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王都をうだるような暑さが襲う八月の頭。
私ともう一人の女子学生が、王都で一番の大きさを誇る劇場を訪れていた。
「今日はよろしくね、アナベル」
「うん! こちらこそよろしくね、テイラー」
黒髪のショートボブが印象的な彼女は、令嬢科B組で服飾研究部の一年生だ。ヘアメイクを専門にしている。
夏休みの間、貴族学校の生徒は何も遊びや部活にだけ精を出せばいいわけではない。
どの学年の生徒でも、この約二ヶ月の間に学校行事の一つである『社会見学』をこなさなければいけないのだ。
貴族学校の社会見学は少し特殊で、現在働いている卒業生であれば誰を訪問してもいい。
母数が多いから当然生徒たちは散り散りになる。日程も見学先に合わせて決まる。
私たちが選んだ卒業生は服飾研究部のOGで、今もファッション業界の最先端に身を置いている人だ。
というわけで、今日は彼女が主催するファッションショーを見学にきたのである。
「手紙には裏口から入るように書いてあったよね?」
「うん、この道で合ってると思う」
テイラーとは劇場の裏側で待ち合わせをしていて、お互い近くで馬車を降りてここまで歩いてきた。
まだ朝だけれど、少し歩くだけでじりじりと太陽が肌を焦がすようで、私もテイラーもすかさず日傘を差した。
隣を歩くテイラーにちらりと目をやる。
実は貴族学園の制服はアレンジが許されている。
私や先輩は何も手を加えていないけれど、テイラーはチェーンをつけたり少し破いたりしてパンクテイストに制服を着崩していて、それがダークな色味の口紅も相まってよく似合っていた。
「私、今日いっぱい吸収する」
気合十分といった様子の彼女に、私も気合が入った。お互い制服のポケットからメモ帳がのぞいている。
それもそのはず、服飾研究部では先週『選考会』が行われた。
私たちモデルは文化祭のファッションショーで一人三回ランウェイを歩くと決まっている。
どのモデルに誰のどの服を着せるかを決めるのが『選考会』だ。
デザイナーやお針子のみんなは随分前からこのために試作品を作っており、モデルが仮設ランウェイで試作品を実際に着て出来栄えを確認する。
そこで自分の服が認められた場合、文化祭までの時間をつぎ込んでそれを完成品に昇華させる。
選ばれなかった場合は他の人の手伝いに回ることになる。
モデルはファッションショーまでその服に合わせた体を仕上げ、ヘアメイクたちはそのスタイルに合わせたデザインを考案する。
演出家はファッションショー全体の構成やテイスト、モデルが歩く順番を決めていくのである。
ロハリーはこの『選考会』で私の服を作る権利を勝ち取るために、春からずっと頑張ってくれていた。
結果、私が着る三着のうち二着をロハリーが担当することになり、嬉し泣きをしていたのが記憶に新しい。
二着勝ち取ったのは一年生デザイナーではロハリーだけという快挙だった。
今一緒にいるテイラーも、私を含めた三人のモデルの合計四ルックのヘアメイクを担当することが決まっていて、今はまさに気合が入っているタイミングなのだ。
テイラーと二人、関係者らしき人たちが行ったり来たりしている裏口におそるおそる近づいた。警備員さんに手紙を見せたらすぐに通してもらえて安心する。
入ってすぐのところに男の人が立っていて、行き来する人たちに機敏に指示を飛ばしていた。
「あの……」
声をかけるかかけないかのうちに、彼は私たちに気づいた。
「やあ! 貴族学校の社会見学だね?」
「はい! 私、テイラー・パーキンスです」
「私はアナベル・トゥロックです!」
「待ってたよ。おいで!」
男性は爽やかな笑顔を浮かべると、私たちを引き連れて薄暗い通路を進みはじめた。
余裕の表情だけれどかなりの早歩きで、テイラーとほとんど小走りになってついていく。
「僕はデザイナーのキーブル! 僕も服飾研究部の卒業生だ。今日一日君たちの案内を任されたから、困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「はい!」
「十六時からショーが始まるから今はてんてこまいだけど、逆に今のうちにエレナに挨拶に行った方がいいね」
薄暗い通路の先に明るい光が見えてきた。
「君たちが社会見学を申し込んだ相手にさ」
通路を抜けた先は、壁一面にドレッサーが設置してあるだだっ広い部屋だった。
いたるところにファッションアイテムが散乱している。色彩が多くて目がチカチカした。雑然とした印象のその部屋の中で、多くの人が忙しそうに動き回っている。
「控え室にようこそ」
芝居がかった口調でキーブルさんが言い、テイラーが「すごい」と顔を輝かせる中、私は一人の女性に釘付けになっていた。
余裕なく駆けずり回っている大多数を尻目に、彼女は唯一余裕たっぷりで、椅子に腰掛けてお茶を楽しんでいる。
頭の先から爪先まで隙のない佇まいに、体育祭で見たメリッサ部長を思い出さずにはいられない。
テイラーが私の視線に気づき、「あっ」と声を上げた。
「あの人が?」
「うん……ピアース伯爵夫人じゃないかな」
私の視線に気づいた美貌の伯爵夫人にうっそりと微笑まれ、私は畏怖にも似た感情を抱いた。
それと、「目元が息子さんと似てるな」という感想も。
そう、彼女はピアース伯爵令息――体育祭の『舞踏』で私から逃げたクリストファー・ピアースさんの実のお母様だ。