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8.悪気のない侮辱

 テディは軽々しくこんなことを言う。


「クラリスはロランの顔が見えないんだもんな。それならロランも顔のことを気にせず、安心して暮らせるってもんだ」


 クラリスは夫の腕に額を預け、祈るように呟いた。


「確かに顔など、目の見えない私にとってはどうでもいいものですが──顔に関係なく、ロランはとても優しくて素敵な人です」


 それを受けてテディが更に言う。


「顔じゃなく、心を見てくれる嫁さんでよかったな」


 テディがそう言い捨てて去り、ロランが少し苛ついているのが分かる。


「ロラン……怒ってる?」


 クラリスの問いに、ロランは首を横に振った。


「怒ってない。行こう、クラリス」


 二人は音楽堂へと入って行く。


 階段の多いホールで、沢山の人波とぶつかる。クラリスはロランにしがみつきながら、ようやく席に座った。


 と。


「あれ?君はロランか?」


 少ししゃがれた、中年の声が前方から飛んで来る。


 クラリスが顔を上げると、手前の席に座っていた相手は「おおっ」と声を上げた。


「まさか、奥様と?」

「ああ、久しぶりだなデスタン卿。彼女が私の妻のクラリスだ」

「いやー、まさかこんなにお美しい奥様とは……ん?」


 彼はすぐに気づいたようだった。


「奥様は、目が見えないのですか?」

「ああ」

「そのようなお嬢様を奥様に選ばれるとは……崇高な精神をお持ちだったんですなぁ、ロラン殿は」


 再びロランが静かに怒る。クラリスは緊張しながら話に加わった。


「崇高だなんて、大袈裟ですわ」


 ロランも頷いた。


「基本的には他の貴族たちの婚姻と何ら変わらない、家同士の結婚だ。障害のあるなしに関わらず、妻のことは大切にしますよ。どの夫だってそうでしょう」

「でも、目が見えないからと結婚を断る家も多いと思いますが……」


 これにはクラリスもしょげた。確かにその可能性もあっただろうが、既に結婚しているのだから、わざわざ最悪の仮定を持ち出してまで持論を押しつけることもあるまい。


「やはり、私の思っていた通りだ。ロランは顔こそアレだが、その分心は美しいのだね」


 更にデスタン卿の理想に濡れた謎の理論がまたひとつ飛び出し、クラリスは目を白黒させる。


「……ロランに限らず、誰しも外見が劣る分だけ心が美しいわけではありませんよ?」

「しかし、そういった崇高な精神がなければ盲目の妻など娶らないですよ。ロラン、神は君の外見に試練を課したが、君はいい人間だ。その内、神の祝福があるだろう」


 信心深さも、時としてこちらを傷つける。


 二人は置いてけぼりを食らったように、呆然と音楽堂の舞台を眺めるのだった。


 そんなわけで、音楽は余り二人の耳には入って来なかった。


 耳にこびりついたのは──悪意のない侮辱と、意図せぬ憐憫。




 帰りの馬車の中で、ロランは我慢出来なくなったのか、ぽつりと妻の前で本音を吐露した。


「……多分、周囲は俺が騙してクラリスを娶ったか、同情して娶ったとでも思っているんだろうな」


 クラリスは少し俯いた。クラリスも、周囲から奇妙な偏見を持たれていたことに、少なからぬショックを受けていた。


「……あなたは、実際どうなの?」


 ロランは黙ってしまう。彼からの反論や持論の弁を期待したクラリスは少し悲しくなったが、持ち前の前向きさでそれはそれ、と割り切った。


「……同情だって、愛情だって、情は情です。あなたに情をかけてもらって、私は嬉しいです」


 ロランはハッと我に返り、声を詰まらせた。鼻をすする音が、ひとつ馬車の中に響く。クラリスはロランが初めてしんみりとする姿に心打たれ、微笑みと沈黙で静かに彼を労う。


「……君は強いな。その心の強さはどうやって手に入れたんだ?」

「そうですね……」


 クラリスは夫の方を向き、目をしかと開いて言った。


「信じることです。自分と他人を」


 ロランは黙った。


「俺の周りは今日出会ったような奴らだらけだ。あんなのを信じろと?」

「もしあなたが誰かに期待を裏切られたのなら、人を見る目がないか、周囲に偏見を持っていたというだけのことです。そんなことに振り回されたり打ちのめされたりしないためには、己の心を鍛えるしかありません」

「そう上手くはいかない。誰かに裏切られ続けていれば、そんな気も失せるぞ」

「そうですか。けれど、私はあなたを裏切りませんよ」


 ロランは目の見えない妻を見つめる。誰かに騙されれば、簡単に命の危険にさらされてしまう妻を。


「私はあなたに会えて、とても幸せなんです。……それでも信じていただけませんか?」


 クラリスの肩に、ロランの腕が伸びて来る。


 彼女はうっとりと、夫の肩に身を預けた。


「そうか……俺といて、幸せか」

「はい。出来れば、あなたも私といて幸せと感じて欲しいのですが……まだ、無理そうですか?」


 ロランはそれには答えず、湿った頬をクラリスの頭頂部に擦りつけた。


「……そうだよな」


 彼はしみじみと言った。


「俺はいつも君に施している気がしていたけど、それこそ君には意図しないことだったのかもしれないな」

「……ロラン」

「いや、そのことに気づけてよかった。今日は……よく分からないが、君から初めて何かを受け取ったような気がする」

「……それはよかったです」


 微笑むクラリスを、ロランは大切そうに抱き締める。


 クラリスはうっとりとロランの肩にうずもれ、胸いっぱいその匂いをかいだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああー、確かにこれは悪気のない侮辱ですね。 昔はこういう人多かったですよね( ˘ω˘ ) 今でも一定数はいるかもしれませんが( ˘ω˘ )
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