてから続きを耳に出来るんだけど。


「もうすぐ、学校祭の準備が始まる。…そしたら、お互いになかなか時間が取れなくなるな。こんな風に一緒にいる時間なんか、今までみたいに作れなくなる。イベントがあったら、それキッカケにして一気に交友関係が拡がるかもしれない。……お前も、今よりクラスメイトと」


予想できなかった内容で、僕はどうして今この話を? と思いながらも黙って話を聞いている。


「…はい」


「きっと仲良くなれる。…俺のことなんか、かまってる暇なくなるくらいに」


突き放すでもなく、多分…事実を口にしただけだと思いたい。


その願いを込めて、僕は先輩にこう返した。


「――先輩。僕は暇人なんで、かまってもらいに行きますよ。待っててくださいね」


と。


ズズッと音をたてて、ミルクティーを飲む。


「…そっか」


僕の返事にそれだけ返して、先輩も同じようにミルクティーを飲む。


「さーて、と。今日の飯は何にしよっかなぁ」


さっきまでの空気が薄くなって、いつもの先輩に近くなる。


内心、どうしたのか聞きたいけれど、今はやめておく。


「一緒に作れるものなら、何でもいいです。先輩と食べたら、なんだって美味しいですからね」


先輩がいうように、学校でのイベントできっと忙しくなる。こんな風に一緒にいる時間だって、本当に極端に少なくなってしまうんだろうな。


同じ学年でもなきゃ、クラスメイトでもない。そして、委員会だって一緒じゃない。


「ふ。…じゃ、確かこないだ特売で買っといたあの粉があったはずだな」


この空気のままで、今日を過ごしたい。ささやかなわがままを通したい。


「粉ってワードだけだと、怪しく聞こえるんですけど」


僕が笑ってそう言えば、先輩も一緒に笑う。


「粉って言ってもな、たこ焼きの粉だ。…バーカ」


この後がんばるためのご褒美の前渡しのような時間を、たっぷり手にしてから日常に戻ろう。


先輩が言うように、同年代の友人もきっと必要なんだろうし。


「ただし、タコが入らないたこ焼きな?」


「…ぷはっ。じゃあ、なにか辛い物とかありますか? ロシアンたこ焼きでもやりましょうよ」


「お、いいな。冷蔵庫の中に、面白そうなものがないか…探してみようぜ」


「はい!」


延長された、僕にとっての非日常。先輩と二人きりの時間。


「タコパだな、いわゆる」


「ですね」


特別な時間は、すこし縁日のような匂いがする思い出になりそうだ。





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