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「この、い、インコウ教師ーーっ!」


 私は気づけば壁の陰から飛び出して、ミッチェル先生に世にも汚い罵声を浴びせていた。


「アナベル!?」

「い、淫行!?」


 先輩と先生が同時に振り返る。私はずんずん二人の元に歩いて行った。気づかないうちにぼろぼろ涙が溢れている。

 先輩は面食らって、両手に抱えていた荷物を近くに放って私に近づいた。


「お前、また泣いて――」

「触らないでください!」


 伸びてきた手を拒絶したら、彼はものすごくショックを受けたような顔をした。


 それに構わず、私はミッチェル先生を人差し指で指差した。これも失礼なことなので、すごい侮辱だ。


「どういうつもりですか! いくら可愛くて若くても、教師と生徒は恋愛できないです!」

「ま、待って、何の話!?」

「しらばっくれるんですね、いいでしょう戦争です! トゥロック商会の持てる力全てを使って――」


 ミッチェル先生は真っ青になって震え出し、先輩は私に叩き落とされた自分の手を見つめていまだ茫然とし、私は我を忘れて怒り狂う。


 三者三様、にわかに収拾のつかない修羅場となった廊下だったけれど、勇敢にも私の背後から走り出てきた女子生徒がいた。


「アナベル! それは多分冗談でも言っちゃいけないやつ!」


 忘れ物を取りに戻った私を追いかけてきていたらしい、ロハリーである。


 第三者の登場と指摘に、まず我に返ったのは先輩だった。


「アナベル、誤解、誤解だ」

「誤解なものですか! 見損ないました!」

「……!」


 けれど再び行動を停止してしまった。私に伸ばしかけた手を中途半端な位置で止めている。


「ヴァ―ン・ランデール! 頑張ってください!」


 ロハリーに喝を入れられ、先輩がまた正気を取りもどす。今度は準備室の扉に手をかけた。


「ま、まずはこれを見ろ」


 扉が開かれると同時、中から大きくて白っぽいけむくじゃらが飛び出してきた。俊敏な動きであっという間に私の足元まで来る。


「あれっ、あなた」


 それは先ほど私が先輩と一緒にモフった迷い犬だった。二本足で元気よくまとわりついてくるので、しゃがんでその体をよしよし撫でる。


「その犬はミッチェル先生の飼い犬で、今朝は気づかないうちに馬車に乗り込んでいたそうだ。さっきお前と別れた後職員室で引き渡したんだが、結構俺に懐いてて、俺も離れがたくて」


 先輩が確認するようにミッチェル先生に視線をやると、先生も「その通り」と言わんばかりに首を縦に振った。

 震える声で口を開く。


「荷物を運ぶのを手伝ってくれたお礼に、もう一度この子に会っていかないかって提案したの」

「あ……」


 先程のミッチェル先生の囁き声を思い返した。


『うちの子ったらあなたのこと、大好きになっちゃったみたいなの。ね、あなたもそうでしょ?』


 先輩のことを大好きになったのはミッチェル先生ではなく、この犬だったわけだ。一部だけ聞いた私が誤解したというわけだ。早とちりだったのだ!


「ご、ご、ごめんなさい!」


 私は大慌てで二人に頭を下げた。一人で勝手に明後日の方向に勘違いして暴走して、本当に馬鹿だ。恥ずかしいことこの上ない!


