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終業式を終えて夏休みに突入してからというもの、服飾研究部の活動は大変さを増していた。
それもそのはず、今から二週間後の七月の終わりには文化祭のファッションショーに向けて重要な『選考会』を控えているからだ。
週に四回だった部活は夏休みに入って週六回に増え、トレーニングやウォーキングの仕上げに励んでいる。
大変なのはデザイナー組やお針子組、ヘアメイク組、演出組も同じだ。特にロハリーは鬼気迫る勢いで準備を進めている。
しかし今日、部活はお休みである。
正直全身筋肉痛だし疲労は溜まっているけれど、問題ない――だって。
「お嬢様、ワンピースは着られましたか?」
「うん!」
今日で夏休みが始まってからちょうど一週間。
つまり、待ちに待った先輩とのデートの日だ!
自室にて、私は淡いラベンダー色のキャミワンピースをノースリーブワンピースのように一枚で着て、衝立の陰から出てきた。
すとんと落ちるようなIラインのシルエットが綺麗だけれど、このままだと腕や肩の露出が気になるので、柔らかい白色のカーディガンを袖を通さずに肩にかける。
ドレッサーの前に腰掛けると、ラミが私の髪を普段のストレートヘアではなく、ゆるい巻き髪にしてくれる。仕上げに上品なカチューシャを差してくれた。
細いシルバーの土台にお花がいくつもくっついたようなデザインのそれは、まるでお姫様のティアラだ。
控えめなイヤリングとブレスレットもつけ、ラミが白くて小さいハンドバッグを渡してくれる。
足元は二センチほどのヒールのミュール。8.5cmヒールにも慣れた今の私なら素足同然に履くことができる。
「どうかな?」
「完璧です、お嬢様。可愛らしいです……」
ラミがエプロンで目頭を抑えているのには理由がある。
実は今日のコーディネートはまるっと全てロハリーが考えてくれたものなのだ。
夏休みに入った次の日、選考会の準備に煮詰まっているロハリーに息抜きを提案したら、「じゃあアナベルを着せ替え人形にしたい」とショッピングに連れ回された。
ロハリーはほくほくした顔でこのコーディネートを組んでくれて、私は先輩とのデートでこれを着ようと決めた。
「お嬢様はいつも目立たないことばかり考えてお召し物を選んでいましたから……良いご友人ができましたね」
ラミが言い、私は笑顔で頷いた。ただでさえ街を歩くと二度見されがちな私は、私服はシンプルイズベストといった感じで、デートに着ていけるような服がなかったのだ。
親友が選んでくれた服で大好きな人とのデートに向かう。私はなんて幸せ者なんだろうか。
全身鏡で念入りにチェックした後、フンと気合を入れた。最後に大きめのバスケットを持てば準備完了だ。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃいませ」
使用人のみんなに見送られ、馬車に乗り込む。空は私の心を映したみたいな快晴だ。日焼け止めをばっちり塗ってきて正解だった。
先輩との待ち合わせは十時。貴族学校から徒歩三十分ほどの位置にある、王都の有名待ち合わせスポット、「ポピーの噴水」前の広場にて。
私は馬車に揺られている間もずっとそわそわしていて、前髪を何度も直したり、バッグの中身がぐちゃぐちゃになっていないか確認したりしていた。
そうこうするうちに馬車が目的地に着いたようだ。降りて御者のケリーにお礼を言う。
王都は朝から活気に溢れていた。
大きな荷物を背負って歩いて行く男性や、朝食の買い物に来たらしいお母さん、私と同じように噴水前で誰かを待っているような人の姿もちらほら見受けられる。
わざと早めに出てきたので、今はまだ二十分前だ。
なのに馬車を降りたその瞬間からドキドキしてしまう。もしかしたらもう私のことが見える位置に先輩がいるかもしれない、と考えてしまうのだ。
