42.王様の相手役
王宮にて。
エドモン三世は、王妃ベルナデッタに言う。
「二週間後には、戦没者追悼礼拝だな」
ベルナデッタは顔を上げた。
「はい、そうですね」
「そこで明日は打ち合わせがてら、デュベレーの丘修道院のコレット女史に王宮へ来て貰うことにした」
いつも政治の話は妻にしないエドモンが珍しくこんなことを言うので、ベルナデッタは訝しむ。
その様子を見て、彼は更に続けた。
「……珍しい、とでも言いたげな顔をしているな」
「はい。あなたが政治の話を私に持って来るのは珍しいことですから」
エドモンは外を眺めて呟いた。
「君は最近、熱心に社会奉仕をしているようだね。金の工面をしたいなら、私に言ってくれればよかったのに」
ベルナデッタは、ぎくりとする。
嫁入り道具のアクセサリーを何点かこっそり豪商に売り払い、それで得た金を昨日各修道院に寄付したところだったからだ。
秘密裏に行ったはずなのに、なぜかばれている──
「で?どうして急にそんなことをし出したんだ?」
エドモンの真っすぐな視線に、ベルナデッタは吸い込まれる。
彼女は、初めて夫が自分に興味を抱いたのだと悟った。
妻の秘密を暴く。それはまるで何かの合図のようだった。
彼女は意を決して言う。
「私は〝目に見える富〟を、最近余り好ましく思わないようになりました」
エドモンは片眉を上げる。
「ほう……目に見える富を?」
「前もお話ししました。私は、目に見える贅沢品──ドレスだの貴金属だのに、もう喜びを見出せなくなってしまったのです」
エドモンは少し顔を曇らせた。
「もう飽きたのか」
「そういうことではありません。飽きたと言うより、それらはなぜか私の心の虚しさを浮き彫りにするのです。持てば持つほど、自分が空虚になる気がします。お前は着飾っていればいいと、誰かに囁かれ続けているような、そんな恐ろしい妄想に囚われていました。そんな時、私はクラリス・ド・サミュエル夫人に出会ったのです」
エドモンは斜め上を見上げた。
「ふーん……」
「彼女は目が見えません。着飾った私を知らないのです。彼女の前では、誰が服を着ていても丸裸でも同じ。だから、私は彼女の前で、ある意味心を丸裸にして見せました。着飾っても虚しさが消えないと。すると彼女は、目に見えない富を積むべきだと言ってくれて……」
言いながら、ベルナデッタはぎゅっと喉の奥を絞る。
エドモンの、どこか探るような視線が急に怖くなったのだ。
彼は言った。
「君は私に、そんな話は一言もしてくれなかった」
ベルナデッタはどきどきと緊張に青ざめる。
「私に心を開いてくれてなかったんだね」
思わぬ言葉が降って来て、ベルナデッタは目を見開いた。
「だ、だって」
ベルナデッタは意を決した。
「だってあなたはいつも損得の話ばかりなんだもの。そして自分の損になることは、決してしようとしない。それって空虚だわ。あなたは、何かを心から愛したことがあるの?」
互いの間に横たわっていたわだかまりが、ぴりりと電流を発したように思えた。ベルナデッタは構わず続ける。
「この前の茶会だって、みんなとても素敵に輝いてた。そこに損得勘定なんてなかったの。みんな体の不具合なんて関係なく、自分と他人を掛け値なしに愛してた。私、とてもいいものを見たけど……半面、嫉妬に狂いそうだったわ。私は一体、何のために生きているのかと」
そう訴えるベルナデッタに、エドモンは苦々しい笑顔を作って見せた。
「何を言ってるんだベルナデッタ。私は結婚当初から、こんなにも君を愛しているのに」
ベルナデッタは目をすがめた。
嘘だ。
エドモンはいつものように、ベルナデッタの機嫌を取っているのだ。
王家の婚姻は、王家同士の契約だ。契約者同士は永遠に協力を誓わなければならないし、契約の不履行は許されない。
仲良く見せなければならないし、その空気感がねじれないように、実生活でも仲の良い夫婦を演じ続けなければならない。
ベルナデッタはいつも台詞を聞かされている。
エドモンの中で作られた台本の台詞を。
「あなたはいつもそうやって、損をしないように立ち回るのね」
エドモンは真顔になった。
「私はあなたの何?王様を演じるための相手役なの?」
「やめろ、ベルナデッタ。何でそう何もかも後ろ向きに受け取るんだ」
「あなたのご機嫌取りには、もううんざりよ。私は見えるものに惑わされない。私は私の心の通りに行動するわ。誰もそれを止める権利なんかないのよ!」
「落ち着けベルナデッタ……」
「あなたはうわべばかり取り繕って生きていればいいわ。私は誰かのために生きる。そう、あなた以外の国民のためにね。王がこれでは国まで空虚になるもの。私が頑張らなければ、この国はめちゃくちゃになる……!」
それを聞くやエドモンはベルナデッタの腕を掴み上げ、その口を塞ぐように無理矢理キスをした。
ベルナデッタは、間髪入れず夫を押し返す。
エドモンは驚いて体を放した。
ベルナデッタは自身の唇をごしごしと拭う。
「あなたなんか大嫌い」
彼女は憎々し気にそう言い放つと夫を睨んだ。
「あなたもこれで私のことを嫌いになったでしょう。どう?とっても損をしたと思わない?」
エドモンは冷や汗をかき、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ベルナデッタ……」
「結婚してしまったから、しかたがないです。死ぬまで王様ごっこに付き合いますわ、陛下」
ベルナデッタはそう言うと、くるりと踵を返し部屋を出て行った。
ひとり残された若き王は、ゆっくりと椅子に座ると頭を抱えた。
「なぜ、分かってくれない……?なぜ、誰も私を支えてくれないんだ……?」