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 男女別にランダムで配られている番号札を受け取ると、初めてのきっかり百番だった。なんだか幸先がいい気がする。


 校庭は腰くらいの高さの柵で中心が囲われており、その周りに観覧席が設置されている。

『親御さん』といってもやんごとない身分の人たちなので、観覧席も仮設の屋根がついていてしっかりした椅子が準備されている高待遇である。


 出入り口からみんなで柵の中に入り、一年生の女子生徒たちが互いに距離をとって散開した。練習の通り、番号順に並んでいく。


「これより、貴族学校体育祭を開始します。プログラム一番、新入生による『舞踏』です」


 放送委員会が体育祭の開始を宣言した。


 まだ朝の九時半なのに、観覧席はいっぱいだ。

 観客である彼ら貴族の家族たちは、我が子の活躍よりこの『舞踏』を見に来ているとすら言われるそうだ。社交界の次世代を担う若者たちの品定めである。


 男子生徒たちが出入り口から入場し、次々に私の脇を抜けてそれぞれの令嬢のもとへ散っていく。


 祈るような気持ちでペアの到着を待っていると、少し間があって、遂に真っ直ぐ私に向かってくる男子学生の姿があった。

 最初に形式的にダンスを申し込まれるから、まずは対面する。


 緊張しながら顔を上げてお互いの顔を見た瞬間、私たちは戦慄した。


「ピアース伯爵令息……」

「アナベル・トゥロック嬢……」


 顔を引き攣らせずに作り笑顔を続けられた自信がない。


 そう、よりにもよって私のペアは、先程目にした『緊張でどうになりそうな状態の伯爵令息』さんだったのだ!


