040 夢
彼女は勝ち組という言葉がピッタリ似合う美しい少女だった。
父親は東証上場企業のオーナー社長で、母親は専業主婦。両親は二人とも美男美女であり、その容姿を受け継ぐ彼女も当然、容姿端麗である。
運動神経抜群で、かつ頭脳明晰。在籍する高校はなかなかの進学校であり、その中でも学年首位を争うほどの学力を持つ。
惜しむらくはコミュ障気味であり、クラスの中では少し(いや、かなり)浮いた存在であった。孤高という言葉がよく似合う少女だったのである。
また、クラスの中の一軍女子たちからは目の敵にされており、彼女たちのいじめの標的にもなっていた。
無視や嫌がらせは日常茶飯事だったが、彼女にとっては特に事を荒立てるほどのものではなかった。柳に風と受け流すのみだったのだ。
そんな彼女の態度がいじめの首謀者には苦々しく映っていたのは言うまでもない。
季節が梅雨の終わりへと差し掛かっていたある雨の日のこと。昼休みに教室の窓の外を這う一匹のナメクジを発見した一人の女子生徒が悲鳴を上げた。
ふざけた男子が割り箸でナメクジをつまみ上げ、女子生徒たちを追いかけまわしていた。どこにでもいるお調子者である。
ここで、いじめの首謀者はとても心躍るアイディアを思いついた。
「あいつを押さえつけて、ナメクジを口の中に入れてやったら面白いわね」
いつもは冷静なあいつもさすがに泣き叫ぶことだろう。飲み込ませてやったらさらに面白い。腹痛で下痢便を漏らすかもしれない。
これが最悪の事態を招くことになるとも知らず、いじめ首謀者の気分は高揚していた。
その後、いじめ首謀者の取り巻きたちに拘束され、教室の床に仰向けに寝かされた少女は、鼻をつままれて強制的に口を開かされた。
口の中に放り込まれる生きたままのナメクジ。そして最悪の事態が発生した。彼女はそれを丸飲みにしてしまったのだ。
さすがに取り巻きたちも身体を押さえつけるのを止めたため、彼女はトイレへと猛ダッシュした。指を喉の奥に突っ込んで、胃の内容物を便器に吐き出そうと試みるも出てこない。仕方なく彼女は教室には戻らず、保健室へと向かったのだった。
このとき保険医の判断が的確だったら、まだ大事には至らなかったかもしれない。すぐに病院へ搬送して胃洗浄を行うべきだったのだ。
ところが、話を聞いた保険医はベッドに横になってしばらく休むように伝えたのみだった。最悪の判断である。
それから彼女は一か月ほど学校を休んだ。
そして、ある日の朝、母親が発見したのはベッドに横たわったまま二度と目覚めることのない我が子だったのである。酷い頭痛のせいで激しく暴れたのか、ベッドがぐしゃぐしゃになっていたのが痛ましい。
すぐに救急車で救急病院へと搬送された彼女は様々な検査を受けたのだが、結論は植物状態になっているという厳然たる事実であった。心臓は動いているものの、意識は失われたままなのだ。
その原因は、ナメクジの中にいた寄生虫(広東住血線虫)が寄生虫性髄膜炎を引き起こし、脳ヘルニアを発症したことによるものだそうだ。そして、回復の見込みは無いらしい。
…
いじめ首謀者についてだが、あの事件から不登校になってしまった女子(いじめの標的)のことなど気にも留めていなかった。
そんなある日のホームルームの時間、担任のあとに続いて一人の美人(30代くらいだろうか?)が教室内へと入ってきた。いじめ首謀者は思った。どこかで見たような顔だな…と。
そう、それは現在病院のICUに入っている少女の母親だったのである。教室の前後のドアからは制服の警察官も数人入室してきた。
この不穏な状況に教室内が緊張に包まれる。
まずは担任が口を開いた。
「こちらの女性は〇〇さんのお母様です。彼女は現在入院していて、学校に来ることができません。それで、えっと…」
「ここからは私が…」
母親が担任の発言を制した。
「あの子は現在生死の境を彷徨っています。そしてその犯人はこのクラスに所属する全ての生徒です。私はここにいる全員を警察に告訴しましたので、あとは警察署で取り調べを受けてください。どうか正直に証言してくださることを期待しております」
