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 会場全体がどよめいて、そこかしこから「レイトン様、嫌!」だの「アナベルちゃんがお前と婚約するわけねぇだろ!」だの「あの子は確か例の平民入学者では?」だの声が聞こえてきた。


 私はといえば、ぱちりと瞬いて目の前に差し出されているフォーサイスの右手を見つめていた。


 これは公開告白の飛び入り参加なんだろうか。みんながこんなに動揺している理由もよくわからない。

 加えてなぜ「好き」ではなく「婚約」なのか不思議に思いつつ、普通に断ることを決める。


「ごめんなさ――」


 しかし言い終わる前に、フォーサイスが自分の唇に指を当てて私を制した。

 会場の喧騒に隠すようにして囁く。マイクはスイッチを切ったようだ。


「これは『公開告白』とは全くの別物だよ。貴族の公開求婚は社交界で特別な意味を持つんだ。行った方も非難されるけれど、それを断ることも非難の対象だ」


 理解が及ばないまま、「非難の対象」とオウム返しに呟く。フォーサイスはそれを感じ取ったのか、


「君が思っているより平民と貴族の力の差は大きい。僕がその気になれば、トゥロック商会を潰し、君の家族の人生をメチャクチャにすることもできる」


 噛んで含めるようにそう言って、唇の端を上げた。


 息を呑む。やっとわかった。

 これは脅しだ。


「それに、国中の有力貴族が集まるこの公衆の面前で、君はまさか大貴族の跡取りである僕に恥をかかせたりしないだろう? トゥロック家にそんな借りは負わせられない」


 フォーサイスは私の目を覗き込んで、逃げ道をじっくり潰していくようだった。蛇に睨まれた蛙はこんな気分なんだろうか。


 そうしてさらに私にずいと手を差し出す。「この手を取れ」と急かしているのだ。


 私は焦った。商会を潰せると言うのは本当なんだろうか。それともハッタリなんだろうか。私にはそんなことわからなくて、つい会場の方を向いて誰かに助けを求めようとする。


 するとフォーサイスが、私の思考などお見通しだと言わんばかりに口を挟む。


「ランデールならここにはいないよ。今、侯爵家の使いが彼に手切金の交渉をしている」

「手切金……?」


 またオウム返しにしてしまう。それはつまり、私と縁を切ることを条件に渡されるものなのだろう。


「話に乗らなくても、無理やり振り切ろうとすれば我が家の騎士が実力行使に出る。彼はまだ校舎で足止めを食らっているはずだ」


 フォーサイスは随分用意周到にこの求婚を計画したらしい。


 すっかり困ってしまって、差し出されているフォーサイスの手を見つめた。


 困ったとき、怖いとき、わからないとき、頭に浮かぶのはいつも先輩の姿だ。


 今回脳裏に甦った先輩は、テストの勉強を教えてくれたときの、ペンを手に私のノートを覗き込む先輩だった。


『お前はわからないことをちゃんとわからないと言って、人に聞けて偉いな。長所の一つだ』


 そう言って私の頭を撫で、笑顔を向けてくれた。

 その姿を思い出した瞬間。


「許してくれ。僕は君を本気で想って――」


 私は再びくるっと会場の方を向いた。めいいっぱい息を吸い込む。


「お父さーん! アンドリューお兄ちゃーん!」


 フォーサイスが何か言いかけてた気がするけれど、突如私が腹から声を出したのを見て、鳩が豆鉄砲を受けたみたいな顔になってしまった。


 誰かに聞こうと決めたとき、ファッションショーを見にきた家族が会場のどこかにいることに思い至ったのだ。


 多分貴族令嬢なら体裁とかを気にして、こんな物凄い数の人間に見られてるときに渾身の大声なんて上げないんだろう。

 でも私平民だし。ショーを無事終わらせて度胸もついた。


 再び息を吸い込む。


「この人が、やろうと思えばうちの商会を潰すこともできるって言ってるんだけどー! 本当ー?」

「ちょ、アナ、アナベル嬢」


 フォーサイスが泡を食ったような顔で立ち上がった。どうしたんだろう。

 会場がさらにどよめいていて、会場の右奥から「はあ!?」という声が上がった。弾かれるように目をやる。


「やってみろやクソガキが!」

「アランお兄ちゃん!」


 怒鳴り返してきたのは次兄だった。周囲の目を気にしない次兄のお陰で家族を発見できた。

 中指を立てる次兄の隣で、お父さんは冷静に首を振り、お兄ちゃんは腕で大きくバツマークを作っているのが見える。


 けれど同時に、二人の難しい顔も目に入った。


「ちょ、こういうときは一人で静かに葛藤するものじゃないか?」

「なんでですか? 私じゃ一人で考えたってわからないし」


 狼狽えているフォーサイスは放って、今度は母に視線を送った。母が思いきり息を吸い込む。


「アナベル、うちの商会はそんな簡単に潰させやしないわーっ! 気にしなくて大丈夫よー!」


 その直後、私は両手をぎゅっと握り込んだ。いつも陽気な母が覚悟を決めたような表情をしていたからだ。


 家族に尋ねた結果、私の胸中に広がったのはむしろ不安だった。


 我が家で誰よりも賢い次兄はいの一番に「やってみろ」と叫んだ。「そんなわけない」という否定の言葉ではなく。


 母の様子や父や長兄の表情を見ていても、みんな私が商会のため犠牲にならないように気遣ってくれている気がする。


 トゥロック商会は王都きっての巨大商会。数多の従業員を抱えている。

 一気に潰すことはできなくても、打撃を与えることができるなら、従業員やその家族、我が家の使用人たちに迷惑がかかる可能性は十分にある。


 フォーサイスはさっき『君の家族の人生をメチャクチャにすることもできる』と言ったけれど、商会の行く末は私たち家族五人だけでなく、もっと多くの人の未来に関わることなのだ。


 血の気を失って白くなるほど手を握り締める私にフォーサイスは気がついたようだ。

 マイクのスイッチを入れ、再び私に手を差し出した。


「自分の置かれた状況がわかったかな。僕の手を取ってくれるね? アナベル」


 何も言えずにその手の平を見つめる。剣だこも擦り傷も何もない、とても綺麗な手を。


「平民であっても、かのトゥロック大商会の一人娘であれば侯爵夫人になるのも不可能な話じゃない。あの男と結婚するより、よっぽど裕福な毎日がおくれるよ」


 そんなことはどうでもいい。裕福だろうが貧乏だろうが、隣にいるのが先輩じゃないなら全部何の意味もない。


 この手を取れば先輩との未来が絶たれる。

 この手を拒めば商会のみんなに迷惑がかかる。


 迫られた二択のどちらも選ぶことができず立ち竦んだ。


 チェスでもプレイするみたいに私を追い詰めるフォーサイスに、思ったことをついそのまま呟く。


「あなたと結婚しようと、侯爵夫人になろうと、私の心は一生あなたのものにはならないのに」


 私の心は一生先輩だけに向けられる。抜け殻みたいな私と結婚することに何の意味があるんだろう。


 その言葉を聞いた瞬間、フォーサイスの顔から笑みが抜け落ちて――彼はもう一度、今度は自嘲と悲痛を乗せて微笑んだ。


 思わぬ反応に私が目を見開いた、そのときだった。

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