 真っ青を通り越して真っ白になった顔で、彼は愕然として私を見上げた。身長はおそらく170cm台前半だ。


 心底申し訳ない気持ちで、私はじっとダンスの誘いを待った。彼が動かないと私も動けない。


 しかし。


「ヴッ」

「えっ」


 練習でも私の相手は度々呻いていたけれど、ピアース伯爵令息の顔色は彼らの比ではなかった。そして本当に片手で自分の口を押えていた。


 私が口を開けている間に、彼は踵を返して、すごい速さで脱兎の如く走り去っていってしまった。


 その後ろ姿をぽかんとしながら見送る。

 敵前逃亡ならぬダンス相手前逃亡。


「え、え!?」


 異常に気づいた観客の一部が、「なんだなんだ」とざわついている。

 私は自分が「見たこともないくらいデカい女」「貴族学校歴代唯一の平民」に加え「ダンス相手に逃げられた女」の二つ名も得ることを悟った。


「どうしよう!?」


 焦って周りを見渡せば、どの組も既にダンスを申し込まれ、すぐにでも踊り始められる姿勢になっているペアもちらほらある。


 このままじゃ私のせいで『舞踏』が始まらないかもしれない。

 なら私もここから出た方がいいんだろうか。でもせっかく練習して、今日は家族も見に来ているのに。


 ――どうしてこんな目に遭うんだろう。私が大きいからいけないのか。もっと『普通』に生まれてくれば、嫌な想いをせずに済んだのだろうか。


 心の中はパニックで、体は一歩も動けないままその場に立ち竦んで、次々自分に向けられる周囲からの無数の視線に恐怖を覚えた、その瞬間だった。



「美しいご令嬢」



 背後からそんな言葉が聞こえた。状況にそぐわず落ち着いた、「怖いものなんて何もない」と言わんばかりの堂々したその声。


 信じられない想いで振り返ったら、私にお辞儀している相手が見えて――その栗色の髪が目に入ったから、呼吸を忘れた。


「私と踊ってくださいますか」


 緩やかに顔を上げ、その人が私に微笑みかける。

 まるで舞踏会のワンシーンのように。まるで物語の一場面みたいに。


 私の一番大好きな人が――私にダンスを申し込んでいる。


「先輩……っ!」


 あまりのことに頭がついていかないけれど、今言うべき言葉だけはわかった。

 差し伸べられたその手を取り、目の前の世界一かっこいい人にこう伝えるべきだ。


「喜んでっ!」

「こら抱きつくな、ダンスだって言ってんだろ」


 勢い余ってがばっと抱きついた私を引きはがして、先輩が通常運転に戻る。


 手を取られて腰に手を回された。その瞬間を待っていたみたいに音楽が始まって、先輩に合わせて私も足を踏み出す。

 きっと私たちが最後のペアだったのだろう。


 まだ心臓がバクバクしている。ダンスの相手に逃げられて危うくソロになりかけた恐怖と、先輩のかっこよさの両方が原因だ。


 何とかして落ち着こうと深呼吸をする。


「び、びっくりしました……」

「災難だったな」


 先輩が神妙な顔で言う。貴族学校に入学してからというもの、心臓が忙しい。


 視線を彷徨わせると、先輩がちゃんとTシャツに「百番」と書かれた番号札をひっかけているのが目に入った。


「ば、番号札どうしたんですか?」

「あいつにもらってきた」


 落ち着きたくてそんなに重要じゃない確認をしてしまう。


 いつまでも心臓がおかしいと思ったら、先輩が未だかつてないほど近い。

 長い時間手や腰に触れられたことなんて一度もなかったのに、急にこの距離は死んでしまう。


 私が頬を染めてどきまぎしていると、先輩は「あ」と呟いた。


「そうだ、これターンのタイミング決まってんだよな」


 先輩も去年この曲を散々踊っているので、リードもステップも完璧で何も問題ないように見えたけれど、ターンのタイミングはさすがに覚えていないらしい。


 みんなで同じステップを踏み、同じタイミングでターンをするので、ミスすると目立つのだ。


 私が直前に合図を出せば上手くいくかもしれない。

 口を開こうとしたそのときだ。


「ま、いいか」

「わ!?」


 独り言みたいに先輩が呟くのと同時、私は気づけばくるんとターンしてまた元の位置に戻ってきていた。

 一瞬のこと過ぎて、ターンした次の瞬間先輩がまた目の前にいた感じだった。


 呆気に取られたあと、思わずくすくす笑い出してしまう。


 ターンのタイミングがわからないからって好きなタイミングで突然ターンを決行する先輩も、突然のターンにもかかわらず妙に綺麗に決まったのも、面白くてたまらない。


「笑うな、こっちまで笑えてくるだろ。これ一応真面目なやつなんだぞ」


 口ではそう言う先輩も笑っているし楽しんでいる。その証拠にまた周りと全く違うタイミングで、景気よく私を二回も回した。


「ふふっ……あははっ。もうだめ。なんでそんなに回すの上手いんですか」

「コツ掴めばいけんだよ」


 身長差があるのに私をくるくる回す先輩もおかしくてしょうがない。笑いすぎてピンと背筋を伸ばした体勢を保つのが辛くなってきた。


 もはやステップしか合っていない私たちを、周りの生徒たちが踊りながらびっくりした顔で見ている。

 観客席もどよめいている気がするけれど、でももう先輩しか見えない。


 さっきまで周りの視線が痛くて怖くて、最悪の気分だったのに。

 今の私の世界には先輩だけだ。先輩と私だけ。周りなんてどうでもよくて、先輩が楽しそうだと私も幸せ。


「先輩、ダンスってこんなに楽しかったんですね。私こんなの初めてです」

「当然だ。俺はダンス上手いんだよ」


 先輩は自慢気にフフンと頷いて、その様子もかっこよくて可愛くておかしくて大好きで、私はもっと笑ってしまう。腹筋が痛いし、膝の力が抜けてきた。


「俺も初めてだ。ダンスの相手が笑いすぎてへにゃへにゃになってるの」


 頑張って背筋を伸ばしたけれど、「へにゃへにゃなのは顔だ」と言われた。それはもうしょうがない。


 開き直って満面の笑みになる。多分今日一、いやこの二週間一の笑顔だ。


「先輩、助けに来てくれてありがとうございます」

「別に助けに来たわけじゃねぇ。ちょうど踊りたい気分だっただけだ」

「えーとじゃあ……パートナーに私を選んでくれてありがとうございます!」

「おう」


 先輩が私に笑い返して、私は自分が宇宙一幸せな人間だと確信した。みんなにこの幸せをお裾分けしたいくらいだ。

 弾む心のまま、素直な感想を口に出した。


「次もその次もその次も、ダンスの相手はずっと先輩がいいです」

「プロポーズか?」

「そうです!」

「いや否定しろよ」


 おかしそうに笑う先輩を目に焼き付ける。今日のことをいつまでも覚えておこうと思った。

 心配しなくても、心から楽しくて「終わらなければいい」とすら思った先輩とのダンスは、ずっと忘れられなさそうだ。


 少し異色のハプニングもあったけれど、プログラム一番・『舞踏』は概ね問題なくその幕を閉じた。

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