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 動物園は後半も見ごたえに溢れていた。

 一番印象に残ったのはふれあいコーナーで、屋内でうさぎやモルモットやハムスターや猫に触ることができる夢みたいな場所である。


「わあ先輩、ふれあいコーナーですよ!」

「げ」


 私は迷いなくスペースに入り、もふもふの小動物たちに体を触らせてもらったけれど、先輩をそんな私を柵の外から保護者みたいに見ていた。


「先輩、来ないんですか?」

「あー、行く、行くよ」


 先輩が歯切れ悪くものを言うのは珍しい。不思議に思っていたら、先輩はもふもふ小動物に囲まれている私にかなりおそるおそる近づいてきた。


「……もしかして、小さくて可愛い動物怖いんですか?」

「怖ぇ。こんなに小さくて踏みつぶしちまったらどうすんだよ」


 先輩は真面目に言っているらしく、足の下に動物が入り込むのを恐れているのか、すり足で移動していた。

 普段堂々として怖いものなんて一つもなさそうな先輩の意外な弱点。思わず「あははっ」と笑ってしまう。


「それに俺は犬と馬以外からは怖がられるんだよ」

「ブタ美さんは先輩のこと全然怖がってないですよ?」

「ブタ美は警戒心薄いからいける」


 先輩の言葉を証明するように、先輩がゆっくり私に近づくにつれて、私の周りでのんびりしてた動物たちは警戒の色を見せた。

 若干後ずさっていつでも逃げられるように準備しているようだ。


「ほらな」

「本当ですね。なんでだろう?」


 先輩から食物連鎖の頂点感がするのだろうか。

 怖がるなら体の大きい私の方な気がするけれど、私は昔からどんな動物にも好かれる性質で、怖がられた経験はない。


「お前は仲間認定されてるんだろ」


 先輩が「何を当たり前のことを」というテンションで言った。

 私は試しに薄茶色のハムスターを一匹すくい、先輩のところまで歩いて行った。


「先輩は優しいですから、大丈夫ですよー。先輩も、この子たちは小さくてもそんなに鈍臭くないから大丈夫ですよー」


 ハムスターと先輩の両方に話しかけながら、腰が引けている先輩の手の上にそっとハムスター乗せる。


「アナベル、手、手離すな」

「大丈夫ですって」


 先輩はビビり倒していたけれど、ハムスターはおとなしく手の平に収まってくれていた。先輩がおそるおそる触っても逃げない。


「変に怖がるからそれが伝わって怖がられるんですよ。普通にしてれば大丈夫です」

「すげぇ……こんな小せぇの初めて触った」


 少年みたいに顔を輝かせた先輩が、ハムスターを手の平に乗せたまま、がばっと私を見上げる。


「ありがとな、アナベル!」


 その満面の笑みを間近で見た私の心臓は「ギュン!」と音を立て、私は先輩を動物園に誘ってよかったと、心の中で感涙した。

 先輩は一旦私を挟んでならほとんどの動物に触れることがわかり、ほくほくした顔でふれあいコーナーを後にした。


 その次のウォンバットを見に行く途中、先輩は私にこう尋ねた。


「お前、夏季休暇の間ブタ美のところには行くのか?」

「? はい、今まで通り週に一回は行くつもりです」


 夏休みの間の餌やりは用務員さんがやってくれるみたいだけれど、様子を見に行くつもりだったので頷いて答える。


 先輩は「そうか」と答えてから少し何かを考えているようで、「なんでですか?」と聞こうとした。

 けれど、その瞬間にお待ちかねのウォンバットのお尻が見えたものだから、私はそのことをすっかり忘れてしまった。


 その後も色んな動物を見て、忘れずにライオンも見に行き、お土産屋さんも物色して、楽しみ尽くしたときにはすっかり夕方になっていた。


「ポピーの噴水」前にまたそれぞれ馬車が迎えに来てくれる予定なので、噴水前に着いたらお別れだ。この一日が終わってしまう。


 先輩と手を繋いだまま動物園から噴水までの道を歩く。結局本当に手を繋いでくれたのは、一体どういう心境の変化なんだろうか。


「お、もう馬車いるな」


 先輩は噴水より少し奥に止めてある二台の馬車を既に確認したようだ。

 名残惜しさとか寂しさのようなものを一切見せずに私を連れて歩いていく。


 今朝先輩が私を待ってくれていた、噴水前の広場まで着いたとき、私は俯いて立ち止まった。


「どうした?」


 先輩が振り返って私を見上げる。このま馬車に戻ったらこの夢のような時間が終わってしまう。

 手を放したくないし、帰りたくもない。もう少し一緒に居たい。


「もう帰らないとだめですか? もっと一緒にいたいです」

「この時間に帰るって伝えて迎えに来てもらったんだろうが。ダメだ」


 容赦のない正論である。次いつ会えるかわからないのに。

 私はむくれたけれど、先輩の次の言葉で一気に花が咲いたみたいな笑顔になった。


「また出かければいいだろ」

「! デートですかっ? 二回目の!」

「ああ」


 先輩は事も無げに頷き、私を幸せでいっぱいにする。彼のもう片方の手も空いてる手で掬い取り、私は感情のまま破顔してこう言った。


「先輩、好きです!」


 いつものように伝えれば、いつものように呆れられるか、それか受け入れられるか。そのどちらかだと思った。

 でも今日の先輩はやっぱり一味違うらしい。


 少しだけ間があってから、先輩はごく真剣な顔でこう言った。


「それって返事は必要なやつか?」

「え?」


 思わぬ質問に首を傾げる。


「いつも返事してくれるじゃないですか。『はいはい』とか『知ってる』とか」

「それでいいのか」

「? はい」

「そうか」


 意図はわからなかったけれど、先輩は何かに納得したらしい。私をトゥロック家の馬車まで連れて行き、馬車に乗り込むときには手を貸してくれる。


「じゃあな。気を付けて帰れよ」

「はい! 先輩もお気をつけて」

「ああ」


 先輩はそれで一回馬車の扉を閉めようとしたけれど、扉は閉まる直前でまた開いた。


 座席に座ったままびっくりする私に、先輩は「朝会った時に言いそびれたんだが」と前置きして、涼しい顔でこう言った。


「服、似合ってるぞ。可愛い」


 そしてもう一度「じゃあな」と口にすると、あまりのことに呆然とする私を置いて、今度こそ扉を閉めてしまった。


 それから数秒の間、ぴくりとも動けずに先輩が閉めたドアを見つめる。馬車が出発した揺れで我に返った。


 慌てて馬車の窓を開けて顔を出す。

 先輩は自分の馬車に向かって歩いていて、遠くなっていくその背中に声をかける。


「先輩!」


 振り返った彼に、はちきれんばかりの笑顔を向けた。


「大好きです!」

「さっきも聞いた」


 先輩は仕方なさそうに笑い、大きく手を振る私にさらっと手を振り返して行ってしまった。


 慌てた御者のケリーに「お顔をしまってください」と注意され、大人しく窓を閉める。私は先輩がかっこよすぎて腰が抜けたらしく、体に力が入らなくて、座席に戻るのが大変だった。


 やっとの思いで座席に体を預けて、今日一日のことを思い返す。

 一番気になるのはやっぱり、帰りがけ先輩に問われたことだった。


『それって返事は必要なやつか?』


 考えれば考えるほど、違う答えを言っていた場合の未来が知りたくなる。


「『必要』って答えてたら、どうなったんだろう……」


 独り言は誰にも聞かれず、馬車の空気に溶けて消えた。

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