「ううん……飼い犬を学校に連れてきちゃったのをあんまり人に知られたくなくて、こそこそ喋ってた私も悪かったと思うから……」


 ミッチェル先生はいまだに顔色が悪いまま、力なく首を振った。


「だからその……『トゥロック商会の持てる力全てを使って』私に何かをするのはやめてもらえると……」

「もちろんです! 当たり前です! すみませんでした!」


 断言すると、先生はやっとほっとしたかのように息を吐いた。


 トゥロック商会は王都でも有名な大商会だけれど、そもそも後継ぎでもないただの娘である私がその力を利用することなどできないから大丈夫だ。

 誰かを気軽に『二度とお日様の下を歩けない状態』にすることが可能なのは父と母と長兄だけだ。


 疲れた顔の先生が「もう早く帰りなさいね」と犬と共に準備室に引っ込み、ロハリーも「嫌な予感がして様子見に来てよかった」と疲れた顔で先に帰った。


 取り残されたのは私と先輩だ。私は「一緒に帰りたい」と伝えるための勇気をかき集めていたけれど、その間先輩は無言だった。

 その沈黙に違和感を持ち、冷や汗が出る。


 もしかして。


「先輩、怒ってます……?」


 おっかなびっくり聞いたけれど、まさかの返事がないし目も合わない。これはもしかして、相当怒っているんだろうか。

 先輩が怒ったところなど見たことがないからどうしたらいいかわからない。


「す、すみません。本当に失礼でしたよね。手叩いちゃいましたし、確かめもせずに――」

「ん? しまった、悪い、聞いてなかった」


 私はしどろもどろに謝罪を重ねたけど、先輩はふと気がついたように顔を上げた。その声色も表情も普通だ。


「怒ってないですか……?」

「? 何も怒ってねぇよ」

「良かったぁ」


 ほっとして胸を撫で下ろした。先輩を怒らせて、もし嫌われでもしたらもう修道院に入るしかない。


「先輩がぼーっとするのは珍しいですね」


 安心した私が締まりのない顔で言うと、先輩はばつが悪そうな顔になった。


「あー、俺はお前に嫌がられると思ったよりショックだってことにショック受けてた」

「?」


 私が先輩を嫌がると……? 難しい、つまりどういうことだろう。

 頭の上に疑問符を浮かべると、苦笑した先輩が「つまり」と話をまとめてくれた。


「俺は自分で思ってるよりお前が好きだってことだ」

「え……え!?」

「よし、帰るぞ。馬車乗り場行くだろ?」


 先輩は普通に歩き出したけれど、私の方はそうはいかない。なんなら肩にかけていたスクールバッグが滑り落ちて地面に落ちた。


「ど、どういうことですか!? 私と結婚するってことですか!?」

「いや違ぇな」

「違うんですか!?」


 慄く私を気にも留めず、先輩は私のスクールバッグを拾って私に持たせるとまた歩き出してしまう。


「違うんだ……プロポーズされたのかと思いました」

「たまに発想が飛躍するよな」


 私もやっと歩き出す。

 でも今のがプロポーズじゃないとすると、本物のプロポーズは一体どれだけロマンチックになってしまうんだろうか。先輩がロマンチックの化身になってしまう。


 令嬢科校舎の階段を下りつつ、先輩にプロポーズされる自分を思い描いてみる。先輩が跪いて指輪を差し出して、私はそれに驚いて、でも喜んで――。


「……あれ」


 妄想なのになんだか上手くいかないと思ったら、私がデカ過ぎた。立ってる私に先輩が跪くと見下ろし感がすごい。


 私の立ち位置にぴったりなのは、そう、ミッチェル先生みたいな女性だった。


 勘違いでみんなに迷惑をかける前、廊下に立ち竦んで盗み見した先輩と先生の姿を思い出す。私みたいなデカい女と並ぶよりずっと自然でしっくりくる光景だった。


 先輩は別に小さくない。この世界で八割方の女性は165cmより小さい。

 並んで廊下を歩く二人を「お似合いだ」と、素直にそう思ってしまってショックを受けたから、私あのとき足から根が生えたみたいに動けなくなったのだ。


「いいなぁ」

「何がだ?」

「ミッチェル先生の容姿です。私は『可愛い』って言ってもらえるような見た目じゃないから」


 身長は150cmくらいで、鎖骨までの桃色の髪は私と違ってふわふわしていて、小柄で守りたくなる見た目は「可愛らしい」という言葉がぴったり。


 先輩は踊り場で立ち止まり、眉を片方上げて私を見た。


「お前は美人だって言ったろ」

「ありがとうございます」


 頬を染めて微笑む。優しい人だ。私に自信を持たせようとしてくれる、優しくて素敵な人。


 大好きな人からの「美人」という褒め言葉に、『高い』は『強い』だと教えてくれた親友。


 でも十六年間かけて築いたコンプレックスは根深い。


 こんなに周りに恵まれているのに、一度でいいから先輩に「美人」より「可愛い」と言ってもらいたかったと思ってしまう私は、とてもわがままな人間だ。


「そんなに『可愛い』がいいのか」

「ないものねだりで困っちゃいますよね」


 呆れられるのは嫌だったので受け入れているふりをした。

 眉尻を下げて笑ってみせる。


 でも先輩は、「そういうもんか」と独り言みたいに呟いた後、ごく真面目な顔で私にこう言った。


「大丈夫だ。お前はバカわいいから」


 思考が止まる。今可愛いと言われたような……いやその前に何かついていたような。


「ばかわいい……?」

「バカで可愛いってことだ」


 目を点にする私に、先輩は私の「バカわいいポイント」を挙げ始めた。


「俺を見つけると笑顔で走ってくるところ、子豚と意志の疎通を図るところ、あれからかんざしの練習をして自分でもできるようになったところ、結局オギルビーが覚えられなかったところ……まだあるぞ。な? 大丈夫だろ?」


 何が大丈夫なのかよくわからないが、少なくとも私の心臓は大丈夫じゃなかった。


 そしてじわじわと心が温かくなっていくのは、先輩が私のことを意外とよく見てくれているような気がしたからだ。

 特にかんざしのことは、もっと上手にできるようになったら見せて褒めてもらおうと思っていたから、まだ伝えていなかった。


「先輩! だ――」

「『大好き』だって言うんだろ。知ってる」

「じゃあちょっと変えます! 大大好きです!」

「それも知ってる」


 先輩が目を細めて笑って、私の胸がキュン! と音を立てた。


 さっさと階段を降りていく先輩を追って、二人並んで歩いて行く。

 すると自然と馬車乗り場まで一緒に帰ることになったので私は最高に幸せだった。先輩はいつも私を幸せにする。



 不思議なことに、ミッチェル先生は次の日から男子生徒たちを惑わさなくなった。


 ロハリーはこのことについて、「ミッチェル先生は全体的には悪い人じゃないけど、男子生徒に若干思わせぶりなことをして楽しんでた節があったから、アナベルのことが良い薬になったんじゃない?」と分析していた。


 真偽は不明だけれど、令嬢たちは心の平静を取り戻し、婚約者たちのギスギスした雰囲気は改善に向かった。


 ちなみに、この日私が令嬢科校舎に戻ってきた目的だった教科書は、無事机の中に忘れ去られた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ロハリー、良いところで! 初登場から、なんとカッコいい女の子かと、注目しています(笑) そう、言っちゃダメなやつですよね。 全力で止めに来てくれて良かった。 [気になる点] 「トゥロック商…
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