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二日目、服飾研究部は朝から全員がショーの準備に入る。
場所は『大体育館』。文化祭の時以外使われない巨大建物で、昨日から演劇部や合唱部による発表はここで行われている。
照明や音響などの機材、ランウェイの建設など、業者さんにもお願いして準備するのだから規模の大きさがわかるというものだ。
ステージとランウェイ、それに大量の観客席の準備がすっかり整った午後三時、部員全員で円陣を組んだ後、観客の入場が始まった。
演出組が考え抜いたBGMが大体育館を包み、薄暗くなった照明が観客の気分を盛り上げる。
私たち三十人のモデルも衣装やヘアメイク、ウォーキングのチェックに余念がない。
一つ目の衣装に身を包み、本番を意識して舞台裏を歩いていると、通りがかったデザイナーさんやお針子さんによく衣装を直される。皺を伸ばしたり、ほんの少しのズレを直したり。
ヘアメイクさんには髪の僅かな向きを調整される。みんなすごいプロ意識だ。
あっという間に舞台袖に待機する時間になり、モデルたちがリハーサル通りに集まった。
それぞれ真っ直ぐに背筋を伸ばして、深呼吸をしたり、目を閉じて集中したり。
やがてマイクのアナウンスが入って演出長である副部長の声が聞こえた。
「皆さま大変お待たせいたしました。服飾研究部によるファッションショー、これより開始いたします!」
爆発的な歓声と拍手、口笛が聞こえ、私はショーがスタートしたことを知った。
モデルの列が少しずつ進み始める。私の前に二十五人いるけれど、順番はすぐに来るだろう。
自分の足元に目をやった。
着ている衣装は、裾が足の甲まであってかなり長い。靴はもちろんピンヒールだ。
気をつけなければ――転倒してしまうだろう。
身震いが来るような恐ろしい想像はリアルにしてはならない。
代わりにごく小さな声で呟いた。
「ランウェイの上でなら、『高い』は『強い』」
集中のスイッチが入ったのが自分でもわかる。
選考会のときも、リハーサルの時も、ランウェイを歩く直前はこの言葉を口に出すのがお決まりになってしまった。
最初に使ってた7.5cmヒールは10cmヒールに変わって、私はランウェイテストのときよりさらに高く――強くなっている。
細く長く息を吐き出し、すっと短く吸って顔を上げた。カーテンはもう目の前まで迫っている。
「アナベル、ゴー」
背後で合図が出た瞬間、舞台袖からステージに歩み出す。
ステージライトの強い光に包まれた。視界が数瞬白く塗りつぶされる。
足を上手に捌いて、さあみんなに一着目のお披露目だ。
私が最初に任されたのは、黒のような青のような不思議なドレス。
影が落ちたところは新月の夜みたいに真っ黒に、光が当たったところ深海みたいな深い青に見える。見れば見るほど釘付けになってしまう不思議な色合い。
たくさんのライトを浴びて、光沢がしっかり伝わるように歩けば、自然と私に観客の視線が集中していくのがわかった。
とろとろと重力に従って揺れる長い裾を捌きながら、上品かつ優雅に歩く。美しさに全振りしたこのドレスに合った歩き方だ。
ランウェイの先端に着くと、正面に背中を向けて振り返り気味にポーズを決めた。
なぜって、このドレスは背中がざっくり開いているからだ。
袖もノースリーブでデコルテもちらりと見える。
デザインしたのは二年生の男性だった。
『このドレスを着るのは抜けるように肌が白いモデルにしてくれ』と語っていたのを知っている。
白い肌と黒っぽいドレスとのコントラストをより魅力的に見せるためだ。だから声がかかったときは光栄だった。
選考には私の銀髪も一役買ったらしい。私はモデル組で一番髪の色素が薄いから。
その銀髪は、テイラーが片側に寄せて前に持ってくるようにセットしてくれた。
メイクは深い青が基調。
ルックのテーマは『深海魚』。
ランウェイを折り返して歩いていく。次の子とすれ違い、私はさっきとは反対側の舞台袖から舞台裏に戻った。
「アナベル、お帰り! 次行くよ!」
「はい!」
控え室は人でいっぱいだ。誰が誰だかわからないけれど背中を叩かれ、着替えるためのスペースに移動する。
慎重に、でも素早くドレスを脱いで次を着る。ヘアメイクも変えるから、どんなに急いでも急ぎすぎにはならない。
ヘアメイクを終わらせたら、また入りの方の舞台袖に戻る。
ここは時間との勝負だ。早く舞台袖に戻って、次のウォーキングに向けて集中する時間をとりたい。
しかし控え室を出ようとした私の手首を、誰かが掴んだ。
「待ってアナベル、靴間違えてる」
「え? あっ!」
膝を曲げて確認すれば、私が履いているのは一着目と同じヒールだった。三つのルックにそれぞれ別の靴が用意されているのに。
焦って着替えたせいで替えるのを忘れていたのだ。
「ごめんなさい! ありがとうございます!」
走って衣装置き場に戻りながら振り向き様に叫んだ。
ヒールを替え、また控室の出口に向かった。ドクンドクンと心臓が騒がしい。早く舞台袖に向かわなきゃと心が急く。
「アナベル!」
また止められて、でも今度は知っている声だった。振り返ればロハリーが私の元へ走ってくる。
「ロハリー」
「アナベル、あんた」
ロハリーの両手が、体温をなくしてわずかに震える私の両手をぎゅっと握った。
「最高にキマッてる。会場中全員ガツンと殴ってきて」
いつも通りどころか、にやりと笑う余裕を見せた親友。
瞬間、ふっと息をつく。今まで息が浅く早くなっていたことにやっと気がついた。
ロハリーの手を強く握り返し、歯を見せて笑う。
「了解!」
別れ際背中を叩かれ、今度は落ち着いて舞台袖にスタンバイした。
先程までの嫌な焦りはもうない。ロハリーが消し去ってくれた。
合図が聴こえ、あの眩しい世界にまた一歩踏み出した。