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翌日から服飾研究部だけでなくクラスの出し物の準備も始まった。文化祭まで一ヶ月を切っているとはいえ、既に文化祭モード一色だ。
私たちのクラスは『女幽霊しかいないお化け屋敷』をやることになっていて、私は高身長口裂け女を担当する。
ロハリーはリーダーの子に頼まれて、お化けたちの衣装のデザイン案を出していた。
朝の授業前も昼休みも放課後も準備、準備、準備。
他のものが挟まる隙は一切ないように見えた私の学校生活だったけれど、そこに無理やり首を突っ込んできた人がいた。
「久しぶり。寂しい思いをさせてしまったかな」
「あれ? あなた、えっと、フ、フォ……フォワ」
「レイトン・フォーサイスだ、アナベル嬢」
そう、フォーサイスが部活終わりの私のところに毎日顔を出すようになったのだ。名前を思い出せなかったのは素直を申し訳なかったと思う。
三者面談の翌日、部活が終わって馬車乗り場まで行こうとしたら、彼が本校舎の外壁にもたれかかって私を待っていたのである。
「文化祭準備期間になって、生徒会の活動も一段落したからね。約束通り会いに来たんだ」
「そうですか、何か用ですか?」
歩きながら尋ねると、彼は私ににこっと微笑みかけた。
私はどうでもいいけれど、藍色の髪を後ろで一つに結んだ彼はどうも美男子に分類されるらしく、近くを通りがかった知らない女子生徒たちが「ほう」と吐息を漏らしていた。
「もちろん、ぜひ君を自宅まで送らせてもらいたいと思ってね」
「え? 私も家の馬車があるので、大丈夫です」
彼に家まで送ってもらう理由もない。きっぱり断ったつもりだったけれど彼は食い下がってきた。
「我が侯爵家の馬車は特別製だ。見た目が美しいだけでなく、中でドリンクも楽しめる。一度試してみたくないか?」
「ファッションショーに向けて一日に摂取するカロリーを決めてるので、ごめんなさい」
やっぱり首を振る。フォーサイスは悲し気な顔をして、一応は納得したようだ。
「そうか。では代わりに、君を馬車乗り場までエスコートさせてくれ」
そんな必要も全くないけれど、ただでは引き下がってもらえないような気がした。このまま馬車の中までついて来られても困る。
「それくらいなら」
「そうか! 良かった、嬉しいよ」
フォーサイスはそう言って、本当に馬車までついてきた。
私が馬車乗り込むとき手を貸してきたので、無視するのはさすがに失礼だと思って手を借りた。
翌日ロハリーにそのことを話すと、彼女はしみじみと「強敵だね」と呟いて分析を始めた。
「最初に無理なお願いをして断らせて、次の本命のお願いを通りやすくしたんだ。策士だね」
「な、なるほど! ロハリー、すごい!」
全く気付かずに踊らされた私は、もう少し気を引き締めて彼に対応しないといけないようだ。
すぐに飽きるかと思ったけれど、フォーサイスの襲来は次の日からも続いた。
私たちモデル組は文化祭に向けて休息を取るのも仕事のうちだけれど、ロハリーやテイラーのようはお針子組やヘアメイク組はそうはいかない。
ファッションショーを少しでもいいものにしようと無理をしがちで、部活終了後に居残りをすることも多い。
そうすると私は一人になることが多くなって、フォーサイスと二人きりになってしまうのだ。
リハーサルを三日後に控えたある日、帰ろうとした私はまた本校舎の出入り口にフォーサイスの姿を見つけた。ため息が出る。
「あなた、また来たんですか?」
フォーサイスは肩を竦めて見せた。芝居がかった仕草も、毎日見ていると鼻につかなくなってくる。慣れたのだ。
「君を射止めるまで毎日だって来るさ。それに、女性の一人歩きは危ないよ」
「校舎の出入り口から馬車まで三分も歩かないですけど……」
呆れて呟きながら、私は先輩になら今のセリフを言われたいなと考えていた。
「女の独り歩きは危ねぇぞ。……一緒に帰るか? 同じ家に」みたいな。うん、最高だ。
脳内の先輩に花を背負わせて、妄想に文字通り花を咲かせていた私だったけれど、突然フォーサイスが手を伸ばしてきたので後ずさった。
「君は意外とガードが固いよな」
