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 二年生の修学旅行も終わって、貴族学校の次の大きな行事は体育祭。でもそれはまだ先だ。私は授業と部活動、委員会と結構充実している日々を送っていた。


 服飾研究部では、選ばれた十人の新モデルに二、三年の先輩モデルを加えた新体制で週四回レッスンが行われていて、私も真面目に取り組んでいる。


 最近練習用ヒールが7cmから8.5cmにパワーアップした。こうなるとたまに履く7cmヒールがすごく楽に思えるから不思議だ。

 ロハリーも鬼気迫る勢いで洋服を作っている。


 飼育委員会では、毎日ブタ美さんに餌をやりに行く仕事と、一週間に一度は委員会の話し合いに出席して、その後子豚小屋の掃除をしている。


 ランデール先輩は厩舎の手が足りているらしく、掃除を一緒にやってくれたり餌を一緒にやってくれたりするので幸せな気分になっている。私が。


 先輩は最近いつも第二ボタンまで開けたワイシャツ姿で、人よりブレザーを脱ぐタイミングが早くてすごく可愛い。

 ブタ美さんは最近私が近づくと起きてご飯を待つようになった。


 イベントが少なくほのぼのするこの時期だけれど、一つだけ生徒にも関係のあるイベントがある――教育実習だ。


「今日からいくつかのクラスで社交ダンスを教えることになりました、ジュディ・ミッチェルです。よろしくね」


 ある日の朝、授業前に連絡事項を伝える時間に、担任のブラウン先生と一緒に教室に入ってきた女性はそう言ってカーテシーを披露した。


 私のクラスは令嬢科だから男子生徒はいないけれど、もしいたらすごく喜びそうだな、と思いながらミッチェル先生を眺めた。


 先生は身長が150cmくらいで、鎖骨までの桃色の髪は私と違ってふわふわしている。小柄で守りたくなる見た目は「可愛らしい」という言葉がぴったりだ。

 つまり、色々と私と真反対。


 翌日の体育の時間、ダンスホールで早速ミッチェル先生のダンスレッスンがあった。先生は女性パートだけでなく、男性パートも上手に踊って令嬢科の生徒たちを導く。


 ただ、私と向かい合ったときだけは、長い睫毛に縁どられた目をぱしぱしと瞬いていた。


「大きい……」


 そしてすごく素直だった。私と彼女では30cm定規一つ分の身長差があるので、普通の反応だとは思う。


 けれど私にとって驚きだったのは、そこで同じクラスの令嬢たちがこんな風に声を上げてくれたことだ。


「先生、おっしゃる通りアナベルさんはとてもお美しいんです。服飾研究部のモデルも務めていらっしゃるの」

「私たちもアナベルさんみたいになりたいわってよく話しているんですのよ。ねえ、みんな?」


 他の子も口々に肯定してくれる。私は「大きい」という事実にやっぱり少しだけ傷ついていたので、感動で胸がいっぱいになってしまった。


 ミッチェル先生はクラスのこの反応を受けて、「はい、とてもかっこいいですね! 私は背が低いので憧れます!」と言ってくれたので、悪意はなかったのだと安心した。

 私の周りの令嬢たちはそれでもなお、扇に隠した口元をへの字にして先生を見ていたけれど。


 その授業の後、更衣室で話をしたロハリーによれば、


「先生は各所でうっすら怒りを買ってるみたい。今男子生徒にすごい人気で、婚約者の令息が先生にうつつを抜かしてて困ってる令嬢が少なくないらしいよ」


 だそうだ。私が相槌を打って聞いていると、左右のロッカーで着替えをしていた女子たちが会話に入ってきた。


「それまさに私のケースで、婚約者がすっかり先生のファンになっちゃった。喧嘩まではしてないけど、ちょっと険悪なの」

「わたくしも。先生は令息科や騎士科にも社交ダンスを教えていらっしゃいますからね。接触が多いとやっぱり不安になるわ」


 騎士科、という言葉に耳が勝手に反応する。社交ダンスは貴族の嗜みらしいから、先輩ももちろん授業を受けているだろう。


 恐ろしい想像が頭を過った。


「……いやいやいや」


 ブンブン頭を振って嫌な想像を外へ追い出す。先輩は硬派だから、若い先生に熱を上げたりしなさそうだ。

 それにこの令嬢たちと違って、仮に先輩がミッチェル先生に熱を上げていたとしても、私にそれを咎める権利はない。


「大丈夫、教師と生徒の禁断の恋とかない……真面目な先輩に限って、ない!」


 私が自分に言い聞かせているのを見て、同級生の令嬢二人は「あら」と頬を染めた。

 ロハリーはひたすら心配そうな顔で私を見ていた。


 次の日の放課後、私は子豚小屋の前で、ブタ美さんにおやつをあげながらその体をブラッシングしていた。個人的に買ったブタ美さん専用ブラシだ。


「だからね、私から見て執事のジョンはラミに惚れてるのよ。骨抜きなの。でもラミはそんなことないって」

「ブヒヒ」

「そうよね。私もジョンにそう言ってやったの。そしたらジョン、なんて言ったと思う?」

「ブヒ!」

「そう、まさに。全く呆れちゃったよね」

「何言ってるのかわかんのか?」

「わ!」


 突然真後ろから声をかけられ、地面にペタンと尻もちをついてしまった。

 振り返ればそこにいたのはランデール先輩で、彼は私に「すまん」と言い、私を引っ張り起こしてから、自分も私の横にしゃがんだ。


「ブタ美、喋ってみな」

「ブヒヒヒ」

「ブヒヒヒ?」

「ブヒヒヒヒヒ」

「なんか笑ってねぇか? ブタ美」


 私は危うく卒倒しそうになった。

 先輩が子豚とお喋りしている!