どよめきが教室内に巻き起こる。
「ああ、かなり前の話なのでもうお忘れの方もいらっしゃるかもしれませんね。キーワードは『ナメクジ』ですよ。もうお分かりですよね?」
女子たちの悲鳴が上がった。
いじめ首謀者とその取り巻きたちだ。
「あの子は死ぬかもしれませんが、死んだほうが幸せかもしれません。なぜなら、生き永らえたとしても一生植物状態になることが確定しているので…」
強烈な憎悪を瞳に宿した母親の気迫に声を失うクラスメイトたち…。今更ながら自分のやった行為に愕然とする取り巻きたち。
特にいじめ首謀者は割り箸でつまんだナメクジを口に入れた張本人である。お調子者の男子が躊躇した(当然だ)ので、自分でやったのだ。
とてもこれが現実とは思えない。夢であってほしい。そう願うもこれは現実であり、被害者・加害者両人にとって最悪な結末となったのである。
…
家裁による少年審判によっていじめ首謀者である女子は少年院へ、取り巻きたちは鑑別所送りとなった。その他のクラスメイトたちは厳重注意で済んだものの、いじめ行為を見て見ぬふりをした道義的責任はこれからの人生に重く圧し掛かってくることだろう。
問題はこの被害者少女の境遇である。意識不明ではあるが(脳波計によれば)脳死状態ではないらしい。
しかしながら、実はこの少女の意識ははっきりしていたのである。それを外界へ伝える手段が無かっただけなのだ。
しかも聴覚と触覚は生きており、話し声も聞こえるし、触れられればそれを感知できる。さらには痛覚もあったのである。
ただ、身体はピクリとも動かせず、眼球すらも動かすことができない。自らの意思を他者へ伝える方法が全く無いという状況であった。まさに地獄である。
毎日、母親がその日の出来事を話しかけてくれるのだが、それが無ければとっくに発狂していたかもしれない(母親が教室に乗り込んだ一件もそれで知った)。
少女はすでに自発呼吸ができなくなっており、人工呼吸器に繋がれている状態であった。
少女が昏倒してから一年間は経過しただろうか。ついに最後の時がやってきた。ある日の深夜、誰かが病室内へ入ってくる気配(と物音)を感じたのである。
侵入者は一人で話し始めた。どうやら少女に向かって語りかけているようだ。
「お、お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃだ。お前さえいなければ、妹だって馬鹿なことをしなかったはずなのに…。父さんも母さんも仕事をクビになり、再就職もままならねぇ。家の貯蓄も底をつき、お前の両親へ賠償金を支払う目途も立たねぇぜ。こうなりゃ一家心中するしかないんだが、そのついでにお前も一緒に連れてってやるよ。妹に代わって、せめてもの罪滅ぼしさ。なぁ、生きていても地獄だろ?」
話の内容からいじめ首謀者であった女子生徒の兄ではないかと推測される。
少女は歓喜した。自殺する自由さえ奪われている彼女は、この生き地獄から一刻も早く抜け出したかったのだ。
人工呼吸器のコンセントが壁から抜かれ、少女の肺への空気の流入が停止した。ゆっくりと意識が消失していく感覚が心地良い。こうして彼女は一度目の生を終えたのであった。
…
アリエルは目覚めたあと、前世での出来事を夢で回想できたことを自覚した。そして、それを懐かしく感じていた。
「こうして二度目の生を迎えることができたのは、私を殺してくれたあの人のおかげかな。死が救いになることってあるのよね。だからこそ、王族はあっさり死なせてなるものですか。あと、聖女を捕まえるために隣の帝国へ向かわないとね。我が国が帝国から攻められる前にこっちから乗り込んでやるわ」
【やられたらやり返す】のは当然として、【やられる前にやる】というアリエルの性格が形作られたのは、前世の反省があったからである。あのいじめ首謀者を早めに潰しておくべきだったのだ。それだけが前世における後悔となっているアリエルであった。




