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001 投獄された侯爵令嬢

 生き地獄だった。それもようやく終わりを告げるのだろう、意識が朦朧(もうろう)としつつあるのが何とも心地良い。

 死ぬことへの恐怖は一切なかった。いや、やっと死ぬことができる。彼女にとって人生とは苦しいだけのものだった。

 もはや目も見えず、耳も聞こえない。ついに電源が落ちるようにして、彼女の意識は消失した。

 こうして彼女は死んだのであった。


 …


 …はずだった。

 目を開けると、そこは牢獄の中だった。

 死後の世界でもこんな扱いを受けるのか…。自分がいったい何をしたというのだろう。前世、いや前前世でどれだけの悪行を積み重ねたと?


 仄暗(ほのぐら)い牢獄は半地下になっているのか、天井に近いところに細長い明かり取り用の窓があった。そこから僅かに光が射しこんでいる。

 その窓から外を歩いている人の足首が見えたため、半地下と推測したのだ。おそらくはこの牢獄の警備員か何かだろう。

 牢は三方を壁に囲まれ、一面は全て鉄格子になっている。向かいにも同様の牢があるみたいだが、誰かが入っている気配はない。


 彼女は冷たい床に座り込み、今の状況を思い出していた。そう、こうなった過程が彼女の脳には全て記憶されていたのだ。

 まず、自分の名前はアリエル・ラルーシュ。ラルーシュ侯爵家の長女である。

 つい先程までは王太子殿下の婚約者であり、来月には結婚し、王太子妃となるはずだった。そう、すでにそれらは過去形なのだ。

 なぜなら学院の卒業記念パーティーの会場で婚約を破棄され、さらには冤罪によってここへ投獄されたのだから。


 婚約破棄の理由もくだらないものだった。王太子の腕には平民の学院生がその豊かな胸を押し付け、嫌らしい微笑みを浮かべていたことからも、それがありふれた断罪劇であったことがよく分かるというものだ。

 そう、教科書を破っただの、冷たい池に突き落としただの、階段の上から突き飛ばしただの…。

 もちろん、彼女にはそんな憶えは全くない。ぼんくら王太子が色仕掛けで篭絡(ろうらく)されただけのことなのだ。


 ただし、投獄された際の罪状は上記の『いじめ』などではなく、国家反逆罪であった。当然、実家の侯爵家も取り潰しになるだろう。有罪判決が下れば…。

 そして、有罪となるのが既定路線であることもまた間違いのないところだった。彼女は極めて聡明であり、だからこそ正確に未来を予測できたのであった。


 記憶を紐解いていくたびに前世の人格は今世の人格と統合されていき、気弱だった今世の性格を上書きしていった。すでに彼女は気弱な侯爵令嬢ではなくなっていた。

 自分が助かるためなら殺人も辞さない。そして、その能力をすでに持っていることも、彼女は十分に自覚・認識していたのであった。


 …


 がやがやと複数の人が近づいてくる物音がした。

 カンテラのようなものに火が(とも)され、それが作る影がゆらめいている。

 牢の前まで来たのは、三人の男たちだった。一人は騎士のような格好で、残りの二人は使用人風である。


「よう、アリエル。良い(ざま)だな。どうせ処刑されることになるが、処女のまま死にたくはないだろう?俺様が女の喜びってやつを教えてやろうと思ってな」

 この男は彼女の記憶にも存在した。王太子の側近であり、彼女が王太子の婚約者であったときから、嫌らしい目で見てきた男だった。残りの二人は牢番だろうか?

 なお、現在の彼女の姿は、すでに侍女たちの手によって罪人らしくされている。

 下着はそのままだったが、ドレスは()ぎ取られ、奴隷が着るような粗末な貫頭衣(かんとうい)しか身に着けていない。


 ジャラジャラと鍵束を鳴らしながら、牢番らしき男が言った。

「騎士様、あなた様のあとは我々に下賜(かし)していただけるのですよね?」

「ふん、好きにしろ。だが一番は譲らんぞ」

 下卑(げび)た笑いを浮かべた彼らが牢の鍵を開け、中へと入ってきた。

 彼女は牢の奥へと後ずさった。


 騎士の男が彼女のほうへと右手を伸ばしてきた。そして、そのままの姿勢でその動きを止めた。

 …っと、突然、男は両手で頭を押さえた。激しい頭痛に襲われているようだ。さらには床に這いつくばり、嘔吐を始めた。

「きっ、騎士様。いかがなされました?」

 すると今度は牢番が胸を右手で押さえて苦しみ始めた。騎士とは違い、すぐに動かなくなった牢番は早くも(こと)切れていた。

 この異常事態に呆然としていた最後の男は、恐怖に震えながらも牢内から逃げ出そうとしていた。もちろん、彼女がそれを許すはずがない。

 先程の牢番と同様の症状で、すぐに死亡した。


「ま、まさか、お、お前の、し、仕業(しわざ)か?」

「ふふふ、さぁどうでしょうね。あなたは私の能力をご存知なのでは?だってこれこそが国家反逆罪の罪状なのですから」

 そう、彼女にかけられた容疑とは、彼女生来の能力を使って王族を殺そうとしたというもの。

 そして彼女の能力とは、任意の地点に任意の大きさの空気の塊を生み出すことができるというものだったのだ。一見、何の役にも立たない能力である。

 もちろん、そんな些細な能力で殺人などできようはずもない。あくまでも言いがかりだったのだが、前世の知識を得た彼女にとって、それは必殺の能力と化していた。


 騎士の頭蓋内、クモ膜下に空気の塊を生成し、頭蓋内圧を高めたのだ。それによって脳内出血も生じたかもしれない。

 頭痛や嘔吐の症状を見る限り、そう推測できる。

 また、牢番のほうは心臓の近くの大動脈内に空気の塊を生成、空気塞栓(そくせん)症によって彼らの心臓を停止させたのだ。まさに即死能力と言っても過言ではない。


「ま、魔女め」

 騎士の目にはこれまでの気弱な侯爵令嬢ではなく、悪魔が映っていたのかもしれない。より一層、頭蓋内圧を高めるべくクモ膜下に更なる空気を生成した彼女は、まさに弱者をいたぶる悪魔だった。

 牢屋の中の汚い床の上を頭を抱えて転げ回る騎士。自身の吐瀉物(としゃぶつ)を自らの服を使って掃除しているかのようだ。

 ただ、その動きは徐々に緩慢なものへと移行していった。


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