 動物の赤ちゃんとコラボすることによって、先輩の魅力はさらなる高みに到達する。あまりにも愛おしい光景。もう死者が出てもおかしくないレベルだ。


 私は鼻血を出しそうになりながら言葉を絞り出した。


「私にはブタ美さんが何を言っているのかはわかりませんが……きっと先輩の言葉はブタ美さんに届いていると思います」

「いやわかってねぇのかよ」


 先輩はそう言うと、ブタ美さんを構うのをやめてすっくと立ち上がったけれど、どこか一点を見て「ん?」と呟いた。目を細めてどこかを睨んでいる。


「おいアナベル、あれ」

「どうかしましたか?」

「犬じゃね? 犬だ」


 ブタ美さんのお家の柵を軽く乗り越え、先輩は直線距離で歩き出した。


 私はぐるっと回って出入り口から歩いて行った。すると、先輩がしゃがみ込んでわしゃわしゃ撫でているのは確かに犬だった。

 大きくてクリーム色でふわふわで、大人しく先輩に撫で回されている。賢そうだ。


「迷い犬? でしょうか」

「だな。首輪してるし清潔だし、学校は犬飼ってねぇ」


 私もしゃがんで顎下を触らせてもらう。温かくて太陽の匂いがして気持ちがいい。


 有り難くアニマルセラピーのリラックス効果を堪能していると、


「可愛いなー。俺犬好き」

「え!?」


 先輩が突然爆弾を落としたのでつい大きな声を出してしまった。私がずいと身を乗り出し、先輩が若干のけぞる。


「犬お好きなんですか!?」

「お、おう」

「犬が! お好きなんですね!?」

「嫌いなやつあんまりいないだろ」


 先輩は何か言いたげだったけれど、私の変な言動はいつものことだと思ったのか、犬を撫でる作業に戻った。


「そっかぁ、犬好きなのかぁ」


「グフグフ」と気持ちの悪い笑い方をしないよう、一生懸命我慢する。

 というのも、私は過去に二回先輩に「犬っぽい」と言われているのだ。先輩が犬好きとわかった今、自動的に私のことも好きな可能性が出てきた。


 声を出さずにむふふと笑っていると、視線を感じた。先輩が手を止めて私をじっと見ている。


「一応言っておくが、お前のことはさすがに人間だと思ってるからな」

「えっ……」


 残念なことに『犬好き=犬っぽい私も好き』の構図は通用しなかった。唇を尖らせる私を放って、先輩は「さてと」と立ち上がった。


「お前今から部活行くだろ? この犬は俺が職員室に引き渡してくる」

「わかりました。いくらこの子が可愛くても、ブレザーの内側に隠して家に連れて帰っちゃだめですよ」

「大きさ的に無理だろ」


 小型犬だったら実行したんだろうか。


 立ち上がった先輩がなかなか出発しないと思ったら、しゃがんでる私を上からじっと見ていた。私のつむじが珍しいのかもしれない。


 よくわからないまま下から見つめ返していると、そっと伸びてきた手が私の頭をふわっ……と撫でた。


「じゃ、またな」


 まるで何事もなかったように、先輩は犬を促して行ってしまった。しゃがんだまま、撫でられた頭の部分をちょっと触ってみる。


 先輩が私のことを人間だと思っているというのは本当なんだろうか。先輩に好かれるならもう犬カウントでもいい。



