番外編4 ヴァーン・ランデール2
新入生歓迎会の日の後も、アナベルとはよく顔を合わせる機会があった。
俺と同じ飼育委員会に入ったからだ。人気のない子ブタの世話に手を挙げていて感心した。
一回目の委員会で会ったときは服飾研究部のモデルになるべく努力していたし、その次に偶然会ったときは「モデルに選ばれましたっ!」とはちきれんばかりの笑顔を浮かべていた。
アナベルは学校で俺を見つけると走って寄ってくるようになって、俺は彼女を「健気」と感じた理由に気がついた。
アナベルは犬っぽい。好意の表し方や挙動など、諸々が。
ついには二年生の修学旅行にもついてきた。その割に自分がストーカーだと思って落ち込むという天然ぶりだ。
美味いものを食って観光を楽しめば笑顔になるだろうと二人で歩き出してから、アナベルを笑顔にしようする自分がいることに気がつく。
土産物屋でガラス細工を熱心に見る姿に、プレゼントを提案したのもそうだ。そうすれは喜ぶと思った。喜ぶのが見たかった。
自分でも不思議だが、喜ばせる分にはいくらでもそうすればいいだろうと自分を納得させる。何も悲しませたいとか泣かせたいと思ってるわけじゃない。
――そう考えて切り替えたのに、髪を纏めてかんざしを差してやったらアナベルは泣き出した。
土産物屋ではらはらと涙を流すアナベルに血の気が引いていく。
とめどなく溢れてくる雫が、下まつ毛を滑って頬を伝っている。瞳が青色だからまるで瞳が溶け出しているみたいで余計に焦る。
なんとか泣き止ませて別れるとき、鼻が赤いアナベルはふにゃっと笑みを浮かべ、俺のことが「大好き」だと言った。
アナベルの好意は純粋で真っ直ぐで、俺に向かってブンブンと尻尾を振っている子犬のようにすら見える。
気がつけば自然と手を伸ばしていた。途中で我に返って、その顔の横に垂れた一房の髪に目を止め、耳にかけた。
その後アナベルと別れて自分の班に合流する直前、俺は立ち止まって自分の手の平をまじまじと見た。
「わざわざ俺がやってやる必要はなかったな……?」
アナベルの銀髪によく似合っていた、薄い緑色のかんざし。
「かんざしの使い方がわからない」とあいつが言ったのは確かだが、俺が教えながらアナベルがやれば良かっただけだ。
どうしてそんな簡単なことに気が付かなかったのか。自分でもいまいち自分のことがわからない。
そんな不思議な感覚はそれからも続いた。アナベルが笑顔を浮かべているとき、何かを頑張ったとき、一生懸命話をしているとき。
手を伸ばして頭を撫でたくなる。
サラっと髪が揺れて、アナベルはひどく嬉しそうな顔で頭を差し出してくるから余計に。
教育実習生の女性の件でまたアナベルが泣いたときは、どうにか涙を止めなければという使命感のまま手を伸ばした。
するとあのアナベルが、俺の手を振り払った。俺は「頭がフリーズする」感覚を味わう羽目になった。
心臓が掴まれたみたいな心地がして、自分で自分のコントロールが効かなくなる。
自分は思ったよりこの後輩を気に入って大切に思っているらしいと、認識を改めることにしたのを覚えている。
***
「自覚はなかったけどこの頃にはもう好きだった。機会があれば触りたいと思うくらいには」
「私も大大好きでした!」
朝の図書室にて、以前を振り返りながら俺が言えば、赤い顔のアナベルが突然告白する。そして顎に手を当て、思い出すようにしみじみと頷いた。
「あの頃は撫でてもらえるのが不思議で、でも嬉しくて、頑張って動かないようにして少しでも長く撫でてもらえるようにしてました!」
「何だそれ、そうだったのか」
そんな努力をしていたとは知らなかった。笑ってしまいながら手を伸ばしてアナベルの頭を撫でると、たしかにピタッと動かなくなる。
俺は笑いを堪えつつ、また記憶を探った。
***
六月には体育祭があった。二、三年にとっては大した行事ではないが、一年生にとっては違う。『舞踏』があるからだ。
純白組の待機スペースでアナベルを見ていた俺は、ペアのピアース伯爵令息がプレッシャーに耐えかねて逃げ出したことをいち早く理解した。
そして気がついたら体が動いていたのだ。
咄嗟に走り出して、ピアース伯爵令息とすれ違いざまに番号札をむしり取った。そのままアナベルの元へ向かう。「足が早くて良かった」と心から思った。
騎士科の奴らのびっくりしたような反応やら周りからの視線やら、そんなものはどうでもよかった。
『また泣いたりしたら大変だ』。駆け出してからアナベルに声をかけるまで、それだけを考えていたのを覚えている。
俺の顔を見て喜色満面になったアナベルを見て心配は吹き飛んだ。あとは自由に楽しくダンスをしただけだ。
アナベルはペアの男が逃走したことに一つの文句も言わず、それどころかそんなことは既に忘れていそうな笑顔だった。
アナベルの笑顔はすぐに俺にうつる。こっちまで自然に笑えてくるのだ。
男子選抜競技の『剣術』では二回戦が始まる前、イングルス侯爵令息にこんな風に言われた。
「アナベル嬢はとても素敵な女性ですね。私も彼女のことが好きになりました」
そう言って白い歯を見せて微笑んでいる。
俺は遠くのアナベルに一瞬視線を投げた。純白組の待機スペースの最前列で、ギュッと手を握りしめてこちらを見ている。
イングルスのその言葉は俺の精神的な揺さぶりが目的だったんだろうが、むしろ集中できた。
アナベルを理由に負けるわけにはいかないからだ。
そのまま万全の状態で決勝戦に臨んだ。騎士科三年の二人と一戦交えることができたのは良い経験だった。
だがそれ以上に「悔しい」と思った理由の一つに、「優勝したところをアナベルに見せたかった」があることは自覚していた。
しかし、本当に大変だったのはその後だ。