46.王の苦悩
一方、ロランとエドモン三世は商談を一通り終え、閑話の運びとなっていた。
使用人がコーヒーを運んで来る。
「ロランは話が早くて助かるよ。レネ伯爵と来たら商談の最中、無駄に色気を出してあっちこっち話がそれるんだ」
「雑事で儲けようとすると余計に時間を食うのに。金は取り返せるけど、時間は取り返せない。時間こそ重大事ですよ。それが分からないようでは先が思いやられますね」
空は晴れ渡り、ひどく平和な午後だ。遠くで教会の鐘の音がする。
ロランは持ち前の話の速さで早速本題に入った。
「ところで、そろそろ戦没者追悼礼拝ですね」
ぴくりとエドモンのこめかみが動く。
「うちの連中がぼやいてましたよ。傷痍軍人だけ招待されていないってね」
エドモンは静かにロランを睨んだ。
「……そなたは相変わらず私を困らせるのが好きなのだね」
「何を言います。これは陛下を困らせるために言ってるんじゃない。陛下のためを思って申し上げております」
「……」
「先程、時間は重大事だと申し上げました。これは取り返せないからです。同じように、傷痍軍人を放置するのも、いつか取り返しがつかない事態を引き起こすことになります。陛下。彼らはかつて軍人でした。軍人には軍人のネットワークがあり、体の欠損具合によらず強固な横の繋がりがあります。今は五体満足の兵士でも、いつかあの傷痍軍人のようになる可能性があるのです。それを冷遇していては、士気に影響が出ますよ。なぜこんなことも分からないのですか?」
エドモンはしばし考え込む。
「……ロラン、君は経営者だ」
「はい」
「君の防具ギルドは、まあまあ上手く行っている。そして傷痍軍人も雇い入れ、彼らを職人に仕上げた」
「そうですね」
「何のいさかいも反発も招かず」
「多少の軋轢はありましたが、基本的には上手くやれていると自負しております」
「……人を動かすには、どうしたら良いのだろうか」
ロランはしばし黙って考え込んでから、少しずつエドモンの本心を探るべく、頭の中で話を整理して語り出した。
「陛下。陛下のおっしゃっている〝人〟とは、どんな人ですか?」
エドモンは呆然とし、眉根を寄せた。
「どんな人……?」
「例えば兵士だとしましょう。それが誰でどんな人か分かれば、行動を起こさせることが出来ると思います。得意なことがあるなら、それをやってくれと頼めば動かせる。欲しいものがあるなら、それを交換条件とすれば頼みを聞いてくれる」
若き王は、目を見開いた。
「恐らく陛下が人を動かせないのは、その人のことをよく知らないからではないですか」
ロランはそう言うと、ゆったりとコーヒーを口に運んだ。
エドモンは額に手を当て、頭痛を我慢するようにうつむいた。
「そ、そうか……」
「陛下はあまり周りが見えていないのです。お忙しいということもあるのかもしれませんが」
「……そうだな」
エドモンはうつむくと、意を決したようにロランに言った。
「戦争に勝って、初めて気がついたんだ」
ロランは黙して聞く。
「犠牲が多すぎた」
ロランは声を出さずに頷いた。
「兵士もそうだが……王宮内、いや、家庭内のことも」
ロランは若き王を見据えた。エドモンは苦笑いで異形の男に目線を移す。
「勝っている間はそちらばかり見ていた。国民だって戦線に熱狂したはずだ。しかしそれが終わると、急に皆私を責め始めた。私は勝てばいいとばかり思っていたから驚くばかりで、対応が後手後手になってしまった。その後手を取り戻そうとすると、また何か問題が発生する。今日の今日までその繰り返しだ。予想もつかない展開だった」
「……ご苦労お察し申し上げます」
「王になって初めての戦争。それはつまり王にとって初めての戦後でもあるのだ。戦後の処理がここまで大変だとは思い至らなかった」
「誰にでも初めてはございますから」
「しかし、王にはそういった言い訳は許されない。そこで、少しでも気持ちを分かって貰おうとベルナデッタにすり寄ったら、手痛く拒否された」
ロランは急な落差に笑いをこらえたが、
「笑い事じゃないぞ」
エドモンがそう畳みかけるので結局笑ってしまった。
「王が何を言うのかと笑われるだろうが、戦争も政治も家庭も、等しく私の世界だ。どれも大事で優劣はない。しかし誰もそのことを理解してはくれないのだ。私は王だから」
「……」
「優先順位をつけて行動せよと迫られる。だからその通りにしたら、なぜこれが優でこれが劣なのかと詰められる。全てにおいてこれだから足止めを食う。気づけば全方位から嫌われているのだ」
「……」
「せめて、ベルナデッタには好かれたい」
「……ぶふっ」
「だから、笑い事じゃない。そうじゃないと、もう立っていられないんだ……」
ロランはにやける顔を整えると、こう言った。
「……そのことを、ベルナデッタ様にそのままお話しすればいい」
「あいつはこういった話を嫌う。〝あなたはいつも、自分のことばかりだ〟と」
「そうですか。ではベルナデッタ様にベルナデッタ様のことを話せばいいのではないですか?」
エドモンはぽかんと口を開いた。
「……は?」
「自分のことを分かって貰おうとしているのは、ベルナデッタ様も同じでしょう」
「……」
「陛下。ベルナデッタ様について何か知ってることは?」
「うーん。最近、教会に施しをしているらしい」
「あとは?」
「うーん」
場は静まり返った。
「……まさか、それだけですか?」
ロランの問いに、エドモンは困った顔を作って見せた。
「そのようだな」
「さっきもお話ししましたね。人を動かすなら、その人のことをよく知らなければなりません。戦況を把握するのに戦場を把握するのと同じです」
エドモンはそれでようやく得心したようだった。
「そうか。では、今宵はベルナデッタのことを根掘り葉掘りするとしよう」
「陛下の悪い癖が出てますよ。何事も一気に解決しようとしない方がいい。機を見て慎重にやって下さいよ。女は目が見えていなくても、何やら色々と見抜いて来ますから」
「……そうなのか?」
「はー全く。先が思いやられるな……」
「おいロラン。心の声をしまえ」
しかし、エドモンの顔は前よりずいぶん明るくなった。
王が王になってからここまで他人に本音を吐露するのは、今日が初めてなのかもしれない。
(俺がこんな顔だからこそ、愚痴れたのかもしれないな)
ふとロランはそんなことを思うのだった。
(そしてそれはベルナデッタ様も、同じだったのかもしれない)