45.見え過ぎている
数日後。
いつものようにベルナデッタの誘いの手紙に返事を書き、クラリスは約束の日時に馬車で王宮に向かっていた。
いつもと少し違うのは──
隣には、ロランも一緒であるという点だ。
「陛下は随分心を病んでいるようだな」
「ええ。きっと、目に見えないことをないがしろにしているからよ」
「でもまあ、俺も経営者だからちょっとは気持ちが分かるよ。目の前にある売り上げという数字や顧客の要望に忙殺されて、心に余裕がなくなるあの感じは」
コレットが帰ってから、クラリスはロランに王と王妃の話を持ち掛けた。
ロランは何の気負いもなく、「一緒に行くか」と言ってくれた。
ほっとする反面、クラリスにはある予感があったのだ。
(ロランは、困った人を放っておけない性分なのよね)
クラリスもリディもトリスタンも、元はと言えばロランが引き入れたのだ。
彼が〝見ぬふり〟をしていたら、クラリスも彼らと接点を持っていたとは言い難い。
目の見えないクラリスは、見ぬふりしか出来ないことが多い。見えていないから……
ロランはその代わりの〝目〟になってくれている。
「陛下も、要は話し相手がいないんだろ?話を聞くに、コレットみたいなお婆さんにあそこまで話をするとは、ある意味相当な孤独に陥っているようだな」
「そのようですね。同じく、ベルナデッタ様も」
「世話が焼ける両陛下だ。ま、こっちも商売の話をしたかったし、ちょうどいい」
ロランはロランで、ある算段があった。
トリスタンたちの自立についてだ。
重大な障害を戦争によって負わされたにも関わらず、国の補償が足りていない。防具ギルドにその鬱憤の矛先が来てはやりきれないから、ロランはどうにかエドモン三世から更なる国の補償を引き出したかった。
王宮に到着した。
その玄関で二人は兵に止められ、二手に分かれさせられる。
クラリスは執事と共にベルナデッタの部屋に向かった。
「あら、クラリス!待ってたのよ」
ベルナデッタは嬉しくてしょうがないという様子だ。クラリスは複雑な気持ちで苦笑いする。
「また、楽しいお話をしましょう。最近何か面白いことはあった?」
クラリスは小さな声で言った。
「ベルナデッタ様。先日は子どもたちを招いて下さり、ありがとうございました」
すると、王妃は少しはしゃいだ声色の彩度を落とす。
「え、ええ。みんな楽しそうでよかったわ」
「両陛下は、〝子どもだから〟〝目が見えないから〟と差別をしないとても優しい方だと、招待客は皆口を揃えておりました」
「……そうね」
少ししんみりしたので、クラリスは今だと思って言う。
「そんなお優しい二人だから、実現した茶会だったと思うんです」
ベルナデッタはうつむく。
「まあ、クラリスったら。あえてそんなことを言うなんて……何を企んでるの?」
ばれているなら話は早いとクラリスは思った。
「コレット女史から聞きました。その……エドモン様のことなのですが、最近とてもお疲れのご様子だと」
ベルナデッタは虚空を見上げた。
「何だ、あなたコレット女史と知り合いだったのね」
「はい。子どもの頃から、デュベレーの丘修道院にはとてもお世話になっていて」
「あなたの実家が近いものね」
「はい。で、その、エドモン様のことなのですが」
ベルナデッタは話を遮った。
「そんな話はいいわ。つまらないもの」
クラリスは肩を落とす。
「つまらない……?」
「ええ。夫なんて濡れ落ち葉同然よ。べたっと引っ付いてくる割に、何の役にも立たないじゃない」
「……」
「また〝目に見えない富〟を探したいわ。心を癒さなければ、何をやってもつまらないもの」
クラリスは顔を上げる。
「ベルナデッタ様。〝目に見えない富〟は、自分の心を癒すために得るものではありませんよ」
ベルナデッタは彼女の思いがけない反撃に目を見開いた。
「〝目に見えない富〟は、見返りではありません。見返りがないから求めない、というものではありません。そう、この前の、盲目の子どもたちを招いたお茶会。あれなどは、全く見返りを求めていなかったはずです。なぜ急に、見返りを求めるようになったのですか?」
王妃は歯噛みする。
「……足りないからよ」
「はい」
「何をやっても、何かが足りないことに気づいたからよ」
「それって……」
「……」
王妃は観念したように言葉を落とした。
「私、羨ましくなっちゃったの。この前のお茶会で見た、ご家族たちのこと」
「……はい」
「あんなのを見せられたら、翻って自分は──と、思ってしまって」
「……」
「私、この王宮でずっとひとりなの。子どもも出来ないし、夫も嫌い。貴族の奥方はみんな取り入ろうとばかりにすり寄って来るし、うわべだけなの。とっても空虚……」
クラリスは、覚悟を決めて言った。
「ベルナデッタ様が求めているのは、本当に〝見えない富〟なのですか?」
ベルナデッタは目を点にした。
「ベルナデッタ様こそ、目に見えるものを欲しているのではないですか。なのにそれが見えないから〝見えない富〟に逃げているだけでは」
王妃は青くなって声を荒げた。
「何を言うのクラリス!私は世のため人のためを思って……!」
「ではなぜ、隣で苦しんでいる人をまず助けてあげないのですか?」
「!」
ベルナデッタはクラリスから顔を背ける。
「無理よ、無理……嫌なものは嫌よ」
「陛下もベルナデッタ様も、お求めになっているものは同じでは」
「やめてクラリス。気分が悪いわ」
「ではベルナデッタ様は、陛下のどこがお嫌いなのでしょうか?」
ベルナデッタはそう問われ、具体的に考え出した。
「ルックスは悪くないわね。でも、何でも損得で動く小物感が特に嫌い」
「小物……」
「あと、自分勝手に私を触りに来るところとか、いやらしくって嫌い」
「はぁ」
「それに、すぐうじうじして誰かに慰めてもらおうとする、子どもじみたところも」
「……」
「みんなが自分に興味があると本気で信じてる自意識過剰さとか」
「……」
「大体あの人は、自分以外にちっとも興味なんかないんだわ。それなのに君に興味がありますなんて態度を取ってるのが腹立たしいのよ!」
「……」
「自分が気持ちよくなりたいだけよ。私のことなんか、これっぽっちも愛しちゃいないんだわ!」
クラリスは頬を赤くし、黙って王妃の愚痴を受け止める。
(何でだろう……)
クラリスは不思議と心がむず痒くなって行くのを感じていた。
(エドモン様のことを罵るベルナデッタ様……ちょっとかわいい)