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騎士科校舎はむさ苦しくて人口密度が高い。
多くがガタイのいいデカい男だから、教室も校舎も余計に狭く感じるのだ。
俺――ルーカス・フリーマンは、昼休みに教室の窓から顔を出して、せめて清涼な空気を顔に浴びていた。
水面から顔を出して息継ぎしているみたいな気分だ。
「嫌になるな。騎士科じゃなくて令嬢科に入ればよかった」
「入れねぇから安心しろ」
俺の戯言をぴしゃりと切って捨てたのは、同じ騎士科A組で腐れ縁のヴァーン・ランデールだ。
次の時間が歴史のテストだからってちゃんと教科書を見直している真面目野郎である。
こいつには最近、ちょっとした変化があった。
「なあ、最近あの子見かけないな。ほら、一年生の」
「アナベルだ」
窓枠に頬杖をついたまま言えば、ヴァーンも教科書から目を離さないまま答える。
二年生に進級し、特に代わり映えのしない学校生活を過ごすかと思われた俺たちだったが、そこに青天の霹靂。
ヴァーンは令嬢科一年の、やたら背の高いド美人に惚れられたのである。
彼女は元々目立っていたが、すぐに『騎士科なら知らない奴はいない有名人』になって、すぐに『全校生徒知らない奴はいない有名人』になった。
あの服飾研究部の新モデルで、細長い手足と風に靡く銀髪のストレートヘアを持ったスタイル抜群の美人。
――にもかかわらず、ヴァーンの前ではいつも顔を真っ赤にして、何が楽しいのかずっとにこにこ笑っている彼女。
知れば知るほど、ちぎれそうなほど尻尾を振っている健気な子犬に見えてくるから不思議だ。
ちなみに体育祭のとき、彼女に「あれ、アナベルちゃんじゃない? ヴァーンならあっちに行ったよ」と声をかけたのは俺だ。
「可愛かったな、にぱって笑って『ありがとうございます!』って言ったアナベルちゃん……」
しかもほわんといい香りがした。
彼女は既に騎士科の清涼剤なので、ヴァーンは嫉妬に狂った騎士科に殺されてもおかしくないと思ったが、そんなことにはならなかった。
クソ真面目かつ正義感に溢れた騎士科の実力者であるこいつを、結構みんな気に入ってるからだ。ゲンコツを落としても許される人望を持っている。
ゲンコツといえば。
「お前一年生が入学した次の日、ディランが『平民のデカい美人を見に行く』って走ってったとき、『嫌な予感がする』ってわざわざ令嬢科校舎まで行ってたよな」
「そうだな」
「あのときに惚れられたの? 畜生、俺が行きゃよかった」
本気で悔やんでいたら、ヴァーンが「何言ってんだ」と笑った。再びぴしゃりと言い放つ。
「アナベルは俺に惚れてんじゃなくて、懐いてんだよ」
時間にして三秒ほどの静寂の後、俺はとりあえず「はは」と笑っておいた。何が面白いのかわからないが、とにかく何かの冗談だと思ったからだ。
俺は再び窓の外を眺め、ヴァーンが教科書を捲る「ペラ」という音だけが俺たちの間を支配した。
「……アナベルちゃんが、なんて?」
「は?」
ヴァーンが教科書から顔を上げるのを視界の端に捉えた。話の流れを掴めなかったのだろう。
「だから、アナベルちゃんがお前に……なんだって?」
ヴァーンは眉を寄せ、訝しげな顔で、それでも俺の質問に答えた。
「懐いてる」
「お前なんかそれ本気で言ってるよな!?」
家同士に交友があり、こいつと八歳から九年間腐れ縁を続けてる俺の勘が告げている。
振り返っていきなりデカい声を出した俺に、ヴァーンが本格的に嫌そうな顔になった。
「だったら何なんだよ」と言って教科書に戻ろうとするので全力で取り上げる。
「何すんだ」
「何すんだじゃねぇんだよ! なんだ『懐いてる』って! アナベルちゃんは大型犬じゃねぇんだぞ! 」
「大型犬なんて思ったことねぇ」
ヴァーンは引ったくるように俺から教科書を取り返した。
「どっちかっつーと子犬っぽいと思ってる」
「ダメだこいつ!」
俺は頭を抱えた。
アナベルちゃんの想いが全校生徒の知るところになってから、騎士科にはアナベルちゃんとヴァーンの仲を後押しするようなムードが広がっていた。
ひとえにこいつの人望とアナベルちゃんの健気さあってのことだ。
なのにまさか、全校生徒が気づいてるアナベルちゃんの気持ちを、張本人であるこいつがわかっていないなんて!
「お前……お前、アナベルちゃんが最近お前のところに現れないことについてはどう思ってんだ」
一人では抱えきれない事態だが、とりあえずもう少し現状を把握したい。
「ちゃんと勉強してんだろ」
「アナベルちゃんがお前に飽きたとかいう可能性は考えないわけだな」
「それはねぇ」
俺の言葉をヴァーンは鼻で笑った。
「あいつ俺のこと大好きだからな」
「だからそう言ってんだろうがっ! 何なんだよお前!」
「何キレてんだよ」
手の施しようのない馬鹿を前にして戦慄したとき、予鈴のチャイムが教室に響いた。
とりあえずテストを終わらせようと現実逃避気味に自分の机に戻りはじめた俺は、ヴァーンが何かを考えるようにしながら呟いた言葉を聞いていなかった。
「そんなわけねぇよな……?」
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