表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/57

5

 私の二つ前の順番の女の子が、一瞬開いたカーテンをくぐって、ランウェイに歩み出していった。


 四月二十三日、今日は遂にランウェイテスト当日だ。午後の授業が終わると部室に集まって、ヘアメイクと着替えを済ませた。

 ランウェイテストではモデルが自分でヘアメイクをするけれど、本来はヘアメイクを専門にする別の生徒にやってもらえるものらしい。


 私の衣装は三年生が作った試作品だ。花びらみたいな桜色の飾りがいっぱいついた、曲線のラインのドレスで、春らしく柔らかくとろけるような素材が可愛らしい。


 ランウェイは部室の中に作られた仮設のものだ。ランウェイテストの他、作ったドレスの見栄えを確認するときなんかに使うそうだ。


 裏には数人が待機できるスペースがあって、カーテンで仕切られている。私は今そこにロハリーと一緒にいる。


「アナベル、緊張してる? 顔がカタい」

「うん、ちょっと……」


 カーテンの隙間からランウェイを覗くと、正面の審査員席が目に入った。五人が横一列に座って、ランウェイを闊歩するモデルを冷静に見つめている。

 一人は顧問の先生で、あとの四人は三年生らしい。男の人も一人いた。


 ランウェイの両側には他の部員が全員揃っている。今日見ているのは部員だけなのに、こんなにも指先が冷たい。

 腕を伸ばして手をグ、パーと動かした。


 私の前の順番の子が、名前を呼ばれてカーテンの向こうに消えていった。


「アナベル」

「うん?」


 カーテンの正面に立って深呼吸していると、俯いたロハリーが静かに私を呼んだ。


「あたし、あんたが身長の高さのせいで今までどんな思いをしてきたのか、全然知らない」

「……」

「でも、それを承知で言う」


 ロハリーが顔を上げた。7cmのヒールでさらに身長を底上げした私を真っすぐに見上げる。



「ランウェイの上なら、『高い』は、『強い』だよ」



 一瞬、時が止まったみたいな錯覚の後、「四十七番。アナベル・トゥロックさん、お願いします」というアナウンスを聞いた。


 手の震えが止まっていた。何故か「大丈夫だ」と思った。

 だって『高い』が『強い』なら、このランウェイで最強なのは私だ。


「行ってくるね」


 ふっと息を吐き切って、すっと顔を上げたら一歩目を踏み出す。カーテンがふわりと持ち上がって私を通してくれる。


 カーテンの向こうは別の世界だった。まず感じたのは圧と熱気だ。両側から大量の視線が私を突き刺している。私を試している。


 両足を、まるで一本の線を踏んでるみたいに揃えて交互に出していく。目線はずっと遠くに置いて、口はぴったり閉じて、腕は力を抜いて自然に振る。

 ランウェイの一番向こうまで行ったら、少し立ち止まってポーズを決めなければならない。


『お前は私たちの服にふさわしいのか』。そう問われている気がした。

『何か月もかけて作る、我が子みたいに大事な刺繍のブラウスも。全身全霊をかけて生み出した、人生の破片みたいなドレスも』。

『その魅力をせいぜい数十妙であますところなく伝えて、世界で一番綺麗だと観客に思わせる、そんなことができるのか』と。


 自分にモデルが務まるのか、正直よくわからない。初めての経験だし、ウォーキングを習い始めたのはつい十日前だ。


 ――でも。


 このドレスを作った女性は、私に渡すとき、「あなたが着ることになって嬉しい」と言ってくれた。「あなたの綺麗な銀髪を見て思いついたドレスだったから」と。


 誰かの想いが詰まった服を託されるというのは、こんなにも身が引き締まるような気持ちになるのだと、そのとき初めて知った。


 ランウェイの最果てに着いた時、私は立ち止まって、どんな表情とポーズをするべきか少し迷った。


 でもすぐに――花が綻ぶように、ふんわり笑ってみた。裾と袖を靡かせて、春の温かい風に煽られているみたいに。


 このドレスの名前は『春の訪れ』だと、あの女性が教えてくれたから。


 審査員の目があっても、とてつもない緊張の中にいても、大好きなあの人の姿を思い出せば、私はそれはそれは上手に笑うことができる。


 自分にモデルが務まるかはわからない。そのプレッシャーも知ったばかりだ。


 だからせめて、その服を着てせいぜい「全校生徒を見惚れさせて」やろうと、頑張るくらいはしてみせようと思う。


 ***


『春の訪れ』を身に纏ったアナベルが審査員たちにふんわり笑いかけて、また堂々とランウェイを歩く姿を、あたし――ロハリー・メドレーは舞台袖で目に焼き付けていた。


 アナベルには伝えなかったけれど、くじで決まった彼女の順番は四十七番で、それは些か不利だった。

 後半になるほど審査員たちは目が肥えて、自然と見る目が厳しくなっていく。


 でもアナベルは絶対に受かったと確信できた。


 初めてあの子を見つけたときのことを思い出す。


