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翌日からも、文化祭の準備は概ね順調に進んでいった。
私が着る三着も着実に完成に向かっているし、十月の中旬にはファッションショーのリハーサルを控えていて、モデル組はコンディションを調整している。
ただ一つ、そろそろ留学から帰ってくるはずだったメリッサ部長の帰国が延期されていた。帰ってくるのは十月になるらしく、部内でも一部は不安に思っているのが現状だ。
「お針子チームは、いい加減試着してもらわないといけないから若干ぴりぴりしてる。留学前に測ったサイズから変わってたらいよいよヤバい」
とはロハリーの言だ。
昼休みに教室でお昼ご飯を食べた後、私は明日の宿題に取り組んでいた。放課後は忙しいので、今のうちに取り組むとちょうどいいのだ。
「そっかぁ」
手に持ったペンの頭で自分の顎を押す。
私は体育祭でメリッサ部長に会っているせいか、彼女ならファッションショー当日に帰国しても上手く歩いて見せるだろうと楽観視している。
部内でも二、三年は楽観的で、一年生は不安がっている傾向にあった。会ったことのない人を信じられないのは当たり前だ。
「アナベル、それより」
ロハリーが私にスケッチブックを差し出した。
そこには私がファッションショーで私が着る予定の衣装が二パターン描かれていて、装飾が一部微妙に違うようだ。
「こっちの素材とこっちの素材だったら、どっちが綺麗だと思う?」
「えー、ロハリーに任せるよ」
一応手を止めて見てみたけれど、結局ロハリーに丸投げした。ロハリーが頬を膨らませる。それを指で押しながら付け加えた。
「私が着る服は私が選ぶより、ロハリーが選んだ方がいいんだから」
つまりは自分よりロハリーのセンスを全面的に信用しているのだ。夏休みの先輩との初デートの時、先輩からの「可愛い」を引き出してくれたのはロハリーである。
ロハリーは耳を赤く染め、「そ、そう?」と口にすると、またスケッチブックを睨み始めた、
部長はきっと大丈夫だし、文化祭の準備は順調だ。
先輩とは週一回は確実に委員会で会えているし、ブタ美さんはすくすく成長していて、最近『子豚』というより『中豚』になってきた。
――ただ一つの問題は。
「半月後の中間テスト、どうしよう……」
ペンを置いて項垂れる。
十月中旬の中間テストについて、さっき担任のブラウン先生から「今回はマジで頑張りなさい」と言われてしまったのだ。
ブラウン先生は伯爵夫人なのに『マジ』とか使った辺り、緊迫した私の成績状況が伝わってくる。
「もう勉強始めてんの?」
「一応……夏休みの課題のとき色んな人に迷惑かけちゃったし」
夏季休暇最後の二日のてんやわんやが思い出される。
「でも全然わかんなくて、これっぽっちも進まない……」
いくら机に向かっていても全然進まないのだ。部活で疲れていて、教科書を開くと寝てしまいがちなのもある。
今までこういうときの頼みの綱だった次兄は研究で忙しいようで、「お前の面倒を見る余裕はない」と言われてしまった。
「あたしも別に教えられるほど勉強得意じゃないしね」
ロハリーは腕組みして、少し考えてから「あ」と呟く。
「ぴったりな人がいるじゃん」
「誰?」
「あんたに唯一夏季休暇の宿題をさせられた人物」
顔を上げて頬杖をつく。その選択肢は一応頭にあったけれど。
「先輩かぁ」
「ダメなの?」
「バカすぎて嫌われたらどうしようかなって……」
「今更でしょ」
「それもそうかも」
頷きかけたけれど、でも先輩だって文化祭の準備とテスト勉強で忙しくなるかもしれない。その上私のテストの面倒まで見させるのってどうなんだろう。
「絶対大丈夫だから、一回聞いてみな」
ロハリーが自信満々に言うので、私はアドバイスに従ってみることにした。先輩が少しでも難しそうな素振りを見せたらすぐ引こうと決めて。
ちょうど今日の放課後が飼育委員会で、先輩に会うことができる。雨だったので集合場所はいつもの中庭ではなく、本校舎の一教室だった。
授業が終わった後いつも通り身なりを整えてから向かうと、何人かはもう集まって着席していて、先輩の姿もあった。
「先輩!」
「アナベル」
令嬢科の同級生の中にはもうブレザーを着始めた子たちもいるけれど、先輩はワイシャツ一枚で、でも袖捲りをしていない貴重な時期だった。
「飼育委員会にしてよかったロハリーありがとう」と、何回目かわからない感謝を捧げる。
ちゃっかり隣の席に座って話を切り出した。同級生みたいで嬉しい。
「先輩、半月後のテストのことなんですけど、勉強しててもわからないことが多くて進まなくて」
「もう勉強始めてるのか。偉いな」
夏季休暇の課題の件を反省して早く勉強を始めたことに気がついてくれたのか、褒められたので嬉しかった。
「もし忙しくなかったら、ちょっとだけでも大丈夫なので、勉強教えてもらえないかなって」
「いいぞ」
言い出す時やっぱり図々しいかなと思ったけれど、先輩は予想に反してあっさり頷いた。あっさり過ぎてこちらが心配になってしまうほどだ。
「で、でも、先輩忙しくないですか? 自分のテストの準備もあるのに」
「お前に勉強教える余裕くらいはあるから心配すんな。剣術部は文化祭の発表も適当だしな」
私は顔を輝かせた。先輩と勉強できるなんて夢みたいだ。これはもはやデートと言っても過言ではない。
「お前放課後は忙しいよな。朝少し早く来られるか?」
「はい!」
「場所は、そうだな。本校舎の二階の図書室でいいか?」
「図書室行ってみたかったんです!」
本校舎の二階すべてを占める図書室は、縁が無さ過ぎて未だに一度も訪れたことが無い場所だ。
でも『図書室でお勉強』とか『図書室でいつも会う人が気になる』的な状況には憧れていて、一度足を伸ばしてみようと思っていた。
日程が早速明日からに決まったとき、委員会が始まった。
お仕事をこなしてから先輩と別れる。その日の夜は翌朝の約束に備えて、胸をときめかせながら早めにベッドに入った。寝つきがいいのは私の良いところの一つだ。