53.王妃の本音
王妃の部屋に移ると、ベルナデッタは駄々っ子のように身をよじらせた。
「ああ……私、本当にクラリスが羨ましいわ」
クラリスは突然の話に目を丸くする。
「羨ましい?」
「ええ。だって夫と相思相愛で、結婚してすぐに妊娠するなんて」
言われてみれば、どちらもここまで短期間でクリアしている政略結婚は珍しいのかもしれない。
「何もかもが上手く行ってるのね」
「でも、目は見えませんよ」
「そうだけど……」
「だから私、産まれて来た子どもの顔を見られないんです」
ベルナデッタはどきりとして口を押さえる。
「……そ、そっか。……そうね」
「何事も、きっと中庸です。どこかにプラスがあれば、どこかにマイナスがある」
「そう?私は今のところマイナスに次ぐマイナスよ」
「では、その内プラスに転じますよきっと」
ベルナデッタはため息を吐いた。
「はー。やっぱりエドモンは駄目な男ね。ようやく〝目に見えない富〟に目覚めたのかと思ったら、やっぱり足踏みを始めたわ。覚悟がなくて、歩き出せないみたい」
「まあ、陛下には陛下なりのお考えがおありでしょうから、あんまりせかすのもよくないですよ」
ベルナデッタはそれを聞くと、得心するように頷く。
「ふーん。なるほどね。それが夫婦円満の秘訣なの……」
「あ、そうかもしれないです」
「……」
「というより私が盲目なもので、どうしても彼より遅く動くことになります。ある意味、彼をせかすことが出来ない」
「そういうことなのね」
「というか、ベルナデッタ様……」
クラリスは微笑みながら問う。
「最近は、夫婦円満を求めておいでなのですか?」
ベルナデッタはハッと息を呑む。
「……またからかってるの?クラリスったら」
「からかってます。だってちょっと嬉しいんですもの」
王妃は何かを観念したように、クラリスの目の前にすとんと腰掛けた。
「……クラリス」
「はい」
「あなたはいっつもそう。人の気持ちを見抜いて来るの」
「そうでしたっけ」
「最近考えるのよ。我々夫妻は、別れることは決して出来ない」
「はい」
「なら、出来るだけ仲良くいられれば……と思うのは自然なことじゃない?」
「そうですね」
「この前、エドモンが言ったのよ。〝君が辛いと言わずに我慢していてくれたことに、私は一生感謝して生きて行くと思う〟って」
クラリスは少し赤くなった。
「陛下が急に、そんなことを……?」
「私も驚いたわ。だから最初、多分またおためごかしを言っているに違いないと思ったの。で、そう自分に言い聞かせようと思ったわ。だけど……。笑わないで聞いて欲しいんだけど、例えうわべでも、彼に労られたらとっても嬉しいってことに気づいてしまって」
クラリスは恥じ入るようにうつむいた。ベルナデッタは自嘲気味に笑う。
「嫌いなのに、変ね。嫌いなのに、労わられたら嬉しいなんて」
「ベルナデッタ様は陛下をお嫌いじゃないのでは?」
「……」
「夫がいなくて寂しいと思うと、ひとりきりの毎日がどんどん虚しくなる。そう思って寂しい心に蓋をして、〝嫌い〟という強い言葉の鎧を着ていただけではないですか」
「……」
「目に見えるものを拒んで、目に見えない富に活路を見出そうとした時と同じように」
「……もう。嫌ね、クラリスったら」
ベルナデッタは声を震わせ、鼻をすすった。
「何であなたは人の心が読めるのよ……」
「心を読んだのではありません。顔に書いてありました」
「……私の顔に書いてあったら、尚更あなたは読めないじゃない」
「そうでしたね」
「ふふっ。クラリスったら……」
ベルナデッタはそう言いながら移動すると、クラリスの隣に腰掛けた。
「ねえ、お腹を触らせてもらっても?」
「いいですよ」
ふんわりとした生地の下に、クラリスのふんわりした腹がある。
「いいわね、何だか幸せな気持ちになるわ」
「ならよかったです」
「でもね、私、あなた以外の人の前では素直になれないの」
クラリスは黙って王妃の言葉を受け止める。
「こんなことを言ったら嫌われるかもしれないけど、あなたは私より確実に何かを失っている。そう、視力を」
「はい」
「それが私に勇気と安心感を与えるの。失っているあなたが別の何かを得ようと頑張っている姿を見ると、自分の方が頑張っていないことを突きつけられる」
「そうでしょうか……」
「いい意味で、己を見つめ直すきっかけになると言うのかしらね。甘ったれた自分を再発見するの」
王妃は腹から手を放した。
「私、まだエドモンを受け入れられない」
「……」
「でも、嫌いな夫でも、あの人が私のことを労り、理解してくれたことは嬉しかった」
「……」
「あら、クラリス」
「……」
「何であなたが泣いてるの?」
泣き出したクラリスの肩を、ねぎらうように王妃が抱く。
「ごめんなさい」
クラリスは手で顔を覆った。
「私ずっと、孤独なあなたが救われることを望んでいました」
「……」
「それはきっと、私もかつて同様の孤独を抱えていたから……」
「……クラリス」
王妃は努めて笑って見せた。
「孤独だなんて、何を言ってるのよ。あなたのお腹にはもうひとりいるじゃない」
「……!」
「きっと、しばらく本当の孤独は味わえないわ。覚悟しなさいよ」
「ベルナデッタ様……」
「私も早くあやかりたいけど……うーん、あの人のことを、まだ深いところで受け入れられないのよねぇ」
王妃の本音。
それはまだしばらくエドモンの耳には入らないだろうが、夫婦関係は目に見えないところで大きく一歩前進していたようだった。