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委員長は既に決まっているようで、知らない男の人が前に出て話を始める。
その傍らにはホワイトボードが置いてあり、近くで鳥がチュンチュン鳴くのを聞きながら話に耳を傾けた。青空教室さながらだ。
「あいつは三年で委員長のジョーダン。この前婚約者に婚約解消を切り出されて廊下で土下座して話題になった」
「ふふふ」
「あっちは副委員長で二年のカイリーだ。普段は温厚だが、担当の動物の餌やりを忘れるとキレるから気を付けろ」
「気を付けます」
先輩が小さな声で耳寄り情報を教えてくれるのが楽しくて、私は体を傾けて聞き入り、度々くすくす笑った。
担当する動物決めになったとき、私は誰にも立候補されなかった子豚を担当することにした。
不人気の理由は小屋の遠さみたいだ。けれど初心者にも世話しやすいみたいだし、私にはぴったりだと思う。
委員会はスムーズに進んで、先輩の言った通りすぐ解散になった。二十分くらいしかなかったからまだ十六時半だ。
先輩と一緒に帰れたりするだろうか。まあみんな馬車通学だから馬車乗り場までだけど――などと考えていたとき。
「アナベル、今から時間あるか?」
先輩と目が合った。心臓が飛び跳ね、私は一瞬固まった後、全力で首を縦に振った。
「あります! すごくあります! 明日の授業まで暇です!」
先輩は「いやそんなにかかんねぇけど」と言ってから校舎と反対方向を指さした。
「子豚小屋は奥まったところにあるから、初めて行くと結構迷うんだ。行くか?」
私はハッと息を呑んだ。
放課後デートの提案でも、一緒に帰ろうというお誘いでもなく、子豚小屋の案内……。
「行きます!!」
最高だ。先輩ともっと一緒にいられる。
初めて子豚小屋に行くとき私が迷わないようにと気にかけてくれたのも最高に嬉しい。
私は弾む心のまま先輩の後を追い、石畳の小道を進んで子豚と対面した。こぢんまりしたスペースに柵で囲いがしてあって、中にこれまたこぢんまりした子豚ハウスが建っている。
薄ピンクの体でころんと寝ていたその動物は、私が柵の中に入ると起き上がって近づいてきた。
「初めまして子豚さん。あなたの世話係のアナベルです」
しゃがんで手を出すとすんすん嗅いでいる。その隙にすべすべの体を撫でた。
子豚はまたころんと寝ころび、私の好きにさせている。野性味がまるでなくてかわいい。
「名前つけなきゃ。子豚……ブタ……ブタ夫さん? ブタ夫さん!」
「ブヒ!」
「アナベル、ブタ夫さんはメスだが大丈夫か」
柵の外で待っている先輩が思わぬ事実を教えてくれた。私は「おっと」と子豚に向き直る。
「ごめん、レディだったんだね。ブタ美さんの方がいい?」
「ブヒ!」
「先輩、ブタ美さんにします!」
「そうか。良い名前だと思うぞ」
先輩にネーミングセンスを誉められたことで私はまた機嫌を良くし、笑顔でブタ美さんと別れた。
段々オレンジ色に染まりだす校舎までの道を、二人で戻る。
「先輩、部活はどこなんですか?」
「剣術部。全員男で六十人の大所帯だ」
「すごいですねぇ」
六十人の男の人なんて教室に収まるんだろうか。
「レモンのはちみつ漬けを差し入れに応援に来るような女子はいますか?」
「……誰にやるつもりなんだ?」
「先輩です」
「俺か……多分いないと思うぞ。見たことねぇ」
「じゃあやめておきますね」
先輩はかっこいいから、もし既にファンがいて、レモンのはちみつ漬けや凍らせたスポーツドリンクを振舞われてるなら対抗しなければと思ったのだ。
集団でランニングをする運動部の学生たちとすれ違ったとき、ふと、真っ先に確認しなければいけなかった事項に思い当たった。
「先輩って……」
「ん?」
婚約されてますか?
そう聞いたら、私が先輩のことが好きだとバレバレなんだろうか。もしいるなら私はどうしたらいいんだろうか。
社交界に出入りする貴族なら普通に知っていることなんだろうか。
そもそも私は先輩と付き合って、結婚することができるんだろうか。
「どうした?」
「先輩、実は私……平民なんですけど」
「いや知ってるぞ」
先輩は怪訝な顔をして立ち止まった。私も足を止める。
「平民って、貴族の方と結婚できるんですかね……?」
遠回しに聞こうとして、結局馬鹿丸出しの質問になった。
先輩は「貴族にも爵位っていうランクがあって」と、私でもさすがに知っていることから教えてくれ始めた。
「男爵から公爵、さらにその上には王族がいて」
「はい……」
「たとえば俺は男爵家の次男だから、爵位は継がねぇ。婿入りの当てもねぇし、卒業後は平民として騎士団に入るつもりだ。そういう風に――」
「そうなんですか! なら、それなら!」
意外にも知りたかったことがすべてわかり、私は妙に弾んだ声を出してしまった。先輩が説明上手で助かった。
「未来は薔薇色ってことですねっ!」
喜色満面で言い切る。だって、先輩と私は結婚できるのだ!
脳内では既に、エプロンを付けて夕飯を作り、大変なお仕事から帰ってくる先輩に「おかえりなさい」を言うイメージトレーニングも済んだ。料理できないけど。
浮かれる私を、先輩は数秒の間ぽかんとして見た。
「平民になるって言うと、途端に見下してくるやつもいるんだけどな」
私が締まりのない顔で笑っているからか、先輩も口角を上げる。
「そうだよな、薔薇色だよな」
「はい!」
大きく頷く。先輩はひとしきり笑うと、「そういや」と口にした。
「服飾研究部はどうだ? 何かのテストがもうすぐなんだろ?」
「ランウェイテストです……頑張っては、います」
「そうか。偉いな」
「はい!」
「犬っぽいな、お前」
私は「先輩は犬お好きですか」と聞こうとしたけれど、
「歩くのってどうやるんだ?」
それより先に先輩がそう言って私の横に並んだ。私を真似るつもりらしい。
「えっと……まず姿勢を良くして、自分の芯をぶらさないようにします。歩いてる時もずっと」
「体幹が必要なんだな」
「そうです。腕は力を抜いて自然にして……」
「ああ」
「足をあまり浮かせないようにしながら踏み出して……次の足も。これをテンポよく――」
「お前」
自分の足元を見て説明していた私は、その声で顔を上げた。先輩が一歩も動かないまま私の顔を見つめていたことにやっと気付いた。
「お前、本当美人だな。近づいたらびっくりしたわ」
「えっ!?」
そして人生一の『素っ頓狂な声』が出た。一瞬で顔をりんごのように赤くする私を先輩がしげしげと眺めている。
「その青っぽい目も綺麗だ」
顔どころか首や肩まで赤くなっている気がする。居たたまれなくなって、目を逸らさずにはいられない。
「び、美人なんて初めて言われました」
「いやみんな思ってると思うぞ」
先輩は苦笑すると、いまだに衝撃から立ち直れない私をそのままに、ゆっくり歩き出した。
「文化祭のファッションショー、楽しみだな。全校生徒を見惚れさせてやれ」
そう言って夕焼けを背景に楽しそうに笑う彼もまた、私がランウェイテストに落ちるとは夢にも思っていないらしい。
この人とロハリーの期待に応えたい。心からそう思った。
私は決意を新たに、先輩と二人で校舎までの道をゆっくりと歩いていった。