「人の体に触るときは許可を取ってください」
先輩直伝の拒否を発動する。先輩相手には全く発動されない代物である。
「触っても?」
「ダメです」
「どうしろって言うんだ」
フォーサイスは少し笑った後、また私の馬車の前まで着いてくるかと思ったけれど、急に振り返ってどこかを見上げた。
「……アナベル嬢。すまないが、今日はここでお別れしても? 鼻を明かしたい相手を見かけたんだ」
「はあ、どうぞ」
私は頷いた。フォーサイスの交友関係に興味はないので振り返りもせず馬車乗り場へ歩き出す。フォーサイスは反対方向に歩いて行った。
彼には毎日会うのに先輩には会えない。
部活は週五日だし、朝と昼休みはクラスの出し物の準備で拘束されるので、物理的に会う時間がないのだ。忙しすぎる。
寂しいけれど、最後に会ったときの先輩の言葉を宝物のように何度も思い出しては元気をもらう。
「先輩に会いたいな」
独り言を呟いた後、ふと後ろを振り返った。
フォーサイスの後ろ姿が小さく見えて、彼がさっき振り返って見上げたのは誰だったんだろうと、今更少しだけ気になった。
***
アナベル嬢といつもより早く別れるのは苦痛だったが、それよりも優先すべき急用ができたのだから仕方がない。
僕――レイトン・フォーサイスは、先程一瞬目にした男の姿を追いかけて、一度も入ったことのない騎士科校舎に足を踏み入れた。
目的の男は、入ってすぐ見える階段を降りてきた。
「やあ、ランデール。息災か?」
「よお、フォーサイス。久しぶりだな」
ランデールはゆっくり階段から降りてきて、僕の前で足を止めた。
落ち着いているように見えるがとんでもない。額に浮かんでいる青筋が何よりの証拠だ。舐めてかかってはダメだと思わせる迫力がある。
「ああそういえば、僕は最近毎日アナベルと馬車乗り場まで一緒に帰っているんだ。知っていたかい?」
「ついて行ってるの間違いだろ。あと名前を呼び捨てにするのをやめろ。許されてないだろ」
「いや? 許可を得たよ」
堂々と嘘をついた。普段から芝居がかった口調と仕草の僕は、嘘を嘘と見抜かれることがほとんどない。
この口調は嘘をつきやすくするための癖みたいなものだ。
にもかかわらず、ランデールは顎を上げてぴしゃりと言い放った。
「嘘つけよ」
ピクリと、僕の顔の筋肉が一部硬直したかもしれない。
「……困ったな、どうしてわかるんだい?」
眉を落として弱った風を演出しながら、その実別に少しも困ってはない。ただ、看破されたことが不思議ではある。
――それに腹立たしい。
「アナベルがそんなこと言うわけねぇんだよ」
たとえば、自分が誰よりもアナベル嬢に愛されていると自信を持っているところ。
たとえば、僕より20cmも小さいくせに、殴りかかっても勝てないとわかるところ。
たとえば、僕には一度だって向けられることがないアナベル嬢の笑顔を、当たり前のように享受しているところ。
「やっとうすら笑いが剥がれたな、フォーサイス」
ランデールに指摘され、僕は自分の顔を手で触って確かめた。他人の前で笑顔の仮面が取れるなんて、何年ぶりだろうか。
ランデールが歩みを進めて、僕の横を通り過ぎる間、初めてアナベル嬢を見つけたときのことを思い出していた。
誰かと話しながら、楽しそうにころころ表情を変えて、そうかと思えばぱっと花が開くみたいに笑顔を浮かべて。
訳もわからず惹かれたから、彼女特有の見た目の特徴を考えて、きっと身長で好きになったんだと思ったのだ。
今になっても思い出すのは、あの春の花みたいな笑顔なのに――それも、この男に向けた笑顔だ。
わかっている。この戦いはハナから負け戦だ。
だからこそ。
「ランデールよ……僕の長所は、目的のためなら手段を択ばないところだ」
「短所の間違いだな」
ランデールは足を止めず、僕は声を張り上げた。
「将来設計のためじゃない。ただのレイトンとして、心から欲しいのが彼女なんだ」
「本人に言えよ」
あくまで少しの焦りも見せないまま、ランデールは騎士科校舎から出て行った。
思わず吐き捨てるように呟く。
「口出しできるような関係でもないくせに」
そう、ランデールはアナベル嬢の婚約者ではない。
付け入る隙があるとすればそこだけか――。
***