 その日の部活を終えた十八時半頃、私は服飾研究部がある本校舎から自分のクラスがある令嬢科校舎に一人で戻ってきていた。

 机の中に教科書を忘れたのを思い出したのだ。


 部活の後といっても五月だからそんなに暗くない。まだ部活が終わっていないところもあるようで、人の気配もある。


 チェックのスカートを抑えてとんとんとリズム良く階段を登り、廊下を進む。次の角を曲がったら自分のクラスが見えてくるというときだった。


 人の声が聞こえた。反射的に足を止める。


 角を曲がったところを誰かが歩いているみたいだ。話し声が徐々に遠ざかっていく。

 それだけならどうってことないけれど、問題はその声の片方が、どうもランデール先輩に似ているということだ。


「いえ、これくらいなら別に、騎士科の奴なら頼めば誰でも手伝うと思いますよ」

「ううん、そんなことない! ランデール君がいてくれて本当に助かったの。ありがとう!」


 名前が聞こえた。廊下を曲がったところにいるのは本当に先輩のようだ。

 その会話を聞くうち、話している相手の女性の声にも聞き覚えがある気がしてきた。盗み聞きも盗み見もマズいとは思いつつ、少しだけ顔を出して様子を窺う。


 ピンク色のふわふわした髪が見えて息を呑んだ。


 私のクラスの前の廊下を、先輩とミッチェル先生が二人で歩いていた。

 二人は私に背中を向けているけれど、先輩は両手に分厚い本やら何やらを抱えているのがわかる。先生の方は手ぶらみたいだ。


 そういえば私たちのクラスの隣は令嬢科の体育の先生が使う準備室だったはずだ。先輩はきっとミッチェル先生の重そうな荷物を見かねて、手伝いを買って出たのだろう。


 状況はわかる。なのに私は立ち竦んでいた。


 これ以上見たくないし聞きたくないのに、この場を離れられない。足が床に張り付いてしまったみたいに少しも動かせない。


 ただその場に留まって、二人の会話に耳を澄ませてしまう。


「そうだ。お礼をするから、少し中に入っていかない? お茶も出すわ」

「いえ、お気遣いなく。もう帰りますし」


 先輩は準備室に入らず、その前で立ち止まった。先生に荷物を返そうとしているのがわかる。


 けれどミッチェル先生は、それを受け取らなかった。代わりに「あのね」と気持ち小さな声で言ってつま先立ちになる。


 背伸びしたミッチェル先生が、先輩の耳に口元を近付ける。先生の香水の種類を当てられそうなその距離を見て、胸が縮こまるみたいに鋭くズキンと痛んだ。


 ツヤツヤした桃色の唇が囁いた言葉は、一部しか聞き取れなかった。


「……あなたのこと、大好きになっちゃったみたいなの。ね、あなたもそうでしょ?」


 先輩を下から覗き込んで、いたずらっぽく微笑むミッチェル先生。

 先輩が息を呑んだのがわかった。ミッチェル先生が準備室の扉に手をかける。


 彼がそこから立ち去らず、むしろ準備室につま先を向けたのが見えた瞬間――。



  私の中で何かが爆発した。

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