 貴族学校に入った初日、体育館で行われた入学式で、彼女は何もしていないのに誰よりも目立っていた。

 180cmの長身、一分の隙も無く美しい顔立ち、繊細に輝く銀髪のストレートヘア、海みたいに神秘的な青色の瞳……。


 美しいものに慣れている貴族令嬢でもおいそれと近づけなかった。

 美の上限を上書きされたみたいな感覚だ。綺麗すぎるものに人は恐れを抱くのだと初めて知った。

 その姿を見ているだけで新しいデザインのアイデアが次々と浮かび、入学式の最中にも拘わらず、ポケットに入れていたメモにデザイン案を描き連ねた。


 翌日も彼女は一人で過ごしていて、かくいうあたしも話しかける気にはならない。

 みんな彼女のことを常に気にしているが、見ているというより鑑賞している令嬢が何人かいた。芸術品と友人になる人があまりいないのと同じことかもしれなかった。


 だから彼女の方から話しかけられたときはひどく驚いたし――初めて気が付いた。

 そうだ、彼女は生徒なのだ。じゃあ部活に入れる。服飾研究部でモデルになることだってできるじゃないか、と。


 しかしもっと驚いたのは、彼女が廊下で小さい二年生にぶつかりかけたときのことだ。


「ランデール先輩」と、その声は驚きながらもどこか艶めいていた。

 神秘的で作り物めいて見える瞳に熱が宿った。頬が紅潮しているのを見た通りすがりの男子生徒が、「ちゃんと血が通ってるんだ」と呟いたのを聞いた。


 とにかくアナベルは『ランデール先輩』とやらに恋をしていて、彼と一緒にいるときの彼女は輪をかけて魅力的で――しかもこの男、アナベルに対して全く普通の態度をとっているのだ。


 彼女に悪口を言って気を惹こうとする馬鹿はつい先日見かけたが、「逆に平常心で接することで気を惹こうとしている新手の馬鹿」でもなさそうだ。


 アナベルがこの小さい二年生の所属する委員会を気にしていたので、わざわざ騎士科の校舎まで聞きに行った。

 彼はあたしの姿を見とめて、「この間からやけに質問攻めにしてくるな」と眉間に皺をよせていたが、律儀に「飼育委員会だ」と答えてくれた。


「どうも。……あの、もう一ついいですか」

「もう何でも聞けよ」

「アナベルのことをどう思ってますか」


 あたしがそう尋ねた途端、二つある騎士科二年の教室中から「わー!」だの「君、いいぞ!」だの「どうなんだよヴァーン!」だの、野次が溢れ返ってひどく騒がしくなった。

 教室がやけに静かだとは思っていたけど、盗み聞きされていたらしい。騎士志望のくせに。


 小さい二年生は「うるせぇぞ、お前ら!」と周りを一喝すると、特に表情を変えることもなく、


「可愛い後輩だ」


 と答えた。腕を組み、堂々としたその様子には少しの動揺も感じられない。


 あたしは「そうですか」と答え、「アナベルより15cmも背が低いくせに」、と心の中で罵っておいた。


 彼女の想いが成就する日は来るだろうか。この小さい二年生は相当強敵だ。自分が女子を好きになっても気づかなさそうだ。


 もし恋が実ったら、アナベルはどんな表情をするのだろう。



 そんなことを考えていたら、ランウェイの先端で、彼女はまさに『春が来た』ような――恋が成就したような顔で微笑んで見せた。



 審査員たちが、部員たちが、他の候補者たちまでも、彼女に心を奪われる。

 ウォーキングは発展途上だし、ランウェイを美しく歩くための筋肉もこれからつく。でも彼女はモデルの切符を掴むだろう。


 震える手を抑えながら待っていたら、ウォーキングを終えたアナベルが舞台裏に戻ってきた。


「緊張した……でも頑張ったよ。ロハリー、さっき直前に声をかけてくれて、本当にありが――」

「あなべる」

「ロハリー!?」


 アナベルの声がひっくり返ったから何かと思ったら、あたしが泣いているようだ。頬を滑り落ちる水滴を、屈んだアナベルが手でふいている。


「ちょ、どうしたの」

「今日この日にアナベルが着ている衣装が、どうしてあたしが作った服じゃないの」


 巨大な気持ちが胸を圧迫している。これは悔しさだ。


 今日のランウェイテストは新作の試作品の出来を確かめる意味もあって、五十着もランウェイを飾ったのに、あたしの作った服はそこに一着もなかった。

 確かめるまでもない出来だからだ。


「クソ……次こそ、絶対……クソ……」

「おおロハリー、子爵令嬢なのに『クソ』とか言っちゃうんだね」


 アナベルはどこからかティッシュを見つけてきて、止まらないあたしの涙を優しい手つきでふき取り始めた。


「一緒に頑張ろう、ロハリー」

「うん……」


 あたしは鼻を啜って、アナベルと舞台裏から降りる階段を探した。確かめるまでもないけど、この後発表されるランウェイテストの結果を確認しなければいけない。


 そしたらちゃんとこの悔しさをバネにして、世界一美しい女の子に似合う世界一美しい服を作るため、前に進むのだ。


 アナベルと一緒に。


 ***

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