私は一生懸命心臓を落ち着けながら「ポピーの噴水」に向かい――その前を通り過ぎた。
そのまま歩いていって、「ポピーの噴水」を見ることができる建物の影に張り付く。十分ほどドキドキしながら待った。
十時十分前、ついに先輩が現れた。噴水前に立つその姿を観察する。
「私服……!」
先輩は白いTシャツの上に半袖のシャツを羽織っていて、長ズボンのポケットに手を入れ、若干眠そうな表情で私を待ってくれている。
初めて見た私服姿はもちろん、まだ待ち合わせの十分前なのに既に待ってくれているところも大好きだし、今くあっとあくびしたところも大好きだし、ただ私を待っているその姿を見るだけで疲れが吹き飛ぶ。
なぜ離れたところから先輩を偵察しているかと言えば、ラミの言葉が理由である。
ラミは今朝、私が起きた瞬間から興奮しているのを見かねて、
『また鼻血を出したらまずいので、最初に離れたところから確認して慣れてから話しかけましょう』
とアドバイスしてくれたのだ。
挙動が完全にストーカーだけれど、また鼻血を出して先輩に迷惑をかけるよりマシだ。
自分が今からあんなに素敵な人とデートにいけるという事実を前に、手を組んで神様に感謝していたときだった。
後ろからとんとんと肩を叩かれた。
「お姉さん、何してんの?」
「お祈り中?」
手を組んだまま振り返る。それは知らない男の人の二人組で、二人ともサングラスをかけ、ガムらしきものをくちゃくちゃと噛んでおり、だるだるのジーンズを腰で履いている。
私は笑顔でお祈りの内容を述べた。
「先輩が生きている事実と、先輩をこの世に誕生させてくれたお義母様、そして健やかな先輩を育んだ生育環境に感謝を捧げていたところです」
「思ってたのと違うねお姉さん」
「『先輩』ってどいつ?」
二人がサングラスを下にずらしながら噴水の方角に目をやるので、「あの方です」と先輩を示す。
男性Aは「えー?」とやけに驚いたような声を出し、男性Bはにやにやし始めた。
「お姉さんよりだいぶ背低くない?」
「そこも先輩の魅力なんです!」
「『男は身長』とか思わないの?」
「思いません! 『男は先輩』です!」
知らない男性二人と先輩談議に花を咲かせていたら、「アナベル」と名前を呼ばれた。喜びをはじけさせて笑顔で振り返る。
噴水前にいたはずの先輩が、眉根を寄せて私の側に立っていた。
「先輩! 会いたかったです! 待たせてごめんなさい! 私服かっこいいです!」
先輩は私の言葉に「おー」とだけ答え、私と男性A、Bを交互に見比べた。「どういう状況だ」と首を捻る。
「まだ時間の前だし別にいいけど、お前俺より先に来てただろ。何で出てこねぇんだ」
「気づいてたんですね! また鼻血を出さないように、私服の先輩に見慣れる時間を取ってたんです」
「ああ……」
遠い目になった先輩は、きっと『アナベル鼻血事件』を思い出しているのだろう。
私にとっては『先輩半裸事件』である。
先輩はそれに関しては納得したらしい。残るは私の後ろにいる男の人二人である。
「そいつらは?」
「わからないです!」
「変なナンパされてたわけじゃないんだな?」
「されてないです!」
「一体どういう状況なんだよ」
先輩がいよいよ難しい顔になる。けれど私が口を開く前に、男性A、Bは踵を返して歩き始めた。
「俺たちには邪魔できない尊さだったわ」
「お二人さん、仲良くやんなよ」
後ろ手に軽く手を振りながら去っていってしまうので、私は慌てて「さようなら」と声をかけた。
「……誰だったんだ?」
「……誰だったんでしょう?」
「ま、いいか。行こうぜ」
先輩はもう切り替えたらしい。私を促して歩き出す。
今日のメインは動物園だ。ここから五分もしないところにあるはずなので、ルンルン気分で歩いていく。
「私ウォンバット見たいです!」
「可愛いよなウォンバット」
途中から動物園に向かうのであろう人の流れができていた。先輩と話しながらそれに合流して歩いて行く。