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「アナベル」
「暑いねロハリー、ちゃんと水飲んでね」
「ありがと、それよりアナベル」
「何?」
「それ、誰?」
体育祭当日。本来は休日である今日この日、全校生徒が貴族学校の校庭に集まっていた。
全校生徒に加えその親族が観覧に来ても問題ない大きさである校庭は、本当に広くて貴族学校の敷地の二十パーセントほどを占めている。
全面芝生なので、青々とした香りがしていい感じだ。至る所にカラフルな装飾もされていて、お祭り感がある。
私は日傘を差してロハリーとロナルドさんと並び、純白組の待機スペースで競技の開始を待っていた。
「だからそのロナルドさん? って誰なの?」
私の左隣に立っているロハリーが、私の右隣にいるロナルドさんを不可解そうに見ている。
ロハリーはワンポイントとして水色のラインが入った白い半袖と短いズボンを履いていて、足元はくるぶしまでの白いソックスに運動靴だ。
かくいう私も全く同じ格好をしている。貴族学校の指定運動着である。
「ロナルドさんは絵師だよ。先輩の勇姿を描いてもらうために今日一日雇ったの。ロナルドさん、こちら私の親友のロハリーです」
「どうも」
ロナルドさんは寡黙系絵師なので、ロハリーに申し訳程度に会釈した後は、スケッチブックを抱えてまた黙っていた。
毛量多めの前髪が目を覆い隠している、なんともミステリアスな青年だ。
「あ、安心して。ずっと一緒にいるわけじゃなくて、先輩がどの人か教えたら別行動になるから」
「そんな心配をしてるんじゃないんだけど」
例年この体育祭は、お抱え絵師を連れてきた令嬢が好きな人や憧れの人の絵をこっそり手に入れるいい機会と化しているのだ。便宜的に使用人の扱いにすれば校内に入れる。
「先輩にも許可をもらったしね」
実は私の誕生日は六月で、一週間後だ。
先週飼育委員会のとき先輩に絵師のことを懇願したら、最初は渋っていたけれど、「もうすぐ誕生日なんです!」の一言で折れてくれた。
ロハリーは今日「早めの誕生日プレゼント」と言ってこの白い日傘をプレゼントしてくれた。縁に控えめなふりふりがついていてとても可愛い。
文化祭でのファッションショーに向けて日焼けしないように言われているので、実益を兼ねた素敵なプレゼントだ。
そんなロハリーはロナルドさんのことを気にしないことにしたらしい。
私は観客席が見物人で着々と埋まっていく光景にため息を吐いた。
「それより『舞踏』が心配。くじ運が全てだよね……私以上の身長で、ダンスが得意で、何より『ミスしても別にいい』と思ってる人! 来い!」
「そんな人実在する?」
手を組んで祈った直後、私の『先輩センサー』が反応した。周りを見渡せば、雑踏の中に先輩の姿を見つける。
同じ純白組なので待機スペースで会えるかもしれないと思って目を光らせていたのだ。
「ロナルドさん、あの栗色の髪のすごくカッコいい男の人がランデール先輩です」
「了解した」
ロナルドさんは短く答えると、人混みの中に消えていった。ここからはスナイパーのように淡々と先輩を追いかけ、絶好の瞬間を複数絵に起こしてくれるはずだ。
あの仕事人のような雰囲気と腕の良さが、彼がうちで贔屓にされている理由なのだ。
ロハリーはこれから『舞踏』まで、所属している放送委員会の仕事があるらしい。
「また『舞踏』の後で」と別れて、私は日傘を閉じて人混みの合間を縫い、先輩の背中を追いかけた。
しかし人が多い。日傘を畳むのに手間取ったこともあって先輩を見失った。
人だかりの真ん中でしゅんとしたら、私に明るく声をかけた知らない男子生徒がいた。
「あれ、アナベルちゃんじゃない? ヴァーンならあっちに行ったよ」
「えっありがとうございます!」
黒髪の男子生徒にお礼を言って、彼が指差した方へ向かう。
その後も「ヴァーンを探してんの?」「こっちだよ」「案内するよ」と頻繁に声をかけられ、気がつけば私は五人の男の人に周りを固められて先輩のもとに誘導されていた。
騎士科のお友達のみなさんと話をしていたらしい先輩は、仰々しい一向とその中心の私を見て、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「アナベルお前、何してんだ?」
「な、何をしてるんでしょう……?」
自分でも何でこうなったのかよくわからない。
「おいヴァーン、『何してんだ』はねーだろ!」
「アナベルちゃんはお前に会いに来てくれたんだろうが!」
先輩の周りの男子生徒からも謎の声援が飛び交い、彼らは「あとは若い二人で」と言って私と先輩を残して移動してしまった。先輩と同い年のはずなのに。
「えっと……先輩、なんだかすみません」
「いや、何だったんだろうな」
首を捻った先輩だったけれど、すぐに「まいいか」と呟いた。切り替えが早くてカッコいい。
先輩もいつもの制服ではなく運動着だった。男子のズボンは女子より長めで、膝くらいまである。
先輩は短い栗色の髪も爽やかなので、運動着がこれ以上ないくらいよく似合うだろうとは思っていたけれど、予想以上な気がする。正直直視できない。
私は赤くなっていく顔をごまかすため、校庭の中心の方を眺めながら口を切った。
「先輩が出場するのは二年生男子競技の『騎馬戦』ですよね?」
「おう、あと最後の『剣術』」
「『剣術』?」
びっくりしてポケットからプログラム表を取り出す。見れば、プログラム最後の種目は『男子選抜・剣術』と記されている。
「す、すごい!」
選抜競技は特別な種目で、男女別に各学年から最も優秀な三人が選ばれて九人という少人数で行われる。
先輩は二年生の男子で体育の成績が上位三本の指に入っていて、この体育祭の花形ともいえる特別な種目に出場するということだ。
「わた、私、応援してます! 頑張って、すごく頑張って応援します!」
「ありがとうな、わかったからちょっと落ち着け」
目を輝かせて鼻息を荒くする私を、先輩はどうどうとなだめた。
「お前は『舞踏』と『狩り』か?」
話題を変えることにしたらしい先輩に尋ねられ、私は『舞踏』のことを思い出してしゅんとした。興奮がみるみるうちに萎んでいく。
「どうした?」
「『舞踏』が心配で……私はいいんですけど、ペアの責任が重大っていうか……」
「ああ、俺も去年やったけど、気にする奴はすげぇ気にするよな」
納得したように言い、ふと周りを見渡した彼の目が、少し離れたところに立っている男子生徒の姿を捉える。
私も目をやると、運動着のラインで一年生だと気づいた。
「あいつは確か……ピアース伯爵家の嫡男だ」
先輩がわざわざ言及したのは、男子生徒が見るからに『緊張で今すぐどうにかなりそうな状態』だったからだ。
真っ青な顔で冷や汗をかき、ひたすらステップを一人で繰り返し確認している。
「『舞踏』でミスって跡取りの首を挿げ替えられたやつがいるって眉唾な噂もあるから、相当プレッシャーなんだろ」
「先輩のときはどうだったんですか?」
「俺は爵位継がねぇし気楽だった。相手は確か公爵令嬢でガチゴチだったけど」
公爵令嬢、とオウム返しにしてしまう。それはさぞかし絵になる二人だったに違いない。誰か絵を持っていないだろうか。
そのとき校庭にアナウンスが響いて、「一年生は所定の場所に集まるように」という案内を始めた。
「お前は普通にダンスを楽しめばいい。ここで見てっから」
先輩が軽く手を振り、私は勇気をもらって、力強く頷いてから一年生の集団に加わった。