037 地下牢にて
アリエルは化粧を落とし、地毛に編み込んでいたウイッグを苦労しながら外していった。
ちなみに、学院の卒業記念パーティーの日、投獄された牢屋の中で長かった髪を剣でばっさりと切断してからかなりの日数が経過している。そのため、髪自体は少しだけ伸びているのだが、まだまだショートカットといったところだろうか。
ここが日本であれば、現時点でも可愛い女の子で通用するかもしれない。しかし、この国では女性は髪を長く伸ばすのが一般的なので、やはりまだまだ少年にしか見られないはずだ。
完全にFランクの少年冒険者としてのエルに戻ったアリエルは、護衛のラルフを引き連れて城の地下牢へと向かった。先ほど捕縛した王族どもがそこに収監されているのである。
螺旋階段をひたすら地下へと降っていき、行きついた先は天井が吹き抜けになった大ホールのようなところだった。数十メートル上方には丸い大きな穴が開いていて、それが唯一の光源となっている。
円形のホールの外周沿いに鉄格子のはまった牢屋が並んでいて、最大で400人ほどを収監できるとのことだ。このホールの直径は100m、円周は314mもある。牢となる部屋は100室で、一室あたりの定員は四人とのことなので、合計400名の収監人数となっているのだ。
牢一つの大きさは横幅3m、奥行き5mである。つまり、約9畳分の広さということだ。ただし、四人で暮らすには少々狭い。
また、トイレは部屋の片隅に穴が掘られているだけであり、そこからは常に悪臭が立ち昇っていた。水場は無く、身体、いや手すらも洗うことができない。
床は土が剥き出しの単なる地面であり、掘り進めていけば脱獄できるかもしれない。ただし、掘った先は汚物槽となっているため、もしも脱獄できたとしても大小便にまみれて溺れ死ぬことになるだろう。
現状、捕縛した者は約50名。なので一人一室という好待遇で収監している。つまりは独房だ。
ちなみに、降伏した騎士については、バスティーユ作戦で解放した牢獄のほうへ収監したため、今ここにはいない。ここは政治犯専用の牢として使用するつもりなのだ。
ネズミ、ゴキブリ、百足、ゲジゲジなどが這い回っているこちらの牢獄は、普通の貴族令嬢であれば耐えられない環境だろう。しかし、元・侯爵令嬢であるアリエルは平気な顔で、地面を這い回る虫たちを踏み潰さないようにしながらすたすたと歩いていた。
護衛であるラルフが明かりを灯したカンテラを片手にアリエルを先導しているため、ある程度は虫たちが逃げ散っているおかげでもある。
「ここだ。エル坊の会いたがっていた奴は」
鉄格子越しに牢の中を見ると、奥の壁際に座り込んでいる男の姿が見えた。豪奢だった金髪はぼさぼさの状態になっている上、かなり薄汚れていた。
足を投げ出して汚い地面の上にへたり込んでいるこの男こそ、この国の第一王子であり、かつて王太子であった人物である。自らの足の上にゴキブリが這っているというのに、彼は気にした様子もない。
「やあ、久しぶりだね。今の気分はどうだい?」
元・王太子は俯いていた顔をゆっくりと上げて、鉄格子の外にいる二人の人物へと目を向けた。ただ、『久しぶり』と言われても彼にとっては面識のない人物であり、困惑するばかりである。
「お前が俺の知り合いだと言うのなら、俺をここから出してくれ。助けてくれれば金貨1000枚をやるぞ。平民にとっては大金だろう?」
「くっくっく、あんたがここを出られるのは処刑台に向かうときだけだよ。まぁ、数年はここで生活してもらうことになるだろうね。その間に発狂しないようにしてほしいものだよ。あ、死体になっても出られるか…。もっとも自殺する勇気なんて持ち合わせていないだろうけどね」
「お、お、俺はこの国の王になる男だぞ。平民風情が生意気な口を叩きおって。衛兵、この者を不敬罪で捕らえよ!」
あはははははは~。
アリエルは心の底から爆笑した。ここまで愚かだと逆に感心する。この男、お笑い芸人を目指したほうが良いんじゃないか?
「あ~、笑った笑った。おいらを楽しませてくれたお礼に、拷問するのは勘弁してやるよ。聖女の居場所を聞き出したかったんだけど、それはこちらで何とかしよう。それじゃまた来るよ」
「おいっ!待て。俺をここから出せ!あと、エルザに何をするつもりだ?彼女に手を出すことは許さんぞ!」
鉄格子を両手で握ってガチャガチャと揺らしながら、大声で喚くことしかできない元・王太子だった。
アリエルが階段へ向かっている途中、女性のすすり泣く声と断続的な悲鳴が聞こえてきた。悲鳴はおそらく這い回る虫に対するものだろう。
ここには王妃や側妃、王女たちも収監されているのだが、アリエルの心には何の感情も湧くことは無かった。
なぜなら…。
王太子の婚約者として、王城で王太子妃教育を受けさせられていたアリエルは、たまに催される彼女たちのお茶会にも強制参加させられていた。それは良いのだ。厳しい王太子妃教育の息抜きにもなるので…。
ところがいつしか、アリエルへのいじめ行為として、利尿剤や下剤入りのお茶が提供されるようになったのである。しかもこれは侍女たちによる勝手な行動ではなく、義姉や義妹となる王女の指示だったのだ(たまたまではあるが、第一王女が侍女の一人に命令しているのを物陰で聞いたことがある)。
幸い、人としての尊厳を失うような事態(要するに『お漏らし』)にはならなかった。とはいえ、お茶会のたびに繰り返されるこの行為に対して、アリエルの抱いた恨みはかなり大きい。
青白い顔で冷や汗をだらだらと流しているアリエルのことを嘲笑いながら見ていた底意地の悪い女たちに対し、同情心など湧くわけがないではないか。ちなみに、第二王女も具合の悪そうなアリエルのことを心配する様子も見せず、姉と一緒になってくすくす笑っていた。つまりは同罪である。
階段を昇りながらラルフがアリエルに問いかけた。
「エル坊、聖女ってあれか?平民なのに魔や瘴気を祓うって触れ込みで王家が後ろ盾になったあの女のことか?」
「そうだよ。あの糞女もおいらの復讐相手なんだよね。王城にいれば良かったんだけど、姿が見えなくてがっかりだよ」
「うーん、だったら居場所として考えられるのは教会じゃねぇか?この王都にはかなりの数の教会があるから、探し出すのは大変だと思うが…」
今回の市民革命で打倒すべき相手は王侯貴族のみであり、宗教勢力は対象外だった。もちろん、王家とはずぶずぶの関係であった教会なので、その内部が腐敗しているのは確かなのだが…。
教会までを粛清対象とした場合、民衆の支持を得られなくなるおそれがあったのだ。つまり、聖女が教会に匿われているのであれば、実に厄介な事態と言えよう。




