54.〝見ないふり〟という重荷
サミュエル屋敷に再び平穏がおとずれた。
今日はリディが屋敷に遊びに来ている。
ロランは早速用意した義眼をリディに装着する。
エメラルドの瞳を再現した義眼。
シリルとアネッサは文字通り目を輝かせ、愛娘の瞳を覗き込む。
アネッサは目尻を拭った。
「まあ……素敵よリディ。私と同じ目の色」
「えへへ、そうかしら。ねえどう?クラリス」
「だから私は見えないんですって」
「私も見えないのよ。でも、これでお母様とそっくりになれたみたいね」
リディは目の中でごろごろする義眼に触れた。
「んー。何だかいい気分だわ」
ロランには少し気になることがあった。
「リディに聞きたいんだが、義理の体をひっつけるってのはどんな気分なんだ?」
リディはうーんと唸りながら答えた。
「あのね、義眼をつけると周りから〝目が見えないなんて気づかなかった!〟って言われるの」
「ふむ」
「それが誇らしいのよ」
「?」
「顔半分が赤いっていうロランなら分かってくれると思うんだけど、余計なことで悪目立ちしたくないのよね。あと、みんなと一緒の見た目になれたら、新しいスタートラインに立った気分になれるの。みんなと同じって、結構楽しいものなのよ」
ロランはあのリディが案外控えめな思想をもっていることに驚く。と同時に、新しい視点に気がついた。
〝みんなと同じって、結構楽しい〟
「そっか、みんなと同じが楽しいのか」
「そうよ。お揃いの服とか、同じ踊りをするとか、みんなよくやってることじゃない」
「確かにな」
「みんな一緒……それが一番安心するわ。個性を出すのはそれからで充分」
「リディ……君は人生何周目なんだ?」
「五周くらいかな?」
「違いない」
ヴォルテーヌ家とサミュエル家の面々は笑った。
「ところで、今日、ここにトリスタンいないの?」
リディが義眼を輝かせている。義眼を入れると、表情が随分出るようにロランは感じた。
「ああ、トリスタンなら工房にいるよ」
「会いたいな、トリスタンに。最近、折れた杖を直してもらってるのよ」
「……折れた杖?」
「うん。騎士ごっこして折れたから、直してもらってるの」
「こっちに呼ぼうか?」
「仕事中ならいいわ」
「そう……」
ロランは、ちらりとシリルを見やる。
目が合って、シリルは含み笑いをして見せた。
「最近、トリスタンがうちに出入りしているんだ」
「そうでしたか。営業活動や運搬みたいなことは従業員に任せていたので、全く存じ上げていませんでした」
アネッサがリディを伴って、執事と共に庭に出て行く。
シリルは椅子に座ると、ゆったり背もたれに背を預けて言った。
「……実は、リディはトリスタンを大層気に入っていてね」
ロランは頷いた。
「よく遊んでもらっているようなんだ。だから、しばしば思う。何か彼に恩を返せないものかと」
クラリスはどきどきと胸を鳴らしている。
ロランは期待を込めて前のめりになった。
「シリル様。トリスタンから何かお聞きになりましたか?」
シリルも前のめりになった。
「あの話、か」
「ええ、あの話です」
シリルはにっと笑う。
「そろそろ陛下に恩を売ってもいいかと思ってね。探しているんだろう?土地を」
クラリスは何度も頷いた。
「うちの領内に、老朽化した別荘がある。もう使わないから売ってもいいかな、とずっと思っていたんだ。でも、誰にでもというわけではない。そんな時、トリスタンが尋ねて来たんだ。傷痍軍人の介護施設を作りたいから、ヴォルテーヌ領にいいところありませんか?と。その時は、面倒に巻き込まれたくないと思ってお茶を濁した。しかし──」
シリルはロランとクラリスを交互に見比べる。
「この頃、考え方が変わって来た。リディの出来ることが増える内、彼女の将来を考えるようになったんだ。もしこの国が傷痍軍人をないがしろにしていたら、きっといつかはそのしわ寄せがリディやクラリスみたいな障害を持った人間にやって来る。彼ら傷痍軍人を無視していい社会に住めば、いつかはリディだってそういう扱いを受けることになる。ようやくそこに思い至って、その話を受け入れることに決めたんだ。すると不思議なことに、私は何か重荷を下ろしたような気分になった」
クラリスは何度も頷いた。
「〝見ないふり〟という重荷を下ろしたのですね」
「……そういうことだな。アネッサと同じように」
ロランも薄笑いして言う。
「夫婦っていうのは不思議なもんです。補完し合うんですよ、どんなに仲が良かろうと悪かろうと」
シリルは困ったように笑った。
「似た者同士なんだ、結局」
「結婚したから似て来ると言うか、似たから結婚したと言うか」
「どっちもあるな」
「とにかく、いい話が転がり込んで来てよかったです。早速陛下にお話を」
「いや、君が出ることはない。私から陛下へ書簡を出そう」
クラリスは二人の話を聞きながら、エドモン三世とベルナデッタのことを思った。