承 国王陛下の場合
「やはりあの娘は逃げたのだな」
国王の重々しい言葉を前にして、王太子アラン・ド・ヴィルアルドゥアンは俯いた。
「はい……父上の仰るとおりでした……僕を愛していると言っていたのに。真実の愛を見つけたと思っていたのに……それは、嘘だったのです……」
王宮のサロンには国王と王太子の二人きり。
豪奢なソファの背もたれにその身を預けた国王は、目の前のソファで幽鬼のような雰囲気の息子に溜息をついた。
ある日。
冒険者(今は騎士爵)の娘エステル・レノーを正式な妃にしたいと願いでた息子に対し、国王は言った。
『真実の愛だと言うのなら、自分は身一つになったと、もう王族ではないと告げてみろ。なにもかも無くしたおまえについて行くと言うのなら、それは真実の愛だ。余はふたりを認めよう』と。
アラン王太子が身分を捨て冒険者になるとエステルに言ったのは、率直に言えば嘘だ。そんな気はさらさらない。
国王の助言に従い彼女を試したにすぎない。
「だから言っただろう。『真実の愛』の相手を間違えるなと。ああいった教養もない庶民上がりの娘は、おまえの身分に執着していただけなのだ。それがないと知ればあっさりおまえを捨てるだろうとな」
実際、エステルは逃亡した。
寮の彼女の部屋に残された書き置きには、『真実の愛を見つけました。探さないでください』とあった。
いつの間にか誑し込んでいたパトリス(アラン王子の側近で、剣の腕が立つ寡黙な男であった)と共に夜陰に乗じ人知れず王都を去った。
「……それはつまり。父上は、僕には身分以外取柄が無いと仰りたいのですね」
がっくりとテーブルに顔をつけて落ち込むアラン王子に、国王の溜息はますます深くなる。
「そうではない。相手を間違えるなと言ったのだ」
「……相手?」
「おまえの婚約者、ディアーヌ・デ・ラ・セルダ公爵令嬢なら違う反応をするだろう」
「ディアーヌが? まさか!」
アラン王子はガバっと音を立てるように顔を上げ反論した。彼にとってディアーヌは親の決めた婚約者で、いつも冷静な表情しか見せない氷のように冷たい女だ。
彼女こそ、アランが庶民になると聞いたら鼻で嘲笑いそうだ。
「おまえは令嬢の冷静な表情しか記憶にないからそう思うかもしれんが、余はあの令嬢がおまえの婚約者になるまえをよく覚えておるぞ」
無邪気で愛らしい美少女だった。
物心つくまえのアラン王子のよい遊び相手になってくれた。気が合いそうだったので彼女を息子の婚約者に指名したのは国王だ。
息子と同じ年のディアーヌ嬢は聡明で、将来の王太子妃になる責任と意義をよく理解していた。だからこそつらい王子妃教育を修得し、成長した今では冷静沈着で優秀だと評判の淑女の鑑となった。
彼女のそのあまりの優秀さに、息子アランが萎縮してしまうとは思いもしなかったが。
「そんな……とても信じられません」
疑心暗鬼に駆られるアランに国王は優しく語りかけた。
「なにを隠そう我が正妃……おまえの母がそうであった」
「母上が?」
現国王がまだ王太子だった昔の話。
いつも冷たい態度しかとらない婚約者に辟易し、変更を願い出た王太子は、やはり父国王に薦められたのだ。『身一つになったと言ってみろ』と。
その薦めに従い、彼は婚約者だった侯爵令嬢に言った。
『自分は国王になる重圧にもう耐えられない。王位は弟に譲る。王族から離脱し一介の冒険者になろうと思っている。こんな俺との婚約は解消して欲しい』
彼の言に婚約者の令嬢は冷静な顔で『殿下との婚約解消、拝命します』と応えた。そして続けてこう言ってのけた。
『で、どちらのダンジョンから始めますの? え? もちろん、わたくしもお付き合いいたしますわ。侯爵令嬢などという身分、いつでも返上しますもの』
そう言ってにっこりと笑った侯爵令嬢、のちの正妃の美しさに圧倒されたのをよく覚えている。
いつも冷たい印象しかなかった婚約者の、知り得なかった情熱的な一面に国王(当時は王太子)の胸は高鳴った。令嬢の冷たい態度は作られたもの。王太子妃となるために己を律していたに過ぎなかった。
本当に自分を愛し支えてくれるのは彼女しかいないと確信した瞬間であった。
「地位も名誉もなにもかも失ったとしても、この相手と共にいたいと思う気持ちこそ、真実の愛だと余は思う。それを我が妃から教わったのだよ」
「父上と母上にそんな過去があったのですか……」
両親の若かりし頃の話を聞き、アラン王子は戸惑う。
「ディアーヌ嬢はおまえをきちんと見ている。おまえを心底好いておるよ。余の目に間違いはない。試してみなさい」
公爵令嬢に対し、婚約解消と身分を捨てて冒険者になると告げるよう国王は言うが。
「でも、ディアーヌは……」
アランに対して、いつもいつも口煩く文句ばかり言うディアーヌ。責任感がないとかもっと周りを見ろとか大局を見ろとか。
最近は下位の令嬢を軽々しく傍に置くなと口煩かった。
確かに彼女の言うことはいつも正しい。正論だ。
だが、言い方というものがあるだろうに。
ディアーヌはアランのことを不甲斐ない存在だと思っている節があって、まるで出来の悪い生徒を見る教師のような目でいつも彼を見下しているのだ。
そんな彼女がアランに対し恋情を持っているとはとても思えない。
「王族を抜けるなんて言ったら、いつも以上に怒られそうだ」
だが、もしも。
国王の言うとおり、ディアーヌが彼に恋情を抱いているというのなら。
いつもの冷静な顔と慇懃無礼なあの態度は作られたもの、ということになる。
彼女は将来国王になるアランのことを慮り、口煩い諫めの言葉を告げているというのか。
ワザと憎まれ口をきいて、嫌われ役になっても彼の成長のために忠言しているのか。
アランを思うがゆえに。
もし、そうなら。
ディアーヌがそのためにアランに対して冷たい態度をとっているというのなら、彼は彼女の厚意に報いなければならないだろう。
きちんと彼女と向き合い彼女の真意を知り、もし恋情があるのなら、こちらから手を差し伸べるのもやぶさかではない。
月の女神のようにうつくしいと評判の公爵令嬢の真意を確かめなければならない。アラン王子はディアーヌを王宮に呼び出した。